008 季流と出会った葬式の日
姉の姿を探して雪野は広い家の中を駆け回る。
お姉ちゃん。お姉ちゃん……
何だか、今は体の調子がよく息苦しさはなかった。
それは余計雪野の不安をかきたてる。
歩くだけでも酷く咳き込みふらついていたのに、走ってもどこも苦しくないのはおかし過ぎるのだ。
体調とは反対に不安と焦り、そして恐怖が、この時雪野の心を支配していた。
「お姉ちゃん、どこ? どこなの?」
雪野は姉の姿を探していたのだが、いくら広い家だからといって人を一人も見かけないのはおかしい。
家の中を動きまわっている使用人の姿すらなく、この状況自体が何か変だった。
気づくと雪野は家中をまわりきっていた。ある一つの部屋を残して……
雪野はその部屋に入るのをためらっていた。入りたくなかった。
そこにはある声がしている事に気づいていたから……
だってそれは、誰かが亡くなった時にする声だって知っているから……
「いやだ……そんなのいやだ……」
廊下を進む中である部屋からお経が響く。
雪野はその普段は使わない大きな部屋の前に立ち尽くしていた。
ずっとあと一歩を踏み込めなかった。
人の気配が僅かに感じられるその部屋……
だがやがて雪野はその中を見る事に躊躇しながらも、最後の希望を確かめるため戸をそっと開けた。中に姉の姿がないか確かめた。
そこには黒い和服をきた人たちがいて、広い部屋を埋め尽くすほどだった。
心の中で暗闇が広がるのを感じる。
雪野が部屋へと踏み入れた事で、その人達はちらちらとこちらを見ていた。
部屋の前方にいる家族や後方にいる使用人に雪野は前に踏み込むたびに気づいていく。
中央にいる者たちは、それ以外の雪野が知らない人たちばかりだ。
人々のざわめきにより次第に雪野を見る視線は完全に広がった。
「あれが……そうなの?」
「そうらしいわよ」
こそこそと聞こえるはなし声。
その言葉の意味について気にしている余裕はなかった。
雪野はそのまま声をひりきるように人の隙間を駆け出して確かめたいと思った。
まだ、姉の姿は見つけてはいなかったから。きっと母がいる前の方にいるんだと思っていた。しかし彼女の長い亜麻色の髪はやはり見当たらない。見つけ出す事はできない。
ふと雪野は一番前の方にある台に置かれた写真が誰の者かを恐る恐る覗きみた。
雪野は家族が座っている前列よりも前に出て、はっきりと遺影を見た。
「うっ……あぁ……」
雪野は呻く。そこには絶望があった。
飾られた一枚の写真それは……まぎれもない姉の姿だった。
雪野はその場でしゃがみ込み
「いや……いやだ。いやだ、いやだ、いやだ、いやだ……」
気がおかしくなったかの様に同じ言葉を何度も繰り返す。
もうどうしようもなかった。止められない。
その時の感情はとても辛く、悲しくて、どうしたらいいか分からない状態だった。
雪野の心の中は暗く重く、真っ黒に塗りつぶされたような絶望的な感覚に覆われていた。
そして、そこには自分に関しての不安も含まれている。
自分がもう死んでいるという事実。
もしそれが本当だとしたら、一体今の自分はなんなんだろうという疑問。
「いやだ、いやだ、いやだいやだ――」
いったいどうなっているんだろう。この不安は消せない。
怖い――
ただただ同じ言葉を繰り返した。意味もない言葉もきっと吐いていただろう。
雪野がそんな状況にも関わらず、周りは彼をなだめる事も叱りもせず、ただその場に座りそれを傍観しているだけであった。
家族すらも雪野の顔を合わせようとせず、ただ唱え続けられているお経の声を平然として聞いていた。
「ううぅ、お母さん! お母さん! これなに、なんなのぉおおお、怖いよ怖いよ……」
ふと母と目が合い、雪野は助けを求めようと足を一歩踏み入れたが、そこで母にあからさまに顔を背けられたことで彼は足をとめた。
なんで……なんで、なんで!
その事がさらによく分からない恐怖をあおる。
「やぁああああああああああ! ああ! うぁ、あああ! やだぁああああああ!」
雪野を止めてくれる者はいなかった。
どれくらいそうしていただろう?
五分……いや、十分だろうか?
雪野はもう自分の意識がどこにいっているのか分からなくなる程、しばらくの間そうしていた。
雪野はもうどうでもいいような、そんな気分になっていた。
自分の中の不安を吐きだすように言葉をがむしゃらに吐いて、その場にうずくまるだけ。
自分は今何を口に出しているのだろう?
それすら、もう分からない。頭の中がぼうっとする……
そんな雪野のそばにある人物が近づいて来ていたがそれに彼は気づかなかった。
その物は雪野の目の前にきて足を止めた。
俯く雪野も足元の人影に気づいて誰だろうと確かめようお顔を上げた。
その時だった。
目の前ではすでにその者の手が振り下ろされており、きれのいい音が部屋に響きわたる。
「あう……」
それは一瞬の出来事で雪野の頬に、ある衝撃が走ったのだった。
一気に意識が現実へと戻された。
最初はぼんやりとしていた視界も頭もはっきりとしだし、雪野は人影を確かめようと顔を前に戻した。
するとそこには彼を見下ろすようにある男が立っていた。
どこか変わった顔立ちで、きれいな長い金色の髪とメガネの奥にのぞかせる青い瞳の持つ者だった。
彼の瞳は雪野をまっすぐとらえる。
「男の子がそんな風に泣くもんじゃありませんよ」
その男はどこか冷たい雰囲気を漂わせて雪野にそう言葉をかけたのだ。
「……」
雪野の頬には叩かれた痛みとは別に、目から下へと伝う水の濡れた感覚があった。
そこでやっと、自分は泣いていたことに気づく。
周りはこちらを伺いながらも、平然を装う様に今も聞こえ続けているお経に、耳を傾けてじっとしていた。
それを見やって金髪の男は、雪野に続けて声をかけてきた。
「立てますか?」
「え、あ……うわ」
今も頭は少しぼうっとしていて、言葉はうまく出ないようだった。
そして雪野は地面に曲げられた足を立てようとするが力が入りにくかった。
体全体が正座をした時みたいにしびれていた。
そのため立った瞬間よろけてしまい、倒れる体を瞬時に男が支えてくれた。
「つかまってなさい」
「……」
男はそっと雪野を部屋の外へと連れ出してくれた。
その際、人と人の間を通り抜ける時、雪野を見る嫌な視線。
雪野は我に返させられた事により、今どうな状況なのかを思い知らされた。
その視線はひどく心に突き刺さったのだ。
「うっ……」
何でここにいる人たちは僕をそんな目で見ているのか、また何で僕が泣いているのに誰も助けに来てくれなかったのか、駆け寄ってくれなかったのだろうか?
たぶん、それは知っているから?
ここにる全員がもう知っている?
僕がもうこの世にいない人間だと……
お姉ちゃんがいないこの世界はまた別の世界それともこれ現実……?
そんな不安を頭の中で零していくと、また……
「うぅ……」
さっきとめてしまった僕の感情はどこにやっていいのだろう。
僕の存在自体ここにあっていいのか?
そんな事を思い始めて、また泣きだしそうになってしまった。
そんな雪野を見て男はいったん廊下を進む足を止めて、
「また、泣くきですか? やめときなさい。泣いていてもどうせ何の意味もありませんから。どっちかというと迷惑なだけです」
そんな冷たい言葉を吐いた彼はその後、再び歩き出す。
「……」
雪野はその言葉で泣く事を止められる。
「それに人の視線とか、言葉などは無視していなさい。気にしたところで無駄なだけです」
男の表情や言葉は確かに冷ややかなものであるのだが、自分を励ます為に言ってくれているのだろうかと、雪野はほんの少しの安心感からそう思った。
この人は誰だろう?
あの中で一人だけ僕をとめてくれた人……
雪野はその男をじーっと見つめた。
見るからに珍しい髪の色や目の色をしている。
雪野がじっと眺めていると、男は彼の視線に気づき眉を寄せた。
「あの、なんですか……?」
「えっと……」
「あなたもあの者たち同様、私をまるで珍しいモノでも見るような、侮蔑の目で見ているのですか?」
「……ん? ぶ、べつ?」
雪野が首を傾げると、男は遠くを見るように顔を上げて続けた。
「人とはそういうものですよ。自分とは違う者に対し、そういった目で見る。こちらがどれだけ不快さを感じているか知らず、まるでそこに自分がいてはいけないかのような雰囲気を漂わせてくる」
「あの……」
何やら難しい事を話す男に、雪野は戸惑う。
「すみません。困らせてしまいましたね。私が言いたかった事はつまり、これからあなたはそのような目で皆に見られる様になる、という事。特にこの家系ではね」
男は足を止めた。
そこは葬式が行われている部屋とは少し離れた場所でそこには縁側があった。
ここならばあの声は聞こえない。
「とりあえず、ここで座っていましょうか」
男は雪野を座らせる。その時にはだいぶ体の感覚は戻ってきているようで自分の力も加えてそっと足を曲げた。
雪野はそこで思い切って男に聞いた。
「なんで、僕はそういった目で見られるようになるの? えっと、あの怖い目……」
「分かりませんか? あなたはもう気づいていると思うんですが……だから、あの時泣いたんですよね。姉が亡くなって悲しいだけじゃなく自分の存在に不安を抱いた。そうじゃないんですか?」
その通りだった。雪野は彼を見て、自分の中の不安を確かめようとする。
「じゃあ、やっぱり僕は……」
その次の言葉を口に出すのはやはり怖い。
だが、雪野はそれを口にした。
「死んでいるの……?」
男は黙ったままだった。
やっぱりそうだ……僕は死んでいるのだろう。
しばらく間があいて、男はそっと口を開いた。
「どう捉えるかはあなた次第です。ただ、私は三日前あなたが死んだ事を家族から聞かされました。そして、今日その葬儀が行われるはずだった。しかし、どういうわけかあなたが生き返ったと知らされ、代わりに葉月が亡くなっていた……」
葉月……お姉ちゃんの名前だ。
この男の人は今、お姉ちゃんの名前を喋った……お姉ちゃんの事を知っているの?
一瞬だったがその時、男の顔がゆがんだ気がした。
「その事はこの木崎家に集まった者全員が知っている事です」
男が喋った事は自分が予想していた通りだった。
何故かそれを知って平然としていられた。
それは自分がその事実を受け入れつつあったからか、それとも気持ちが疲れて色々と考える事を放棄しようとしているせいなのか分からない。
ただその事実に関して覚めた感覚で聞く事ができたのだ。
そしてそのまま自分の中にある疑問を男に投げかける。
それは少し独り言のように聞こえるだろうけど、男はどうとらえただろうか?
「いったい、僕は何なんだろう……?」
すぐに男は淡々とした口調で返してくれた。
「さあ、そんなの私が知りませんよ。人間ですか? 死人ですか? 少なくとも私には普通の子供にしか見えません。……まあ、ずいぶんと可愛らしい格好をしていますが」
幼いころから風習で体の弱い雪野は女物の着物を着ていた。
この姿を見て彼はそう言っているのだろう。
「現に今、心臓も動いてちゃんと生きているでしょ? 大事なのはあなたがどう思ってどうするかじゃないんですかね?」
男はそう言った後、突然睨んだような真剣な表情して雪野を見る。
「で、あなたはこれからどうしていくつもりなんですか?」
「えっと……」
「自らを不幸に生きるか、幸せに生きるか、どちらを選びますか?」
「……」
雪野はそれに答えられない。この先どうなるかなんて考えられない。分からない。
今が今で辛すぎる……
先の事を考える余裕は今の雪野にはなかった。
黙っている雪野に男はいったん顔を前の方へと向け、空を見るように語り始める。
「あなたはまだ小さい。自分一人では何もできない。変えられない。他人に頼るしかできない存在です。そして、これからあなたは周りからただ生かされるためだけの者として扱われる。そんな中であなたはどう生きていくつもりですか?」
前へと向けられていた男の顔が再び雪野の方に向けられた時、その顔を見るとやはり怖いが、それぐらいに彼が真剣なのだと気付く。
「絶望しますか? それとも周りを恨みますか?」
「それは……」
雪野が答えられないでいると、男はあっさりとこう言うのだ。
「どちらでもいいです……ただ生きてさえいてくれれば私はそれでいいんです。それが、葉月の願いだったから……」
男の顔はどこか辛そうな顔へと歪み、先ほど、葉月と姉の名前を口に出したときに見た一瞬の表情だと雪野は思った。
その悲しそうな辛そうな顔は、今はっきりと男の顔に現れている。
やはり姉とこの人は知り合いなのだろうか?
「お兄さんはいったい……」
誰? と聞こうとした。
だが、それを言い切る前に、
「雪野くん」
男は雪野の名前を呼んだ。そして……
「あなたは今生きています。そしてそれは葉月が自らを犠牲にしてまで救った命です。どうかそのことを忘れないでください」
「お姉ちゃんが僕を救った……それって、どういう……」
その時、とっさにあの不気味な光景を思い出し雪野はそのまま体全体を固めた。
「あぁ……」
姉が倒れていたあの光景、そしてその近くに転がる人形。
人形はあの時雪野に語りかけてきた。
姉の生死を知りたくて今まで頭から抜けていたが、あれは……
「どうしました?」
心配した様子で彼は話しかけてくるが、動揺を隠せない雪野は今まともに言葉を返す事はできなかった。
「人形……人形があった。あの時、お姉ちゃんと人形があって、僕に喋りかけてきていた……」
「雪野くん……?」
「その時には僕はもう亡くなっているってお母さんが言うんだ! そしたら、最後に人形が喋ったんだ。そしてさっき目が覚めてなぜか横に、人形があって……」
そこまで言った後だった。ふと左横の視界に違和感を覚え雪野は振り返った。
するとそこには……
「うっ、わあ!」
恐怖にひきつった声が漏れる。
人形があった。
先ほどまでなかった人形が突然として何故かその場に現れた。
「な、なんで……なに、これ……」
「人形……なるほどそういう事なんですか……」
怯えている雪野に男はゆっくりと説明しだした。
「落ち着きなさい、雪野くん。そういう物なんだそうです。あなたはその人形に選ばれてしまったんです。人形は葉月からあなたに継承された。これは木崎家の……いや、木崎家と夏川家の呪いです」
「呪い?」
「はい。私も詳しくは分かりませんがこれだけは言えます。あなたはこれからその人形の持ち主として、木崎家から夏川家に呪いが移らない様にする為の生贄として、生かされるでしょう」
「生贄? あの夏川家って……?」
そこで男は名乗った。
「私は夏川季流といいます」
そして続けて話し出す。
「木崎家と夏川家は昔から呪いによって深いかかわりを持ってきました。良家での婚姻も長く続いており、親戚同士でもあるんですよ」
子供の雪野にとって所々理解できない部分もあり、彼はまた首を傾げた。
「うーん、あなたは……季流さんは親戚なの?」
「それは、私が他の者と容姿が変わっているから聞いているんですか? それとも……」
「えっ?」
何気なく聞いてみたのだが、何やら不機嫌そうにそう言われ雪野は悩ましく顔を歪めた。
「いえ、何でもありません……」
季流という男はこちらをじっと見つめるなり、やがて頭を抱え押し黙る。
そう言えば、この季流っていう人だけ葬式の場にいる人たちとは何かが違っている。
それは何でだろう?
風がわずかに吹き、揺らめく透き通る金色の髪を眺めて雪野は……
「きれいな髪……」
思っていた事が口からもれてしまって雪野は戸惑う。
「あ……」
季流という人は呆気にとられた様に苦い顔をして雪野を見る。
そして、
「今、何て言いました?」
「な、何でも……」
押し黙る雪野に季流は続けていう。
「あなたもやっぱり私を変だと思いますか? いいですよ。そう思っても。慣れていますから……」
季流は何か思いつめた表情を見せる。
それに雪野は違うと否定したかった。
なぜこの人はそんな事を先程から言うのだろうか?
「えっ、なんで? 思ってないよ、そんな事。季流さん他の人と確かに何か違うけど髪とか、顔と関わっているけど、とてもいいと思うよ。髪とかきれいだし。なんでそんな色なの? なんで他の人たちと違うの? ねえ、なんでなの?」
思うがまま聞いてしまい、雪野はそれにハッと気づき、後にこう付け加えて言った。
「……って、いろいろ思ってたら、さっきもうっかり声に出してしまって、季流さんが何か傷ついたならごめんなさい……」
「いえ……私もすみません。気にしないでください」
そんな言葉が漏れた後、彼は黙り込む。
黙ったまま、雪野をまじまじと見つめていて、それに雪野は恐る恐る聞いた。
「や、やっぱり怒っていますか?」
「あ、違います。怒ってなどいません。むしろ嬉しく思っています。やっぱりあなたは葉月の弟だと思って安心したんです」
何が安心したのかは雪野には分らなかった。
しかし、季流が怒ってはいなかった事にほっとした。
少しだけ気がまぎれた頃、そこで季流は立ち上がる。
「だいぶ落ち着いてきたようなので、それでは……私はそろそろあの場に戻ります。あなたはここで人形の事とこれからの事をじっくり考えながら頭を整理させていなさい。色々辛いと思いますがこれだけは最後に言っておきます。生きてください。生き続けてください。葉月のためにも」
去っていこうとする彼を見て、胸の内からまた不安や恐怖が溢れかえり、引きとめようと雪野は彼の名前を呼んだ。
「季流さん! 待って! まだここにいて!」
こんな状況で一人になりたくなかった。
呪いの人形だとかいう物が雪野のそばにある。
「季流さん……」
助けてくれたこの人は自分の味方だと思った。
しかし、唐突に出た彼の言葉は冷たかった。
「甘えないでください。あなたはこれから色んな事を知り、今までにないくらい沢山、辛い目にも合う事でしょう。この呪われた家系の中で今のあなたはそれに耐えないといけないんです」
「……」
「まだ、実感は持てないと思いますが、すぐ分かる事になるでしょう。この呪われた家系で生きていかなければいけない地獄を……」
冷たい目で見降ろされる。
何も言えなかった。少しだけ怖かった。
この人は僕の味方にはなってくれないんだろうか?
どうすればいい、これから一人、こんな状況で、どうすればいいの!
置いて行かないでほしい!
ここの中でそんな考えが渦巻く中、季流は去り際にmルで自分の心を読むようにこう告げた。
「私はあなたの味方ではありますが、あなたに構ってやれる事はできません。本当に困った時、辛い時だけは私に頼ってもいいです。私はいつでもあなたの味方です」
雪野はそれを聞いて、心がひどく安心した気がした。
「季流さん……」
やっぱりこの人は味方なんだそう思った。
「それと……私の事は季流お兄さんと呼びなさい」
「えっ?」
「あなたには特別に、それを許します。喜びなさい」
一瞬だけ振り返りそう言って去っていく季流に雪野は呟いた。
「季流お兄さん……」
雪野は途中の、季流の呟きを最後まで聞き取る事はできなかった。
「本当に義弟になるかもしれなかった君には……そう呼ばれてもいいです」
一人となった雪野は横たわっている人形を恐る恐る手に取ってみる。
しかし何も起こらず、それはただの普通の人形に見えた。
だが確かにあの時、人形は雪野に向けて喋ったのだ。
雪野が知らない不思議な事――この家の事、呪いの事、そしてお姉ちゃんの事、あの季流お兄さんの言っていた事……
子供の雪野にはまだ分からない事がいっぱいあった。
確かめたい事もいっぱいあった。
しかし今は辛くて仕方ない。
頑張らないと、考えないと、季流お兄さんに言われたからそうしないと……
だけど今は……疲れた。休みたかった……
「あ……もう……」
雪野は急な眠気に襲われて目を閉じた。
意識が次第に消えていくその中で、
『生きて』
という言葉が頭に響いた。
これは季流お兄さんに言われた言葉?
でもこの声は……
雪野はその声の主をたどろうとした。しかしそこで雪野は眠りに落ちた。
その声は確かに――姉の声だった。




