015 任務二日目の夜
帰宅し、二階の部屋に集まった雪野達は小羽を心配し、羽が消え少しだけ落ち着いた彼女の様子を見ていた。季流はそこで声をかける。
「小羽さん、少しいいですか? 前もってですが言っておかなくてはいけない事があります。覚悟しておいてほしい事があります」
「はい……なんでしょうか?」
「時には……村人達ともちゃんと向き合う事が必要かもしれませんよ。喧嘩する勢いで、あなたが心の底から思う不満やその他の想い、自身の願いをあなたを否定する彼らに伝える事が必要です。あなたが本当にこの問題を解決したいと思うのなら、自分が一歩踏み出てみる事が重要なんです。それが例え辛い事でも、誰にも分かってもらえないとしても」
瞬間、悩ましく俯く小羽がいて花月が口を開いた。
「大丈夫です小羽さん。今は私達が付いていますから。何でもすると言いましたよね。力になると。私達はその為に来たんです。小羽さんの抱える問題を解決する為に頑張ります」
「そうそう、小羽ちゃん……君が望むなら最悪この村を離れて保護を受けられる所もある。だからできる事はやってみようよ。小羽ちゃんの力を村の人全員が認知しているなら、なおさらちゃんと理解してもらわなければいけない。小羽ちゃん自身の事もね」
「はい……」
今の小羽に前向きに考えろというのは無理な話だと分かっている。自分達でさえ小羽が置かれている現状を見て理解してもらう事は難しいと思ったのだから。それでも……最後まで諦めずどうか勇気を出してほしい、雪野はそう思った。
「では私からは以上ですので無理はせず考えてください。全てあなた次第ですから……」
小羽を見据えそのまま部屋を出ていく季流を見て、雪野も二人を残し部屋を抜け出した。
「あー、あの、お兄さん、ちょっといいですか?」
声をかけた時には季流は自分の部屋に辿り着いていて、そこは一人が寝るために用意された一室、雪野や花月たち同様の和風で小さな部屋だった。
「はい? 何ですか、雪野くん?」
「話があるんですが……いいですか……?」
「えっと……その様子からして何かめんどくさそうですが、まあいいですよ」
自分の表情から何か察したのかでそんな言葉を吐く季流に雪野は、なんかバカにした感じで軽くあしらわれそうだと覚悟しつつ部屋に入った。
「これは真剣な話というか、相談なんですが……」
「はいはい。早く言ってください」
「えっと……俺、家についてからも、ずっと小羽ちゃんの為に何か出来ないかって考えたんですが何も浮かばない。俺はどうすればいいんでしょうか?」
「はあ……何そんな事で悩んでいるんですか? あなたにできる事なんて最初からそんなにないでしょう?」
「はい。そうでございましたね。そんな言葉がお兄さんから返ってくる事は分かっていたんですよ。分かってて聞いたんですがほんとに何かないんですかねぇ!」
「ありませんよ。バカですか? それは自分が一番分かっている事でしょ?」
「……どうせ、役立たずですよ、俺は。お兄さんみたいに【変物】とか退治できませんし!」
「今、その力で何とかできるわけでもないでしょ」
「花月みたいに怪力でもないし」
「それも同じ。私達の力であっても出来ない事はどうしたってできないんですよ」
「それでも、力がないよりあった方がいいですよ。何もできないよりは……」
じろーっと半眼で見つめてくる季流は次に言った。
「はい、そうですね。あなたにできる事なんて普通の人ていどでしょう。いやそれ以下ですか?」
「ひどい……」
肩を落とす雪野に対し季流は変わらぬ堂々とした態度で次にこう告げた。
「はあ……いつも言っているでしょう。あなたは流され過ぎだと。ダメな時はやっぱりだめでうまくいく時はうまくいく、そういうものなんですよ」
「もっともなこと言ってますけど……それじゃあ今のままで変わらないような……」
お兄さんは分かっていない。どれだけ自分がいま人を助けるだけの力がほしいのか、何かを取りこぼさないだけの〈何か〉を求めているのか……このままではいけないんだ!
「それでも、諦めたくないんですよ! 諦めてほしくないんですよ……」
「そうですか。それじゃあがんばりなさい。いま自分にできる事を精いっぱい考えてみなさい。あなたが頑張ると強く決意したその結果、何も変わらないと思ってしまうという事はあなたが既に小羽さんの事にしっかり考えているという事です。人の為に自分も真剣に悩んでしまうという自身にとっても周りにとっても、めんどくさいあなたの性格はあなたの数少ない長所だと思いますよ、私は」
思わずイラつくが何だか悪い気はしない季流の言葉……うまく言いくるめ様としている気もするが、それでも季流が先程から言葉は最もの事で力のない自分には、今は人並みの事でも人以上にしてのけるそんな意気が必要だった。
「お兄さん……」
「小羽さんの為にできる事は限られています。私や花月の力なんて何の役にも立たないでしょう。そんな中で私も考えています」
「そうですよね……なんか、すみません」
「あなた一人だけが小羽さんを守りたいわけじゃないんです。自分ひとりの力ではなく、私たち全員の力で小羽さんを守ってあげましょう」
こちらの心を見透かす様な彼の視線に雪野は心の揺らぎを隠す事ができず返した。
「はい……」
自分にできる事それは何だろう? これからどうすればいいのだろう?
結局、答えは誰にも分からない。そんなどうする事も出来ない問題は今までだって……自分の現状からも当たり前の様に身近に存在している事なのだと雪野は思い出していた。
この後、何も進展がないまま時間が過ぎていき、昼過ぎ帰宅した小羽の父親によれば……
「患者達の容体はよくなりそれぞれ帰宅しました。琥珀石は戻って来て本当に良かったんですがこの後、村の者達との話し合いが行われまして、小羽の存在によって今回の事件が起きたと訴える者達がいて口論の末、小羽の処遇に関しては今後も警戒していく事になりました。明日の儀祭についても問題視されましたが〈虫使い〉の怒りを鎮める為にも行う事に決定しました」
「そうですか」
「皆さん、きっとこれからも小羽の現状は変わらないでしょう。ですので、これ以上は……」
「決めるのはまだ早いですよ。最後まで信じてください。我々の事、そして小羽さんの事を」
「ええ……」
「では、こうしましょう。明日の儀祭が無事に終わったのをリミットにします。そして小羽さんの意思に従い任務を続行するか決めますが直接、私達が彼女を守れるのは今この時だという事を忘れないでください。この後どんな事があっても我々は保証できません」
季流の言葉に自分も横にいた花月も父親も目を丸くしていた。
「あ……分かりました……」
そして小羽本人は俯きこう呟いた。
「その時は、仕方ありません……」
もし小羽自身が諦めてしまったら雪野達はもう彼女に何もしてあげられなくなる。
ただ普通に暮らしたいという彼女の想いは今回の事件でより遠ざかってしまう。
こんな中途半端に終わらせてもいいのかと雪野は声を上げた。
「お兄さん!」
「なんですか、雪野くん?」
何か理由があるのかその時、目を細め笑みを浮かべる季流がいて雪野は押し黙った。
「いえ……」
話し合いの後、窓の外の勢いよく落ちていくその雨空をぼんやり眺めた。その薄暗さやノイズの様な音から雨粒の冷たさを思い出す。それは雪野の想いや小羽の願いなど嘲笑いまるで諦めろと言っている様であった。
「結局、期待させておいてうまくいかないのか……いや、何とかして見せる」
その夜、雪野は寝床で座り込み人形を目の前にして問いかけた。
「お前なら何とかできるのか……人を傷つける以外に何かできないのか?」
人形は主を守ると言われ、自分の傍から一時も離れないそれは厄介な物でしかなかった。
なぜ自分が選ばれてしまったのか? きっと人形に選ばれた先代達もそう思っていた筈だ。
この呪いに対してこれは幸福の人形なのだと思い込む様にしたのだろうか?
「お前が呪いの人形じゃなく俺を守る為にある幸福の人形だというのなら、その力を見せてくれよ。小羽ちゃんを救う手助けを……」
雪野は途中で言葉を止めた。
「なんて、答えてくれないか……って、ああ! ダメだこれは!」
部屋の中で一人、自分が人形にお願い事をしていた事が恥ずかしくなる。
「あっ……」
その時、立ち眩むのはあまり寝ていないせいか、または人形がそうさせているからか、静かに倒れ込む雪野の意識はやがて完全に深い所まで落ちていったのだ――
「うぅ……あ、あれ?」
目の前に映るその光景を見て嫌な気持ちになる。それは酷くおぞましく、できれば起こってほしくなかった光景だ。これは夢、自分が姉の死を招いてしまった事を知らしめる悪夢だ。
「お姉ちゃん……」
そう呟く無力な子供を雪野は見ている。そして彼の視線の先には姉がいる。
畳の上に横たわりもう動きはしない姉の姿がある。
もう何度、自分はこの夢を見た事だろう。
「う……」
目は薄く開かれ手は転がる和人形へと伸ばされていた。
姉と同じ様に横たわる和人形はまるで見つめる様に幼い自分の影を見ていた。
「嫌だ……」
何が嫌なのか? それは死が訪れたから?
自分の死じゃない死に戸惑い、悲しみ、恐怖した。
「なんで……なんで……」
姉は死んだ。これは最初の死……お前が招いた最初の罪。
「黙れよ」
お前のせいだ……
「黙れ!」
一瞬うかぶ誰かの言葉、自分自身の思考のような声に雪野は不愉快に返す。
「黙れ……黙れ、黙れ!」
お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ!
「うっ……」
そしてまた聞こえるのだ。繰り返し、繰り返し、繰り返し繰り返し――――
「黙れ黙れ黙れ! 黙れよ!」
そして……次に醜い歪んだ音は、声は、意思は、よく分からない闇は言う。
ではこれは一体誰のせいだ……と問いその後、姉と一緒に遊んだ光景が周りに散らばり、記憶の花火が色も音も薄れやがて消えていく。
「もう黙れって! こんなの見たくない……」
静まりかえり姉の死体だけが最後には残され、ぽつりとまた呟かれる。
お前のせいだ、彼女はお前の身代わりに死んだんだ。
「黙れって、言っているだろう!」
『聞きたくない、こんな光景見たくない。もう嫌だ! 姉の命と引き換えに自分が生き残る結果なんて嫌だ! 自分のせいだ。全部自分がいたから、自分のせいで自分が悪いんだ!』
そんなどこからか響いてくる声、それはとても近く自分の内から響いてきている声。
そんな自身の声にのまれる自分がいる。見えない闇が自身を蝕む様にその場に溢れる非難に、自分を責め立てる言葉に雪野は頭を抱え思いっきり声を荒げた。
「うるさい、黙れよ! もう黙ってくれ、よ……」
途端に静まりかえる声と共に姉を残して周りの景色が消えていく。
こうなったのは、こうなったのは、こうなったのは――誰のせい?
そう問いかけてきた声は自分のよく知るもので、雪野はふと目の前で転がる姉の目がこちらにしっかり開かれている事に気づき声すらあげられず震える。
それはゆっくりと起き上がり動けずにいる雪野の顔に触れる。そして……間近で目を合わせ、血を流し肉が、骨が露になった腐敗していく姉はこう囁くのだ。
「雪ちゃんのせいだよ。全部こぉうなったのはぁあああぁぁ」
「あぁあああああああああ!」
崩れ落ちていく姉の姿に目を背け雪野はしゃがみ込んだ。
いやだ、いやだ――という声がする。それは幼き自分の心の声?
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……生きているのが、もう……嫌だ。
これはずっと、あの日から変わらない自分の言葉だった。
真夜中ある人影が家の外へと出ていく。そして一時間たち彼女は再び家に戻って来た。
そっと玄関の戸を閉め靴を履き替える丁度その時……
「ねえ、何してきたの?」
「わぁ!」
急にかけられた声に思わず声を出しかけた裕子は口を押えた。
「誰? また小羽なの?」
裕子の質問に彼女と同じ様に声を抑えて相手はこう返事した。
「違うよー、裕子さん。正解は……私だよ」
玄関横の曲がり角から出てきた、長い黒髪を日中とは違い解いたニコリと笑う少女の姿に裕子は記憶を辿る様に聞いた。
「あなた、小羽が連れてきた……確か、花月さん?」
「はは、そんな事よりさぁ。明日本当に実行するつもりなの?」
「何をよ……?」
沈黙は彼女を苛立たせ妙な不安をあおった。
「何か言いなさいよ!」
「あははは。そんな大きな声出したら、みんな起きちゃうよ?」
「そんな事より早く答えなさいよ。あんた、何が言いたいのよ!」
「じゃあ、ちゃんと私の質問に答えてよ。外でしてきた事とかさ」
「まさかついて来てたの?」
「いや、私はここにいたよ。だけど何となくあなたのしようとしている事は分かる」
「それで私を止めるつもり? それともこの事を小羽にばらす? 家族や皆に言う?」
すると……警戒した裕子に対し彼女は不思議そうにこう漏らした。
「なぜ私がそうしなければいけないの?」
「え?」
「私は別に止めたりはしないよ。これはあなたの問題、そして意地。そうしたいのならば好きなようにすればいい。妹を持つあなたの気持ちは私には少し分かる」
「な、なによ。まるで知ったような口ぶりで……」
「ただ……」
裕子の言葉を遮って彼女は神妙な雰囲気で彼女に近づいた。
「人外の物にも気を付けた方がいいよ。この世界は不思議な事だらけ、呪いやら【化け物】やら、普通に存在しているからね。私の存在もその中に含まれている……」
そんな忠告、脅しの様な言葉に息をのむ裕子を見て、彼女は不意に薄く笑み後退した。
「じゃあ、また明日ねー」
彼女が去っていった後、裕子はしばらくその場で考え込みいつの間にか震えていた腕が落ち着いたのとほぼ同時に、覚悟を決め外へと顔を向けた。そして動き出した。
雨が止み、雲の隙間から明日完成する丸い月の光が零れだしていた夜、小羽は物音をたてないよう、二匹の猫も踏まない様に気を付けそっと暗闇の中から廊下へと抜け出した。
「明日で最後……私は……」
昼間の出来事を何度も回想し底知れぬ不安や恐怖が押し寄せてくる。心の整理がまだできていないからだろう。自分の存在についての自問自答は何度もしてきた。だけど実際、真実を目の当たりにするとどうすればいいのか分からなくなる……
今こう思うのは私の意思だろう。そんな当たり前の事さえ疑いを持ってしまう。
「きっと、大丈夫。きっと……うまくいくわ」
自分が動揺しないよう何も喋りかけてこない沙耶の優しい気持ちが伝わって来ていた。だからまだ自分は自分だと、この苦しさが何より自分である証拠なんだと思ったのだ。
ふと、前方に人影を見つけ小羽は足を止めた。振り返る相手はこう呟いた。
「眠れないの?」
誰だろうと目を凝らす小羽は、縁側の窓から照らされる月光により彼女を捉えた。
「あ、花月さん……起きていたのですか?」
「……」
「あの……月を見ていたんですか……?」
「ん? そうだよ。きれいだからねー」
明らかにおかしな違和感。口調が……
「あの、どうかしたんですか?」
「ちょっとね。目が覚めたものだから、そこらへんを歩いていたんだよ」
「そうなんですか……?」
「明日も色々とありそうだね。まあ、気楽に考えていきなよ。私みたいに。ふふ」
花月はこちらを向きにこっと微笑んだ様に思えた。
これは本当に花月なのか、明らかに喋り方といい様子が変だ。まるで別人のよう……
小羽はふと自分の中にいる〈虫使いの少女〉を思い出しその考えを口に出してみる。
「あなたは……花月さんではない? 誰、なの?」
「さあ、誰だと思う?」
その顔長い髪や和服などの特徴からそれは間違いなく花月であった。
なぜだろう? 自分の中にいる意識は心配する必要はないと促している様で……
「少しだけ、いいですか? 一緒に月を見ていても……」
「ん、いいよー」
あっさりとした返答を聞き、小羽はそこで彼女の元へと寄った。
「今夜は闇が強そうだ……」
月を見つめそう呟いた彼女に、小羽は話しかける事もせずただ立ち尽くしていたのだ。
「お姉ちゃん……」
怯えた様子で子共は姉に訴える。
「お姉ちゃん!」
「雪ちゃん、どうしたの?」
「また、それ……」
子供が指で示したのは少女の手に持たれている和人形であった。
古くから木崎家にあるというその美しい人形はどこか怪しい雰囲気を漂わせていて、子供は不気味でしょうがなかった。
「雪野ちゃん、またこれが怖いの? これはね、木崎家に伝わる大事な人形。だから雪ちゃんは絶対に触ってはいけない物だよ。分かった?」
「前も聞いたよ」
「そうね。でも何度でも言うよ。これは雪ちゃんが触っちゃうととても危険な物だから」
「何で?」
「雪ちゃんの病気が悪化してしまうから」
「んん……?」
不満そうな顔をする子供に少女はふいに笑って言う。
「でも雪ちゃんはすごいね。これは本来、選ばれた者にしか見えない物で、誰にも触れられない様になっているんだよ」
「選ばれた者……?」
「そう。雪ちゃんは見えるから特別なの」
「特別、僕は特別……」
「うん。雪ちゃんは特別よ」
その特別がどういう意味を持っていたのか、その時の自分はまだ理解してはいなかった。
雪野は宇宙の様な空間に広がる点々として散らばるキラキラとした過去を見つめる。
もう何度も見てきたこの悪夢にうんざりしながら雪野は呟く。
「ああ……またか……」
子供の頃の自分と姉の姿を目の当たりにして雪野は疲れた顔をして立ちつくす。
走馬灯の様に移り変わる映像に胸が苦しくなる。まるで心がすり減っていく様で……
「お姉ちゃん、一緒に遊ぼ!」
「いいよ~。雪ちゃん」
呪いに侵されながらも心から笑う事ができていた自分の姿に、まだ何も知らなかったあの頃を羨む様な、懐かしむ様な、希望の様な温かさを感じながらも、この楽しそうな思い出の先に待つ残酷な未来を想像して雪野は目を背けたくなる。
「やめろ……」
流れる記憶は今、病気が悪化し寝込む事が多くなった子供の自分を映していた。
やがて全く動けなくなり、後はただ死を待つだけだと周りも自分自身もそれを覚悟して、『死にたい』と弱音を吐いてしまった最後の光景へ……
辿ってきた記憶順に光が徐々に失われ宇宙が広がる。
そして最後の時、意識を無くした自分の傍に寄り添う姉の姿が灯された。
「今から、私がやる事に雪ちゃんは何も気にしなくていいからね」
ぼんやりと耳にした救いの様な姉の優しい声。
「いいわけない。そんな事お姉ちゃんはしなくてよかったんだ……」
何とか目を開くがぼやける視界はその姿をしっかり映してくれなかった。だけど死ぬ寸前、必死に姉の姿を見ようとしたんだ。手を伸ばし自分は大丈夫だと伝えようとしていた。
「だめだ……こんな事……」
あの時、姉は笑っていたのか泣いていたのか分からない。何を考えていたのか自分は何も理解していなかった。ただこれでお別れなんだと安堵しながらも寂しいと感じていた。
「雪ちゃん、もうすぐさよならだね、お別れだね。なんだか悲しくなるね……」
死に対する不安や恐怖を姉の存在が和らげてくれた。
あの時、姉の言葉の意味は今なら理解できる。
「でも、これで雪ちゃんは楽になれる。だから私は――」
子供の手を握りしめ一瞬見せた微笑みの理由は――身代わりの死だった。
「あの時、死んでもよかったんだ! 本当にもういいって思っていたのに、だから大丈夫だって伝えていたのに、もう諦めてしまっていたのに……」
ぼやけていく景色の中、目の前の姉は人形を手にして何かを呟いていた。
「お姉ちゃん、ダメだ!」
雪野が叫んだ瞬間、周りの世界が暗闇へと包まれ沈黙が訪れた。
「やめてくれ!」
辿り着くその夢の結末は……光の塊が膨れ上がり次の映像が流れだす。
子供はふと目を開きひきつった顔で言葉を漏らした。
「お姉ちゃん……」
そこは子供部屋。まるで入れ替わりの様に横たわる姉の姿に子供は状況が理解できず、その恐ろしい光景にただ立ち尽くす事しかできなかった。薄く開かれた姉の目線の先に、放り出されている腕の先に、あの和人形が彼女と同じ様に転がり雪野を見ていた。
「人形……」
幼い頃の感じた違和感は確かなものになりその存在から目が離せなくなった雪野は、この瞬間から人形に取りつかれた。それは呪いの始まりだった――
「これが、特別……か……」
――これは誰のせいだ、こうなったのは誰のせいだ。
――お前がいなければ、お前さえいなければ。
――こんな事にならなかったんだ。
責める声、深まる声、巡り繰り返される光景はより闇が広めていく。
人形は決して幸福の人形なんかではなかった……




