004 木崎家の呪い
この家にはある呪いが存在していた。
それは昔から言い伝わっているもの。
人形の呪い……
自分は選ばれた者だった。
木崎家には一つの古くも美しく、不気味さをまとった和人形が昔からある。
その人形は人を選ぶ。
木崎家の子を。
木崎家に生まれた若き女子だけを。
そして選ばれた者は、主として人形にその身を守られる。
そのためにそれは存在しているといわれており、かつて祖母も母も選ばれた者だったそうだ。
さらに、夏川家から来た義理の姉もそうだった。
母はよくこんなことを言っていた。
『私たちは……この家は呪われているの……』
その頃の母は、自分が人形に関して話す事、話題に触れることをとても嫌がり……
『人形に近づいたらだめよ』
と強く言い聞かせられていた。
その理由は自分がその時、体の調子が悪く寝込む日が多くなっていたからだ。
木崎家の男子は生きられない……
そんな言葉が木崎家には伝わっている。
もし生まれたとして、その子供は大人になれないまま死んでしまう。
今までそんな事が本当に起こってきているらしい。
それが人形のせいかは確かではないが、実際に自分の前に生まれた兄二人は、自分が生まれた時にはもう亡くなってしまっていた。
生まれつき体が弱かったらしい。
そして自分も兄たちと同様、生まれつき体が弱かった。
そのことから本当に呪いがかかっているようで……
自分は、その時はまだ呪いについてそれほど実感が持てずにいた。
母はそんな体の弱い自分に女の名前を付け、そして女の服を着せた。
少しでも呪いがかからない様に気休めでもと願い、自分を長く生きさせようとしたのだろう。
自分を護ろうとする母の気持ちはその行為で痛いほど伝わる。
こうして自分は八才の時まで女物の和服を着て育った。
その後、自分の体は普通の子たちとなんの変わらぬ丈夫なものへと変わっていく。
そうなったのは、ある事件が起こったのがきっかけだった。
忘れたくても忘れられない出来事、姉が突然の死をとげた、あの日から……
それは自分の人生を大きく変えた日だった雪野は記憶している。
思えばそこから自分の……それから木崎家という家系の止まっていた歯車が動き出したのかもしれない――
畳の敷かれた姉の小さな部屋。
あの日、雪野はその部屋の隅に立っていた。
目の前には亜麻色の髪に左右に三つ編みをした、当時十八歳の彼の姉、木崎葉月が床に倒れていた。
その光景を見て雪野は、姉を呼ぼうとする。
(お姉ちゃん……)
だがなぜか声が出なかった。
(え、なんで……?]
あの時、なぜ自分はあの場所にいたのかが分からない。ただとても怖いと思った。
気が付くと自分の意識はそこにあり、最初に視界に入った光景が姉の死を映したものだったのだ。姉がもう息絶えている事は、うっすらと開かれたままの目を見て分かる。
その目線の先には、まるで姉と同じように横たわっている人形があった。
姉がいつも持ち歩いていた和人形だ。
人形もいつも通り目を見開いて雪野の方をまるで見ているかのようだった。
シーンと静まり返る部屋。
「……」
雪野はその恐ろしい光景をただ見ていた。
いや、見ているだけしか出来なかったのだ。
声が出ないだけじゃなく、体も全然動かなかったのだから。
彼は人形を見つめる。人形もこちらを見ている―――
なぜか目を離せないような気がした。
姉が倒れているのに、すぐにでも近くに駆け寄りたいのに、彼はそれよりも人形が気になって仕方なくなっていた。
人形には何かある。何かが存在している。
そんな気がした。
それはどこかで……幼い頃も感じたことがあるような感覚で……
直後、
「――」
その考えは確かなものへと変わった。
人形は突如、語り掛けてきたのだ。
「――」
だが、何を言っているのかよく分からない。
実際に人形の口は動いておらず、人形自体はそのまま倒れているだけなのだ。
しかし、声は聞こえる。
「――」
それは頭の中に直接伝わってくる声だ。
(気味が悪い……)
と、思っていると……廊下の外から足音が近づいてきて部屋の戸が開かれた。
そこには一人立ち尽くしている女性がいた。
その人物を見て、雪野は口を開いた。
(お母さん……お母さん!)
そう発しようとするもやはり声は出なかったのだ。
「あぁ……」
部屋に入ってきた母は姉が倒れているという目の前の光景に怯えていた。
口に手をあてながら、一瞬言葉を忘れた様に震える彼女は、そのまま悲鳴をあげた。
「きゃあぁあああ―――」
その悲鳴を聞いて使用人たちや家族も時期に来るかもしれず、雪野は自分の状況を早く何とかしてほしくもあった。そして何が起きたのか、どうしてこんな事になっているのか誰かに答えを求めていた。
母は姉の死に震えた声音で呟いた。
「葉月ちゃん、なんで……一体何が、あったの……」
崩れ落ちるように地に腰を下ろす母に、彼は必死に語り掛けようとする。
だが、母はまるでこちらに気づいていないかのように、彼の方をまったく見ていなかった。
(お母さん、どうしたの? 僕の方を見てよ。助けて……)
やはり声は出ないままで雪野は徐々に一生自分は気づかれずにこうして姉の死を見ていないといけないのではと心配になった。
母は姉から視線を移し、近くに転がっている人形の方へと目を向けた。
「あ、ああ……」
すると母は、さっきよりも更に怯えた表情になり、こう言葉を吐きだした。
「な、なんで私に人形が見えているの? どうして、また私にこの人形が……」
どういう意味だろう。
雪野にはずっと人形は普通に見えていた。
しかし母には、その人形が見えていなかったとでもいうのだろうか?
母はそっと人形に近づくとそれ手にとり、ふと気づいたように自分の方へと向いたのだ。
今、確かに母と目があっていた。
(お母さん……お母さん!)
そう呼びかけた時、目の前の母の口から思いもよらない言葉が発せられた。
「雪野、どうして……どうして、あなたがここにいるの? あなたはもう死んでしまった、はず……」
(え……)
その言葉を聞いた瞬間、彼は心が凍り付くような感覚に襲われた。
(母は何を言っているのだろう? 自分は今ここにいるのに……)
母は泣きながら次にこんな言葉を吐いた。
「これは夢なの? この光景は全部夢……夢なんだわ。そうとしか考えられない。葉月ちゃんが今倒れているのも私に人形が見えているのも……雪野が亡くなった事も、全部……」
彼はもう、わけが分からなくなっていた。
母は今なんて言った? 僕がもう亡くなっている?
今のこの状況もいったい何なのだろう?
母が言うように……夢、なんだろうか?
彼がそう思案していると、ふと、
「……あっ・・・・・・・あぁ」
記憶が頭の中に流れた。
「あっ……」
そこで彼は全てを思い出したのだ。
『もう……死にたい』
最後の時、彼はそう願っていたのだ。
(僕はもう……死んでいる?)
それを自覚した途端、自分の意識は何かに無理やり引っ張られる様にして、薄れていく感覚があった。
その時、目線に先に移り込む母が持つ、あの人形の声が微かに聞こえた。
「キコ……カ」
それは何度も繰り返しいってくる。
目を閉じても聞こえてくる。
「キコエテイルカ」
確かにこちらに問いかけるような言葉を雪野は聞いた。
雪野が覚えていたのは、そこまでだった――
次に目覚めた時、彼は自分の部屋の布団の中にいた。
だいぶ長い間、眠っていた気がする。
「あ……えっと……」
彼はしばらくボーっとしていたが、自分の横を見てみるとなぜか人形の姿があって、
「人形……お姉ちゃんは?」
先ほどまで見ていた後景が脳裏に浮かぶ。
姉が倒れていた事、何もできなかった自分の状況、そして母に言われたあの言葉。
思い出すと不安になった。怖くなった。
そっと手を胸にあて、自分の心臓が脈を打っているのか確かめてみた。
彼は今、目の前に映るいつもの景色に、現実味がある感覚に、曖昧に言葉をもらす。
「ああ、なんだ。さっきまでの光景は全部……夢?」
安心しきれない。
けど、声は出ている。
心臓もドクッ、ドクッと、ちゃんと動いていた。
彼は今、確かに生きていた。
いつもよりも体調だって良好だった。
だが、それだけではあれがただの夢だったと納得できなかった。
逆にそれがおかしいと感じ、安堵しきれない。
その理由は自分の体が……あの死にかけていた自分の体の状態が、今は嘘のように治まっていたからだ。
どう考えても、それはおかしいのだ。
咳き込んで目覚める事が多く、重苦しさ、息苦しさは日常の中ではもう当たり前となり、こんなに身軽な感覚は、きっと覚えていないだけかもしれないが初めてだと思った。
「どうなっているの……?」
姉が倒れていて、母が自分はもう死んでいると言ってくる嫌な夢。
「そんなはずないよね……?」
そんなはすがない、そんなはすがない!
「夢だ……あれは夢だ!」
あれは夢、あれは夢――
彼は心によぎる不安を消し去るように、なんども心の中で呟いた。
そして、姉の姿を一度見るため、自分はまだ死んでいないと確認するため、とにかく安心したくて彼は部屋を飛び出した。部屋中を回った。
これは夢だ、夢だ、夢だ、夢だ!
そして、これは全部……夢では無かった。
「あぁああああああああああ! 嫌だ、いやだいやだいやだ、いやだいやだよ。こんなの嫌だ、嫌だ―――」
これは、夢では無かったのだ。それが雪野に待っていた現実だった。
その後、彼はいろんな事を知ることになる。
絶望する事になる。
姉、木崎葉月はもう亡くなっていた。
そして雪野も、もう死んでいる。
体の弱い彼は、長年の呪いによる謎の病気によりついに息絶えた。
だが彼雪野は今、生きている。
「な、んで……?」
胸に手をやると、やはり心臓もちゃんと動いている。
自分が死ぬ前の記憶はどこか所々、曖昧だった。
ただ覚えているのは体の痛みと息ができない苦しさで、いっその事早く死んでしまいたい、もう全てがどうでもよくて楽になりたいと思う自分の姿。
そして、そんな自分の周りにいる家族の姿……家族に見守られている自分の姿があった。
そこから記憶が途絶えている。
自分はその時、息絶えたのだろうか?
分からない。
そして死んだ僕は【霊】となり、姉の部屋へと姿を現したのだろうか?
分からない。
それは人形の仕業なのだろうか?
分からない。
人形が姉を殺し、僕をあの場所へ引き寄せた?
何のために……
分からない。
何も分からない。
僕があの奇妙な光景から目覚めた時、自分の近くには人形があった。
不思議な事にそれ以来人形は、付きまとうように僕の移動する所々に現れる様になった。
そのことに家族はひどく驚いていた。
僕が人形に選ばれ事、そして僕以外の人にも人形の姿が見える様になった事に驚いていたのだと知ったのは後の事だ。
人形は今まで、選ばれた者にしか見えなかったらしい。
自分が人形の姿を今まで見えていたのは、霊力が強いからだと姉の言葉から理解した。
だが、それはどうなのだろう。
母は見えない人であったが、父や祖父母は、【変】な物を見る事が出来て、僕よりも霊力が高いはずなのだ。確かではないが……
僕には人形が見えていた。
それと同じように、僕にも【変な物】ははっきりと見えていた。
違和感がないほど、はっきり見えていたのだ。
なぜ僕にだけ……選ばれていなかった時になぜ僕にだけ人形の姿が見えていたのだろう。
父や祖父母にはなぜ見えなかったのだろう。
そもそも、なぜ人形は女の主を選んで、その主にしか姿を見せないのだろう。
なぜ女子だけ?
男が生きる事が出来ないのは、どうして?
母が言っていた呪いとはなんなのだろう。
この家には何があるのだろうか。
木崎家に伝わる人形……これは、一体何?
と、疑問が次々と浮かんでくる。
「もう、訳が分からない……これから、どうすればいいの?」
姉が亡くなってから雪野は、呪いというものをより意識するようになっていった。
【変な物】に関しても……彼はどういうわけか、あの日あたりから【変な物】の姿を見ることが出来なくなってしまっていた。
それに気づいたのは、姉の葬式が終わってすぐ、外に出てみて分かった事だ。
人形が見えること、【変な物】が見えること、それはずっと当たり前だと思っていた。
なぜなら、雪野は外の世界を知らなかったからだ。
彼は家で大事に守られて育ってきた。
だから外の景色を眺めて、その【変】な、よく分からない物を見つけると、外には自分の知らない事がいっぱいあるのだと思うだけだった。
【変な物】が見えなくなった今、それが良かったのか悪かったのかは分からない。
ただ、その時から彼の見る世界は変わった。
変わったのは、それだけじゃない。
生き方が変わった。価値観が変わった。
あの日、目覚めてから雪野は家族から、〈いない者〉として扱われる様になった。
彼はもう死んでいる。
だから……
「死者には死者の行く場所へ帰すのだ」
祖父はそう雪野に伝えた。
どうやら、古い風習みたいなものだろう。
死者には死者の行く場所へ帰すとは、成仏してもらうという意味だ。
それに従って、死者には一切話しかけてはいけなかった。
それは自分がもうこの世にいないことを死者に分からせるため、そして潔く消えてもらうためのこの木崎家だからこそのしきたり。
決してこちらから引きとめようという意思を示したらいけないのだそうだ。
自分は今ここにいては、いけない人間らしい。
その事実に絶望しながらも悲しみや不満を飲み込んで、彼は家族から無視される事も姉の死も現実なのだと理解した。
家族も使用人たちも誰も自分には味方がいない現状を仕方がないと諦めて過ごした。
時々、見かける母はあからさまに雪野を怖がっている様子で、どうしてそんな顔をするのと彼は大好きな母のそんな顔を見る時が一番辛かった。
今思えば、母は見えない人であったから仕方がなかった事だろう。
木崎家の呪いに関して人一倍気にしていた人だ。
母の笑顔はすっかり見る事が無くなった……それは自分のせい?
そんな母と違い父や祖父、祖母達は、こういう事に慣れているのか平然とした態度だった。
雪野は死者として扱われながらも、食事などは毎日ちゃんと与えられていた。
それはもちろん自分を生かす事が目的ではない。
人形に関する呪いを一族が受けないため、そして呪いの現状維持のためだ。
それを知ってから雪野は、自分に生きる意味などないと思うようになっていた。
人形に選ばれた雪野の待つ運命は、その先の未来は決していいものではない。
まだ子供だった彼にもそれだけは理解できていた。
「これからも、どうせ……どうせ……」
彼の予感は的中し、呪われた彼の悲劇はこれだけでは終わらなかったのも確かだ――




