告白
風で花が揺れる音だけが響く中、ルフト様は手にした紅茶を飲み干した。
言葉も出ずに見つめる私の前で、東屋の影がかかる青紫の瞳が柔らかく細められている。
「だからと言って、我はお前を諦めるつもりはない。
すでに伝えている通り、リボンが他の騎士のものとなっていても我の妻とするつもりだ。
リファナ神が騎士に試練を与えるため、女性のリボンを別の男に結ばせる場合もある。間違いだったと認めても良いからこそ、婚約破棄も認められているからな」
赤髪の王子殿下は新しく淹れ直された紅茶を口にして、ふうっと一息ついている。
約束を破ったなんて謝るべきだと思うけれど、私は今、頭の中で堰を切ったように溢れてきた映像と音を追うことしか出来ない。
『先生、ルーちゃんは? ルーちゃんはどこに行ったの?』
小さなころ。
ようやく全身を保護していた包帯が取れて、孤児院にも馴染んだ頃に。
私といっぱい遊んでくれた赤い髪の少年は、来てすぐに引き取られていった。
『 』も『 』も、家も、何もかもをなくしたばかりだったから。
いなくなった男の子のことを考えるだけで寂しくて、孤児院を出ていくことが幸せになるためだなんてわからなくて、ひどく泣いた。
『ルーちゃん』
気さくに呼びかけると嬉しそうにしてくれる男の子を、連れ回していた。
枯れ草になって捨てられてしまった指輪のことも。
彼がほんの少しの間だけ、私のそばで遊んでいたことも……溢れるように思い出した。
「……ルーちゃんが、すぐに、どこかに行っちゃったから。
もう会えないって、……思って……思い出せなく、なって……」
泣き疲れたのか、起きたら先生に抱っこで運ばれていた。
目を覚ましたら、先生は私の頭を撫でた。
『何度も傷つくことを覚えて、心が成長するまで仕方ありません。
……きっと神のご加護があなたを守っているからこそ、辛いものを奪い去っていくのでしょうね』
私は、何を思い出せなくなったのかもわからなかった。
孤児院のみんなもいなくなってしまった子供の話はせず、私たちは養父母に引き取られることを次第に覚えていった。
「ルーちゃんが、……ルフト様……?」
椅子を後にし、私の隣に彼が立つ。
思い出の中の少年を確かめたくて顔を上げた私の頬に、十五歳になって凛々しさも感じるルフト様が、ハンカチを差し出して触れた。
赤い髪の、青紫の瞳の、小さい頃からちょっと偉そうだったルーちゃん。
……彼の面影が、涙で滲む世界の中でようやく重なる。
心配そうで、でもどうしていいかわからないみたいに表情を歪ませたルフト様は、瞬きのたびに溢れる大粒の涙を拭おうとしてくれた。
「そうか。……我は遠い思い出の一人になったのだとばかり思っていたが。離別のせいで、ディアから記憶ごと消えているとは思いもしなかった……」
ハンカチを受け取ったけれど、小さい頃に流し忘れたみたいに涙が止まらない。
幼馴染のルーちゃんに頷くと、手を伸ばした彼が椅子に座ったままの私をぎゅっと抱きしめた。
「泣かずとも良いぞ、ディア。お前は我を思い出したのだろう。
約束を違えられた苦しみよりも、お前の涙を見た今の方が苦しい。……我もお前に、もっと早く会いに行けばよかった」
「……なんで……なんでルーちゃん、会いに来たり、してくれなかったの?
うちの食堂でも孤児院出身の子で、遊びに来たりする人、多かったのに……」
「我は政治に関わりがない立場とはいえ、王族がただの食堂の娘に懸想していると知られては、お前も安心して生活できなかっただろうからな。
神の定めた『婚約の儀式』が終わったから、我も動き始めた。……リボンを理由に、護衛も誰もを動かせるからだ」
きっと最初からルフト様にリボンを結んでいたら、過去に出会っていたことを今のように伝えてくれて、彼の将来の伴侶として守られたのかもしれない。
でも、そうならなかった。
神様が与えた不思議な縁に想いを馳せていると、私を抱きしめる腕の力がより強くなった。
「……ディア、改めて伝えるが、お前を妻にしたいと願い続けた歳月は誰にも負けない。
サフィーナとのデートも、バリオンとのデートも忘れて、もう我を選べ。いいな」
私はルフト様のことを忘れて、リボンを渡す約束も破ってしまった。
きっと彼なら、私を幸せにしてくれるはずなのに。……胸の奥はずっと同じ音を刻み続けている。
「……幼馴染のルーちゃんにだから、正直に言っても、いい……?」
「うむ。リボンを結び直すか」
「多分、初めて恋をした人がいて……その人のことがまだ、好きだから……。
何もせずになんて、諦められない……だから結び直せないよ……ごめんなさい……っ」
答えに小さなため息を漏らしたルフト様は、それでも私を抱きしめたまま慰めてくれた。
小さい頃に一緒に遊んだルーちゃんと、大きくなって再び会えた。
嬉しいのに、その気持ちは異性へのドキドキじゃなくて、友達の腕の中と同じ安心感だから、簡単に『結び直す』なんて答えられない。
これ以上の気持ちをどう伝えればいいか悩む私の耳に、彼が苦笑を聞かせた。
「リファナ神は我にも試練を課しているのだろうな。……今や誰にもお前を奪わせまいと必死だ。お前を振り向かせるために、もっと努力せよと言われている気分だ」
「ルーちゃんがもっと格好良くなったら、ちゃんと男の人に見える……のかな……?」
「バリオンたちと比べると、我は子供に見えるぞ。あいつらと並ぶたび、我の背が足らぬことは自覚しているからな。
しかしいいか、我はすぐに背が伸びる。お前が『早く選んでおけばよかった』と言うような男になる未来は遠くないぞ。我の兄が実際にそうだからな」
私の背中をポンポンと軽く叩いてから、ルフト様は離した。
私がサフィーナさんに婚約破棄を聞かされたときと同じ、辛い気持ちのはずなのに。
それでも無理を言うことなく、ルフト様は色の溢れる中庭を背景に、明るい笑顔を見せた。
「リボンを結ぶ相手を悩むことを許可する。
ディア、お前はとことん納得してから我の手に落ちよ。
我はすでに十年近く待った。今更あと少しを待つくらい、我にとってはどうと言うこともないからな」
「……約束、忘れてごめんなさい、ルーちゃん」
「やむを得ない事情があったのだから、仕方がないだろう。
サフィーナ相手に感じている淡い恋が通り過ぎれば、やはり幼い頃からの勝手を知っている我が良くなるはずだ。
初恋は実らないとも聞くからな。こればかりは、我は二度目で良い」
「そこは格好よく応援したままでいて欲しかったな……ルーちゃんも、私が初恋なんでしょ? ルーちゃんだって意地悪したら、神様に叱られて、実らないかもしれないよ?」
「我は実るとも。振られたお前を徹底的に愛しぬくからな」
同い年の王子様が、私の目元に手を伸ばす。
少しだけ残った涙を拭って、真正面から、少しだけ大人びて甘い笑顔を浮かべた。
「お前はその時、初めての恋を忘れるほど情熱的に、我に恋をしているはずだ。
なれば我とて、お前に初恋を超える二度目の恋をするだろう。
幼子の初恋同士ではなく、大人の二度目の恋同士となれば良い。……そうでなくとも、必ずこの恋は実らせてみせる。我は第二王子として、お前の婚約者相手にも有利をとっているからな」
自信満々の言葉があんまりにも強気だから、二人で笑ってしまった。
ハンカチで改めて顔を拭いたけど、ルフト様の作戦は私も知っているから、口にしてしまう。
「サフィーナとバリオンに、おやすみを取らせない戦法で戦うの?」
「そうだ。言っておくが二人とも、今日は姉上と共に地方出張の真っ最中だぞ。
万が一にでもお前との時間を邪魔されるわけにはいかないからな、我が姉上に頼んで出かけさせてやった」
「ねえルーちゃん、もう作戦使ってたの? 出張までさせるなんて、ずるくない?」
「普段行使しない権力は、こういった『いざ』という時のためにあるのだ。なんとでも言うが良い」
ひどいけれど、お仕事だからバリオンもサフィーナも従っているんだろうな。嫌だったら上司として、友人として、彼らなら物申していそうなものだから。
……そういった意見もルフト様は聞ける人だって、言っても受け入れてくれる人だって、おままごとを一緒にした私にも、なんとなくわかる。……私のハチャメチャなおままごとにも付き合ってくれたように、ルーちゃんは誰かの意見を取り入れることにも長けている人だった。
相手と分かり合っているからこそ通じる戦法を繰り広げる王子殿下は、堂々と笑った。
「さあ、茶会を仕切り直そうか。我も調べていたとはいえ、お前のことをつぶさに知っているわけではないからな。聞きたいこともまだまだ多くある。
茶の味はどうだ。お前が好きな茶があれば、次はそれを運ばせようと思うが……」
「じゃあ、このお茶がもう一杯飲みたいな。初めて飲んだけど、とってもおいしかったよ。
そうだ、食堂のメニュー選びにも使うから、珍しいお茶があったら教えてほしいな」
「珍しいものなら花が開くものもあるぞ。ガラスの茶器の中でほどける様が見事だから、ディアも気にいるだろう」
「お茶なのに、茶器の中で花が咲くの!?」
綺麗な中庭に、明るい話題が広がる。
王城のお茶会は、思っていたよりもずっと楽しい話が続いた。
ルーちゃんがお城を紹介してくれたり、楽しいデートをしていたら、夕方までなんてあっという間に過ぎていってしまった。




