001 姉の持つ和人形
それは、ある幼い日の春の事だった。
「あの人形はなぁに?」
縁台から見える庭には一本の桜が咲いていた。
その桜の横で、姉らしき人物がこちらを見てそっと微笑んでいる。
板の上に座り、それを眺めていた彼は、
「ねぇ、お母さんってばぁ。あの、お姉ちゃんの持っている人形はなぁに?」
横で腰かけている母に、それをもう一度問いかけた。
すると母は、
「えっ……」
と、驚いた様子で、まず彼の方を見て、それから姉の方へと顔を向けた。
母はそのまま何も言わない。
「お母さん?」
彼は首を傾げる。
すると、その様子を見ていた姉がこちらへと近づいて来て、
「何、雪ちゃん、どうかしたの?」
優しげな笑顔でそう聞いてくる。
僕の新しくできた、お姉ちゃん……
彼はその事実に慣れない様子でその事実を確かめるように心の中でそう呟いた。
そして姉の手に持たれている長い髪、赤い着物の和人形を指さして、
「それ……」
と、小さな声で呟き、すぐに母の後ろへと隠れる。
そんな雪野の態度に母はやっと口を開いた。
「こらこら雪野、後ろに隠れないの。葉月ちゃんが困っちゃうでしょう?」
そう言われるが、彼は母の後ろを離れず手だけを人形の方へと向けて、どうしても気になるその疑問を伝えようとした。
「それ……?」
「え……?」
姉は「分からないよ」と言う様に顔を傾けた後、彼の指が指している方向にあわせていくと、その一瞬、驚いた顔を見せた。
「あっ、もしかして、この人形のことかな?」
そっと聞いてくる姉の言葉に、「うん」と言う替わりに彼は、顔を前に振ったのだ。
すると、やはり母はどこか様子がおかしいく、目を見開きただただ彼を見ていた。
姉はそんな母に声をかける。
「大丈夫です、お母さん。雪ちゃんも私と同じで、ただ霊力が強いからなのかもしれません」
「そう、だから見えているのね。……ただそれだけよね」
その母と姉の会話の意味が分からず、彼がきょとんとしていると姉がこちらを向いて、
「雪ちゃんには、この人形が見えるんだね。すごいねぇ」
そう言いながら彼の頭に手をのせて撫でてくる。
そんな姉に人見知りする彼は少し緊張しながら、じっと固まっていた。
「この人形はね、木崎家に代々伝わる物なんだって」
やがて姉は、母親をちらっと見てから、自分にへと顔を戻し向き直りこう伝えた。
「そうなんだ……」
と、それだけ答えたが、その時、彼はそういう事を聞きたかったわけではなかった。
もっと別の何かを知りたかったのだ。それは……
「どうしたの、雪ちゃん? まだ何か気になる事があるのかな?」
人形を手に持ち、一歩前に踏み出してきた姉は、今も不思議そうに首を傾げたまま身を潜める彼に、そう伺う。
「う、ううん……ない……」
「そう……?」
そう言ったものの、気になる事は確かにあった――
彼はまじかに見えるその人形を凝視して、やがて体の芯が冷えるような怖気を感じその場から逃げるように駆け出した。
「あぁ……やだ!」
「え、雪野……ちょっと……」
彼は人形に存在する何か異様なものを幼心に感じとっていたのだろう。
その時、人形はなぜか彼の目からぼやけて見えていたのだ。
この日の出来事が、彼が初めて人形を見た日でもあった。
彼はその異様な光景に目をこすりながら、
「あれ? 人形……」
見えたり、見えなかったりする、常に姉の手に持たれている和人形を不思議そうに見ていた。
これはまだ、雪野が四、五歳頃の出来事である。明らかに普通ではないもの。そしてあまりよくはない感覚……そんなヒヤヒヤする体験をしつつも、いつの間にか、はっきり見える様になる人形に慣れていったのか、そんな出来事があった事さえ雪野は次第に忘れてしまったのであった。




