003 妹、春夢が来た
木崎家の裏庭方には大きな桜の木が一本咲いている。
その周りに、つい最近に植えられたであろう若い桜の木々が点々として生えていた。
雪野たちが夜ノ月村への任務に出かけていた頃とは違い、今では満開の桜が咲いている。
天気も良く今日はまさに桜見日和だ。
そんなすがすがしい春の日に、やはり彼は……雪野は、いつも通り自室でぐっすり眠っていた。
時刻は九時頃、布団はまるで邪魔とでもいうように横にはじき出され、そんな寝相があまりよくない雪野の元に何者かが接近し、今、声がかけられる。
「起きて……ねえ、起きて……」
脳の奥の方まで響いてくるやんわりとした声。何度も何度も繰り返し聞こえてくる。
それは女性の声で……その声に雪野はいつものごとく寝言を漏らす。
「花月、まだ眠い……任務とかムリ……だから……」
そして再び夢の中へと意識は沈んでゆく。
そんなだらしない雪野の様子に彼女は、小さく騒いだ。
「えっ、違うよ。花月お姉ちゃんじゃないよ。ねぇ、起きて、起きて、起きてぇ!」
聞きなれない抑揚のある甲高い言葉。それはまだ幼いような女の子の響き。
花月にしては、違和感のありまくるそんな声を聞いて雪野は薄く眼を開いてみる。
すると、そこには……
「ねえ、起きてよ。お兄ちゃん!」
へ? お兄ちゃん?
寝ぼけ眼に、最初に映し出された顔は見覚えのあるもの。
今日、彼を起こしに来た者は……
「……」
視界にはおっとりした顔立ち、ふわっとした亜麻色の長い髪、そして六、七歳くらいに思われる小さな女の子が今、雪野の目の前で顔をのぞかせていた。
「あ、わぁ!」
そんな彼女の姿を見て雪野は混乱し、一瞬で起き上がり、仰け反りかえった。
「……えっと、なんで? なんでいるの?」
まるで【幽霊】か【化け物】が現れたかの様な反応をする彼に、目の前の女の子以外の女性のよく聞きなれた声がかかる。
「おはようございます。雪野さん」
足元を見るといつも通り平坦な顔つきでこちらを見つめる花月の姿もあった。
それを確認した直後、女の子は目覚めた雪野にこう告げた。
「今日からね、ここで暮らす事になったんだよ」
「そうなんです。お兄さまがわざわざ夏川家にいって、ここで暮らせるよう計らってくれたらしいんです。春夢ちゃんに起こされて驚かれましたか? 雪野さん」
「ああ……」
雪野は茫然とした様子でそう答えて、花月に目を合わせた。
花月は本当に嬉しいのか珍しく自然な笑顔をもらしており、一方の春夢と呼ばれた少女もニコニコとこちらに笑いかけていた。
そんな二人の幸せそうな雰囲気の中、雪野はまだ状況が呑み込めなく、どうしたものかと全く言葉が出せないでいた。
「……」
木崎春夢……長い間、夏川家分家の紅葉亭に預けられていた雪野の実の妹だった。
「お兄ちゃん、ねぇ、お兄ちゃん! まだ、寝ぼけているの……?」
「えっと……これはどういうことか、説明してくれないか……花月……」
目を泳がせ動揺を隠せない雪野は、花月へとその視線を向けそう返答を求めた。
「はい。私も突然の事で驚いたんですが、お兄さまが、家に帰っ来る前に私の実家に寄ったみたいで春夢ちゃんをついでに連れてきたんです」
「それって……誘拐とかじゃないよね。お兄さん、勝手に連れてきたんじゃ……」
「それは……分かりませんが、春夢ちゃん、早く雪野さんに会いたかったらしいんですよ」
「ああ……それで起こされたのね、俺」
「そうだよ!」
ひょい顔を覗き込むような春夢に雪野はさっと目を合わせると、そこには心から嬉しがっているまだ幼い妹の顔があった
「春夢、もう小学生になるからって、季流お兄ちゃんが一緒に暮らそうって言ってくれたんだ。それで話し合ってね。ここに来てもよくなったんだよ」
「ふ~ん、そうなのかぁ……」
春夢や花月のほころんだ感情とは反対に、やはり雪野はどこか困ったように頭をかいた。
「雪野さん?」
「ん?」
「どうかされましたか?」
「あー、いや、何でもない……」
「そうですか……?」
花月は怪訝な様子でこちらを眺めてきた、その時、
「雪野お兄ちゃん!」
春夢が元気よく雪野を呼んだ。
「ん? なんだ? 春夢……」
立ち上がる春夢に合わせ、雪野は顔をあげた。
「これから、おじゃまします。よろしくお願いします」
その言葉を聞き、さっとお辞儀をする春夢の態度を見て、雪野はこう思っていた。
さすが、夏川家で育ってきたというか、花月のあの父親や母親の元で育てられてきたというか、実に行儀のよいおりこうさんに育っていた。
顔を上げた春夢の表情は子供らしく晴れやかで、雪野もこの状況を受け止めるため一息ついた。そしてその後……
「うん。ようこそ春夢」
彼女を歓迎して、そう言葉をかけた。
「それでは、雪野さん用意を済まてください。お兄さまが待っていますよ」
「え、まじ? 今日、任務あるの? お兄さんまだ家にいるの?」
「はい。でも任務があるとはまでは言っていませんでしたよ。自分の部屋で今、着替えていると思いますが……」
「そうなのか……」
雪野は、任務の事についても合わせていろいろ聞くしかないと、自分も着替えた後、季流の部屋に直行しようと決めた。
「じゃ、あれ着替えるから、リビングで待っていてくれる?」
「はい。それでは、春夢ちゃん行きましょう」
「うん。お兄ちゃん、早く着替えるんだよー。二度寝しちゃだめだよー」
「おーう。分かったよー」
こうして、二人が部屋を出て行ったあと再び悩ましげに思案した。
「……」
あれは、六年前、雪野とまだ幼かった春夢が木崎家から夏川家へと移った頃の話で……
春夢の顔や声すらまともに見ることができなかったあの頃の光景がふと頭によぎる――
なぜ夏川家へ向かうことになったかというと、自分のせいだった。
春夢を傷つけてしまったのは、自分だった。
彼女が持つはずだった大切なものを奪ってしまったのは自分だった。
だから……
どうなるのだろう。
どうすることもできない。
自分にはどうすることも出来なかった。
過去の過ちを戻すことはできない。
今、彼女にちゃんと向き合あう覚悟がない。
兄として、家族としての資格がない。
自分は彼女にとって決して許されてはいけない存在なのだ。
「はぁ……」
昔の様に今も、そんな考えが浮かびあがる自分がいて、雪野は内心、春夢とのこれからの生活に不安や抵抗があった。その結果、いつかぼろが出て、春夢が悲しむ結果になるのではと雪野は恐れてもいた。
「季流お兄さんは、何を考えているんだ……」
雪野はそう言葉を漏らし、寝服からいつもの紫の着物へと着替えていった。
そして、部屋を出るときに忘れず机の上から黒い袋に入った人形を手に取り、いつも厄介事を自分へと運び込んでくる彼の部屋へと向かった。
そこは季流の部屋。
雪野達の部屋からだいぶ遠く、一度、窓がない廊下を抜けた先にあり、今、何者かの足音が聞こえてきた。
最低限の家具しか置いていないような明るい床板の小さな部屋に一つしかない入り口へと季流は目をやり、その戸は開かれるのを待った。
「お兄さん、春夢を連れてきてどういうつもりですか!」
勢いよく入ってきた途端、そう声を荒げる雪野は困惑した様子でそう聞いてきた。
季流はその時すでに着替え終えた後で、いつもの着物姿ではなく、私服姿になっていた。
「ああ、やっぱり雪野くんでしたか。来ると思っていましたよ」
「あれはいったい何ですか。俺への嫌がらせですか! なんで春夢をここに連れてきたんです。春夢は覚えていないかもしれないけど、ここで起こった悲劇についていつか……知ってしまうかもしれません。俺は、彼女と一緒に暮らす自信はありません」
「まあ、そう言わずに雪野くん。あなたから言わなければ、よっぽどの事がない限り彼女にあの事が伝わる事はありません。そして一緒に居たくないというのもあなたの都合にすぎませんか。春夢はかつてこの家に生まれ育つはずだったあなたの妹でしょ。あなたの都合で家族から遠ざける事など、かわいそうですよ」
「そうかもしれないですけど……自分が何て言おうとお兄さんは、絶対自分の考えは変えない。絶対。それは分かっていますよ。だから、この先どうなるか分かりませんよ」
「はい、分かりました。雪野くんが、物分かりがよくて良かったです。あなたの気持ちを考えると、今回の事は抵抗があったにはあるんですがね。それでも……いつか訪れる事だったので……」
「はい、分かりましたよ。季流お兄さんの考えは……納得だけはできました。ただ……いろいろと心配です。あの春夢の笑顔が消えないか、消してしまわないか……」
「気持ちは察しますが、そんな悲観ばかりせずにいる事が重要ですよ。あなたは思い込めばどんどん自分が闇の方に身をゆだねていきそうな感じがしますからね」
「はい……それも分かってはいるんですけどね……」
「まあ……どうにでもなりますよ。いつも通りなるようになります。私や花月がいますからね。そこは安心してください」
「いや……それは逆に不安でしかないんですけど。何も言わずいきなり春夢を連れてきたお兄さんがそれを言いますか!」
「あはは、だってふと思い出したんですもん。今日は〈学校〉だなって」
「はい?」
「あ、[JHSA]での話です。春夢ももう小学一年生となる年齢です。本来、こんな家系でなければ普通に学校に入学していたところです。そこで思い切って夏川家本家にいって頼みこんできました。私が全て責任を取ると――」
季流は朝方、[JHSA]に寄った後の事について雪野に軽く話していった。
春夢を迎えに夏川家の分家……名称は紅葉亭という実家へと足を運ぶ季流は、玄関先でまずこの男に手厚くもてなされた。
「おお! 久しぶり季流! 元気だったかい?」
「久しぶりです」
「ずいぶん疲れた顔しているみたいだけど、ちゃんと休んでいるのか?」
「ええ……一応」
肩まであるであろう髪を今は後ろにまとめていて、時々外している。
そして服装は、上は白いシャツと軽めのズボンをはいているが、時には和服を着ているそんな中年男性は自分を心配してこう言ってくる。
「お前は無茶をしやすいんだから。気をつけなきゃダメだよー。僕みたいに毎日しっかり食べて、しっかり寝る、それが重要だからね!」
「はいはい。分かっていますよ」
「ほんとうかな~?」
「本当ですよ」
「ほんとうにほんとう?」
「本当に本当です」
「なら、よかった」
言葉と同時に微笑む男、そんな童顔で背が低くタレ目でへらへらとした顔が印象深い彼は夏川草路、季流の父親だった。
「父さんは相変わらずですね」
「まあね。父さん、これでもお前に会えなくて寂しかったんだぞ~。たまには遊びに来なさいよ。存分にもてなすから~」
そう言って抱き着かれる。季流は半眼で受け止めそっと草路を離す。
「はいはい、ここは日本ですよー。もう私も子供じゃないんですから、少し恥ずかしいので外国しき挨拶はやめてください」
「えー、そうなの?」
「はい。それより紫さんと春夢は元気ですか? それにおじいちゃんやおばあちゃんも……」
紫とは季流の義理の母親で花月の実の母親の事だった。
「気になるのかい? なら、あって確かめなさい。残念ながら今、親父とお袋は二人で散歩中だからいないけど紫と春夢ちゃんならいるから、上がって、上がって」
「はあ、そうしますか」
こうして、季流は見慣れた我が家の廊下を通り、居間へと自然に足を動かしていた。
ちらちらと広い家にはお手伝いさん……使用人がせわしなく働いているのを見た。
そして居間から横にずれた縁側で生け花を指している女性を発見する。
淡い着物を着こなし、少々まきが付いた髪はひとまとめにお団子にしている。
そんな彼女は季流に気づき、そのきりっとした目は一瞬のうちに鋭くなった。
「あんた、帰っていたのかい?」
「そうなんだよ~、紫~。季流が帰ってきたんだ~」
「見れば分かる。同じことを言うな」
きっぱりとそう返す紫に草路はがっかりする。
「紫は冷たいなー」
「なんか文句あるのか」
「ないです」
紫は鋭い目つきで草路を見据えた後、ため息をこぼす。
そして草路に向いていた視線が季流へと移った時、彼女はこう漏らした。
「あんたは、ちょっと具合悪そうだね」
「みんなに言われますね。別に紫さんが嫌だからこんな顔しているわけではないですよ」
「それはどういう意味で言っているんだい。本当にあったとたんそれかい。気分悪いね」
「私よりは元気に見えますよ。よかった、よかった」
険悪な空気が流れ込む。
「本当にむかつく子だわ。昔からお前は」
「これが私なもので、仕方がないですよ。紫さん」
「ああ、もう本当に気に食わない! いったい誰に似たんだか」
「紫さんではないことは間違いないですよ」
「それはそうだろうなぁ。お前は私の子ではないんだからな!」
と、そこまで言い合ったところで、草路が割って入る。
「ちょっと、ちょっとストップ! もう会ったら毎回そんな言い合いするのやめなさいよ。二人とも! 季流は何で紫に突っかかるのかな~。紫も……」
彼女に対して何かい追いうとする草路に対して、彼女は睨み返す。
「ひ~。我慢して、お願い!」
二人は落ち自らを落ちつかせようとする様にため息をつき、直視し合う。沈黙の時間が流れ、やがてそれを壊すように季流の後ろから声がした。
「どうしたの? 騒がしいけど……あ、季流お兄ちゃん!」
一瞬で、みな振り返るとそこにはバジャマ姿の春夢がいた。
「春夢?」
雪野の妹である彼女はどこか寝ぼけ眼で、まるでこれが夢ではないかと確かめる様に目をこすりはじめた。
「夢じゃない! 季流お兄ちゃんだ!」
わーい! とはしゃぐ春夢は、季流の元に駆け寄り抱き着く。
「春夢、久しぶりですね。元気にやっていましたか?」
「うん。春夢元気に過ごしていたよ」
「それはよかった。紫さんにいろいろと、しごかれているのではないかと心配していたんですよ」
「なんだと!」
春夢は何の事だか分からないよ、という顔を見せる。
季流はそこであることを思い出して、話の本題に入る。
「それより父さん、今日は大事な用事があって来たんですよ」
「大事な用事? それは何だい?」
「今日、春夢を木崎家へと連れて帰ろうと思います。その事について早めに切り上げたいんですが、父さんたち的にはどうですか? まあ、何が何でも春夢を連れて帰ると私は決めてますけど……」
「へ?」
突然のそんな発言に呆然とする草路がいた。
季流はそれを見かねて、重要な事でもあるのでちゃんと説明した。
「春夢ももう普通であれば、小学校へと通う時期です。私は春夢を普通の子たちと変わらない環境でなるべく育てたいんですよ」
「そんな、でも……あ、ダメだって……」
あからさまに動揺する草路は次にこう言った。
「だってそれじゃあ、僕、春夢と会えなくなるじゃないか。かわいい春夢までどっかいっちゃうのはやだよー。娘同然に育ててきたのにいきなりお別れだなんていやだ!」
まるで子供だ、と思いながら季流は続ける。
「父さん、言いう事を聞いてください。これも春夢のためなんですよ。このまま夏川家の中で勉強やら生きていくうえで必要なことを教えていくとしても、社会性は身に付きません。外の世界で人と触れ合うことも大切なのです」
季流は真顔で言葉を紡ぎ、草路に訴えかける。
「だけど……だけどね!」
たじろいでいる草路に代わり紫が口を開いた。
「そうは言っても、あんた、それは難しい話だろうよ。私たちは許しても、上の者の許可が必要になって来る」
「はい。それは承知のうえですよ。この後、私は本家へ行きます」
本家からの許可が下りなければ、春夢を連れて行くことはできなかった。
「本気かい、季流? あんな恐ろしい場所に行くのかい?」
草路は心配するように言ってくる。
「ええ、仕方がありませんから、面倒でもいきます」
「なかなか、強気だね」
「そうじゃないと、あんないやな場所に交渉になんか行けませんからね」
紫にそう返す季流は、今も何がなんやら分からないという顔をしている春夢に向かって、ちゃんと聞いておく。
「春夢、今からここではなく木崎家で暮らすことになりますが、どうしたいですか? あなたの意思をまだ聞いていませんでした。学校へ行きたいですか?」
「学校って……勉強するところ?」
「はい、あなたと同じくらいの子たちと共に学ぶ場所です。もしかすると友達もできるかもしれませんね。給食とかもあるんですかね。遠足とか、町の探検とかもあるらしいですけど……私もよく知りませんね」
しばらくの沈黙が続く。
季流、草路、紫は見守る中、そっと春夢は呟いた。
「いいね。行ってみたいかも……」
彼女は表情には興味がある楽しそうという感情がにじみ出ていた。
同時に不安や恐れもある程度見え隠れしていた。
「あと、雪野お兄ちゃんにも会える? 花月お姉ちゃんにも!」
「ええ、会えますよ。木崎家に暮らす事になればいつでも会えますよ。」
「本当! お兄ちゃんたちに会えるんだね! それなら、春夢行きたいよ!」
春夢はわくわくした面持ちで答えた。
「そうですか。いい返事が聞けて良かったです。あそこは元々あなたの住んでいた家でもありますからきっと、本家からの許可もおりると思いますよ」
草路と紫はもう、仕方ないなというように顔を合わせていた。
こうして、春夢と付き添いに草路を連れて夏川家本家、菊ノ亭へと移った。
何も置かれていない和室、辺りを囲んでいるのは使用人やそこに住む家族であった。
そんなに大事ではない話なのだが……今、当主の総一郎やその横につく時和以外にも、客間には四人の親戚たちが集まっていた。
裕次郎、稲実、泉美そして政貴……彼らは皆この菊ノ亭の者だ。
全員、和服を着こんでおりその様子はこの場所の型苦しさの象徴であり、少しだけ異質にも感じられる。付き添いとして一緒に菊野亭を訪れた父もわざわざ和服を着こんできている程、型ぐるしく重苦しい……皆が前方にいる当主へと、後方の壁際で正座をし彼へと顔を向けている様子からも季流はそう思った。
「今日は、どんな用事でここに訪れた。季流、まさかまた厄介な事を考えてはいないだろうな?」
あまり好きではないのだが、自分も周りに合わせ客間に入った時、総一郎に対面する形で中央に置かれていた座布団の上に正座をし、左横に父、右横の春夢が座り込むのを確認してから、彼に要件を述べた。
「いえいえ、総一郎おじいさま、それ程の事ではないですよ。ただ、今日はですね……そろそろ春夢を木崎家へ戻そうかと思い、その許可を取りにここへと伺ったのです。いいですか?」
「だそうだよ~。伯父さま」
言葉通り伯父である総一郎へと父は、いつも通りの軽快な口調で言葉を漏らしていたが、その声には若干の緊張が見え隠れしていた。
「そうか。今日はその件についてだけ話をするためここへと来たのだな。〈紅葉亭〉の草路と季流? 本当にそれだけだな?」
その獲物を捕らえようとする様な厳つい目は一旦、父親を見た後、季流へと覗かれた。
「うう、相変わらず怖いね、ここは……」
僅かにそう漏らす草路のそんな声が聞こえる中、季流は総一郎へと返していた。
「はい、そうです」
その時、彼の横に付き添うように腰かける穏やかな表情をしたおばあさんは、三人に声をかけた。
「久しぶりだねぇ。よく来ました季流、春夢。それに草路」
「うん。久しぶり時和おばさん」
「どうも、時和おばあさま」
「おばあちゃん、おはよう」
と草路、季流、最後に春夢は返した。
そんな交わされたさわやかな挨拶とは裏腹に直後、その場に緊張感が走る。
「季流よ。それでは聞くが春夢はまだ六歳と幼い。お前は今までのように[JHSA]の仕事を引き受けなら、その子を育てるというのだな」
季流は視線を総一郎へと戻して答えた。
「ええ。さっそくこの後、春夢を持ち帰ろうかと思います。もうそれは決めてここにきました。後はあなたの許可が必要だそうですから、許可してくれませんか?」
瞬時に、周りにいた総一郎の息子、裕次郎が怒鳴り散らす。
「お、お前、それはいくら何でもいきなりすぎるだろ! そんなこと簡単に許されると思っているのか!」
「僕もそう思ったんだけどねぇ~」
「それになんだ、その物言いは、夏川家当主である我が父に失礼であろう! 場をわきまえたまえ」
「まあまあ、そんなこと言わず……」
いきなり後ろの方で声を荒げる裕次郎という男の方を向き草路は軽く言葉をかけた。
しかし、父も含めて彼が返す言葉はこちらを馬鹿にしたものだった。
「本当に親子だな。草路、夏川家の恥さらし者の息子はやっぱりお前と似て欠陥品のようだ」
その言葉に父は、イラつきを隠せないまま少し強めの口調でこう返した。
「私の事はともかく季流の事を悪く言うのは、やめてくれるかな? 裕次郎義兄さん」
「そうだぞ。やめんか裕次郎」
そう割って入って来たのは、裕次郎の妻にして、草路の姉の稲実であった。
「稲実、お前は弟の味方をするつもりか、亭主の自分よりも!」
「当たり前だろうが、私がお前みたいな何にでも難癖つける男、私は嫌いだよ」
「そんな……く、クソ!」
「稲実姉ちゃん、ナイスだよ! ありがとう」
「ああ、いいって事さ」
「く、草路め……」
そんな様子に時和は、まるであらあらと困った様子で見ていた。
一方、そんな些細な掛け合いなど気にもしていないかの様に、総一郎の表情に変化はなかった。
そしてその時、同じく表情を変えずにいた季流に向けて告げた。
「お前のような愛想が極端にない者が子育てなんかできると思うのかね?」
「ええ、できますとも。自信はありますよ。なんせ花月や雪野くんを今まで育ててきたのは自分ですし」
言葉の途中、父親が話しに割って入る。
「僕も育てていたんだけど。ねぇ、季流」
そんな事は放っておいて、季流は続けた。
「それに、保護者として責任は雪野くんや花月の時と同様、私が負いますので、心配なさらずに。どうか今回の件、安心して了解してください」
にっこりと笑いかける季流に、その後、吹き出すように総一郎も笑みを見せた。
「はっ、相変わらず生意気な。だが了解した。いつもの事だ。お前はわしのいう事すらまともに聞かず、何が何でも自分の思い通りに事を運びたがる横暴な人間だからな。おまけにしつこい。今回の事くらいなら問題はないだろう。後、二人もいるしな、春夢を木崎家へと移る事を認めようじゃないか」
「それはそれは、横暴とかしつこいは余計ですが、一応ありがとうございます」
「しかし、言っておくぞ。決して危ない真似だけはさせるな。死なせてはいかんぞ。その子だけは木崎家と夏川家、良家の者にとって必要な存在だからな。木崎家の唯一の生き残りの一人……木崎の姫、木崎春夢」
「ん……?」
総一郎の目は春夢へと向き、彼女は一瞬ビクッと怖そうに顔を歪めていたが、その場の威圧に彼女は泣きだしたりとかはせず、しっかり耐えていた。
そして再び彼の視線は季流へと戻される。
「くれぐれも六年前の悲劇を起こさぬよう木崎の生贄、雪野を見張っておけ」
「はい、分かりました」
そこで話しあいはお開きになり、総一郎はその場を退出し、それに続くように時和も部屋を出て行った。
その後はただ騒がしいだけだった……父親と親戚同士のちょっとした言い争いの続きが展開され、季流はそんな事は放っておき春夢の手を引き、足早に夏川家本家の〈菊ノ亭〉を後にしたのだった――
季流から話を聞いた後、雪野は半眼で彼を見た。
「それ、半分夏川家にケンカ売ってきたって事ですよね。絶対、お兄さんの性格じゃ」
「まあ、そういう感じですかね~」
(少なくとも親たちが喧嘩をする火種にはなったかもしれない……)
「もう、パパっと説明したらあのおじいさまもあっさり、春夢の件を許可してくれましたよ」
「いったい、どんな話を繰り出したことやら……」
季流はこちらをまじまじとみて、それからそっと言葉を漏らした。
「あー雪野くん、着替えたんですね……」
「え、あーはい。任務があると思ったので……ちゃんとよそいきの服装に着替えましたよ」
いつもの紫色の冬の景色を現したような雪模様が点々として見える和服だ。
「そうですか。春夢がいるせいかもしれませんがいつもと違って逃げ腰じゃないのはよろしいです。しかし……今日はあいにく任務はありませんよ」
「えっ、」
そういいながらも季流は任務の依頼らしき書類を先ほどまで読み込んでいる様で、その手にはその書類の一部が持たれていた。
「雪野くん、そういうわけで今日は本当に休みですよ」
「本当ですか? 何か任務の依頼の書類見てるっぽいけど、ほんとのホントの本当に今日は任務解かないんですか? お兄さん!」
「だからそういっているでしょう。なぜ嘘つく理由があるんですか」
「だって、いつもは……」
雪野はいつも無理やり家族旅行と称しての任務に連れて行かれる日々を思い返していた。
季流が帰って来た時は、八割は任務のために雪野たちを連れ出している。
「なぜ今日は任務がないんですか? ただ春夢を連れてきた事が目的だったんですか?」
「あなたは任務がしたいんですか? したくないのですか? どっちですか?」
「したくありませんよ! いや、今日は……いや、買い物しに町に降りようかと……」
「なら、いいじゃありませんか!」
「はい、任務がない事自体はとても今嬉しいんです! けど、春夢の事についてはいろいろと複雑な気分です……」
「そうですか……」
呆れたような顔で季流は雪野を見た後、再び書類へと目を向ける季流は、ぺらっと髪を一枚めくった。そして読み進めていくと……
「ん? あれ……」
怪訝な表情で動きを止める彼に雪野は少しだけ心配になる。
いつものことながら、自分の期待は裏切られることがほとんどだ。もしかしたらと雪野はまだ要件を聞いた今でも季流の部屋を出る事はせず、その場で足を踏み止めていた。
「雪野くん、ちょっと待っていてくれますか」
彼からもそう言われ、雪野はその時には、「絶対今日、任務あるんじゃない? 実はあるんだよね、きっと!」と心の中で叫び、すでに半分諦めた雪野がいた。
「あのお兄さん、どうかしたんですか……?」
書類を覗き込むように何度も同じ個所を読み込んいる季流の姿が目に入るが、何か問題でも発見したのだろうか? それとも字が読みにくいのだろうか?
やがて携帯を取り出すと、誰かに電話をかけだしたようで……
「もしもし、季流です。明慎……あなた図りましたね。この書類の内容どういう事ですか?」
明慎……どうやら季流からちょくちょく会話の中で聞く事がある上司に、彼は電話をかけた様だった。
その後の季流の会話を雪野はしっかり聞き耳を立てていた。
「え、二人が来るんですか? 任務は私だけで十分でしょう?……しかしですね……え、事情は話した? 雪野くんの事を……? はい……はい……」
話の内容はどういう物かはわからなかったが、雪野はとても不安になった。
この時にはもう八十%の期待感は、失われていた。
季流の言葉は次第に抵抗から無抵抗へと変わっていった。そして、
「もう、分かりましたよ、雪野くんたちも連れて行けばいいんですね」
ついにその決定的な言葉が発せられ、雪野は心の中で項垂れるのだった。
「それじゃあ、もう切ります、ね」
季流はぷつんと投げやりに電話を切った。それを見計らい雪野は恐る恐る聞いた。
「あの、季流お兄さん、今の電話……」
もう大体分かっているが、実際に真実を聞くのは抵抗があった。
だが、雪野はあと一%ほどある期待をもって季流の言葉を待った。
「雪野くん……安心してください。春夢は危険なので連れて行きませんので、今日は一緒に緊急の入ってしまった任務へ行きましょう」
「ああ……やっぱりそうなるのかぁ!」
「本当は一人で行こうかと思っていたんですが、状況が変わりました。手伝ってくれますよね~」
「いやいやいや、いきません! と、言ったらお兄さんはどうするんでしょう?」
「さあ、どうすると思いますか?」
「……一瞬考えたんですが、いつものようにどうせ無理にでも連れに行きますね」
季流の絶妙な顔の表情を見て、雪野はこう予想した。
「ええ、分かっているじゃないですか。ではいきましょうか」
いやだ、いやだ、いやだ!
「今回の任務はいったいどこですか? また田舎ですか?」
「はい。田舎と言えば田舎ですが……今回はあなたにとって、とてもなつかしい場所のはずです」
「え、なつかしい場所? それってどこですか?」
「まあ……ついてきてからのお楽しみです」
季流はそういうと書類をカバンへとしまった。
その書類はきっと途中までしか読まれていない気がして、雪野は不愉快な顔を見せた。
「あ、お兄さん、この際ゆうけど、書類とか何でもよく見ずに任務選ぶの、やめましょうよ」
「分かっていますよ。めんどくさい……」
「それはつまり、分かっているけど、めんどくさくてやっぱりできないって、そんな意味で言っていませんよね?」
「あはは、どうでしょうね~」
適当すぎる季流に本当に呆れながら雪野は、この後の任務への覚悟を決めたのだった。
なつかしい場所と、お兄さんは言っていたが、一体どこへ連れてかれるんだろう?
どうか危険な所はなしでお願します!
と、いつものようにお祈りしながら雪野は今、車の中でうなだれていたのであった。
車内にはいつも通り運転している季流と後部座席にいる雪野の横にいる花月の姿がある。
そしてクロとシロの姿もあると思いきや、今日はその二匹の猫はいない。
春夢はさすがに木崎家にお留守番になったのだが、一人残していくわけにはいかないので、二匹には春夢と一緒に木崎家にいてもらったのだ。
「お兄ちゃん達、いってらっしゃーい」
「クロたちはしっかりお留守番するニャ!」
「春夢の事も任せてくださいニャン」
春夢と二匹の見送りと共に、こうして車は木崎家を出発した。
任務へと向かう道中の景色は、このようなものだった。
公共の道路まで抜けると、どこか見覚えのある田んぼ道を通り、また見覚えのある住宅街や小さな商店街を通り、そして昔とは少し変化はあるが田舎景色はあまり変わっていない整備され広くなった道路を視界にとらえる雪野。
ここまで来て、やっと彼は自分達が今どこに向かっているのか大体分かってきていた。
それは、本当になつかしい場所。
ふと昔の光景が思い起こされる。
「ああ……お兄さん、任務先ってもしかして……」
そして、車から大きな敷地と建物が見えてきた。
それは学校だ。
「そう、ここが今日の任務の場所です」
目の前には、雪野がかつて通った桜華山小学校が見えていた。




