偶然の出会い
夕暮れ色も綺麗な廊下を歩いて、ルフト殿下が普段訓練しているちょっとした裏庭も教えてもらった。
社会見学じゃ絶対に来られない場所だなんて教えてくれた場所には、歳の近い女の子が二人ではしゃいでいる。
「「あっ、ルー兄様だ!」」
「リッツ、オルスト、ここで遊んでいたのか」
国王陛下には子供が大勢いるから、ルフト様にも腹違いのご兄弟姉妹が多くいる。
幼いお姫様たちはボール遊びをやめて、我先に兄の元へ駆け寄ってきた。
リッツと呼ばれた可愛らしい少女がルフト様に手を伸ばすと抱っこしてもらって、彼の首に甘えるようにギュッと抱きついている。
「リッツずるいー! 私も、私も!」
「やだぁ、もうちょっと! まだルー兄様の抱っこ、始まったばかりなの!」
「こらこら、喧嘩するでない。オルストも抱っこしてやるから、順番にな」
「「わーい! 兄様、大好きー!」」
ルフト様が過ごす微笑ましい光景に、ほっこりする。
オルスト様が弾けるように足元から離れて、ボールを取りに行く。
駆ける妹君を目で追った、その時だった。
「じゃあルー兄様のお友達、一緒にあーそぼー!」
子供の瞬発力は並大抵じゃない……妹君は答える間もなく手にしていたボールを投げた。
普段ならドッジボールも得意だけど、お城の中だから、上品にしなきゃと思って両手で鞄を提げている。
まずい、顔で受ける!
バシィッ。
何が起こるか分かりながら、少しでも身を捩った。
その背中が何かに当たって、ボールがぶつかる音がして……でも痛くても仕方ないと歯を食いしばったのに、顔に衝撃は来なかった。
「……?」
妹君を抱えていたから咄嗟に動けなかったルフト様が、息を呑んで動揺している。
私が背中にぶつかったと思ったのは、人の体だった。
騎士の制服を着た誰かが腕に抱えてくれて、顔に当たるはずだったボールはすぐ近くで受け止められている。
走ってきた妹姫が手を伸ばしたからボールが返されると、泣きそうな少女の頭を、背の高い誰かはポンポンと優しく撫でた。
「オルスト様、たとえお友達であっても突然ボールを投げられては驚いてしまいますよ。今後は気をつけましょうね」
「うっ、うん、お姉さん、ごめんなさぁい」
「大丈夫ですよ、当たっていませんから気にしないでください」
なんとかお返事したけれど、オルスト様を穏やかに諭した声を私は知っていた。
ルフト殿下が妹姫を下ろすと少女たちは逃げ出してしまったけれど、体が離れても鼓動が速くなって、まさか、まさか、なんて考えてばかりで身動きもできない。
「……なぜお前が戻ってきている」
「フィオリ殿下の護衛は十分だからと、国王陛下直々にシフィン殿下の警護に呼ばれたためです。……只今戻りました」
挨拶のため前に進み出た背の高い男性が、夕日の中に姿を現す。
裏葉色の長い髪を耳元で三つ編みにした制服姿の騎士様が、私の前に立っていた。
サフィーナさんだ。
胸に手を当てて臣下の礼を取る彼に、ルフト様は苛立たしげにしている。
「ディアとのデートが今日だとは、お前にも伝えただろうに。
……よりにもよって、ここで会うのか」
「気を遣えと言われそうですから、私も念の為と思い、裏道を通りました。
ですが……ディアさんがこちらにいるとは、思いもよりませんでしたね……」
迫り来るボールから守ってくれた相手が苦笑している。
そんな琥珀色の瞳と目が合うだけで、顔が熱くなる。
ルフト様はサフィーナさんから目が離せなくなった私に気づいたらしく、大きなため息が聞こえた。
「……もう良い。ディア、行くぞ。
サフィーナ、お前もディアを守ったことを褒めてやろう。ご苦労であった」
「あっ、あのっ、ありがとうございました、サフィーナさん!」
騎士としての礼を取った彼から離れて、私もルフト様のもとへ走り出したけれど……頭の中はサフィーナさんのことでいっぱいになってしまった。
地方出張に出ていると聞いていたのに、守ってもらえた。
まるでリファナ神が引き合わせてくれたような偶然が重なったことが、胸の鼓動をより早めてしまう。
「ルーちゃん、ルーちゃん。やっぱり私のリボンを受け取ったのって、サフィーナさん……だよね……?」
思わず聞いてしまった私に、隣を歩くルフト様は眉間に皺を寄せて振り返る。
「ディア、お前のリボンを受け取ったのは我だと言っただろう。今、お前のリボンは我が所有している」
「あれ? でも手首に巻かれたのは自分じゃないって、ルーちゃんも認めてたよね?
それとも私のリボン、本当はバリオンが受け取ったの? バリオンも自分がリボンを持ってるって言ってたから……」
「……教えぬ。誰がお前の正式な婚約者か、誰がお前を一番愛しているのか、よくよく考える良い機会となるだろう」
「ひっ、ひどいよルーちゃん、私が憎いから意地悪するの?」
「お前のことが好きだからに決まっているだろう!?
……全く、お前というやつは。男女仲を取り上げたおままごとが好きだったのだから、男心も少しは理解するべきではないか……?」
ルフト様と歩いていると、気づけば馬車の前に辿り着いていた。
御者がうやうやしく頭を下げて扉を開けてくれたけれど、振り返った私をルフト様が抱き寄せた。
「っ!?」
「このままでは、またサフィーナに邪魔されそうな予感しかしないからな。……悪いが、今日はお開きにさせてくれ。
我の妹が悪かった、ディア。
しかし今日は楽しかった。また遊ぼう」
「う、うんっ、私もルーちゃんに会えて嬉しかったよ。また遊ぼうね」
お別れの挨拶にハグする国もあるから、第二王子の彼にとっては自然な動きだったのかもしれない。
私も受け入れたけれど、同じ背丈の彼から、耳元でこっそりと声がした。
「一つだけ、頼みがある。
その『ルーちゃん』という呼び名だが、二人で会う時だけにしてくれ」
王城の廊下も通ってきたのに、つい子供の時と同じように呼んでしまった。
失礼に気づいて、慌てて頷く。
「そうだよね、王子様を気軽に呼んだら、聞いた人が驚くよね。
すみませんでした、ルフト様。今後は気をつけます」
「そういう意味ではない。しかし……気づいていないからこそ、伝えがいもあるというものか」
え。
私の手を取ったルフト様が、手の甲に唇を触れさせた。
柔らかくて軽い感触なのに驚いた指が跳ねて、まるで何かを刻まれたみたいに肌を意識してしまう。
手の甲に口付けたルフト様の青紫の瞳が、夕日に照らされて光った。
「我を『ルーちゃん』と呼んでいいのはディア、お前だけだ。
……特別な呼び名だから、二人だけのものにしたい。他の誰にも聞かせたくないし、許したくない……そう理解してくれ」
赤髪の王子様が、光の中で微笑んでいる。
さっきまで友達として争っていたはずなのに、笑顔がなんだか大人っぽく見えて、流石に驚いてしまった。
「我はお前が思っている以上にヤキモチもやくし、独占欲もある。
お前にとって我は友人かもしれないが、我はお前のことを女性として見ているぞ」
素直な告白に硬直して、心臓がギュッとする。
そんな私に満足したらしく、彼は優しくエスコートして馬車に乗せてくれた。
「ではな。また食堂にも赴く」
「う、うんっ。またね、ルーちゃん。今日のデート楽しかったよ、ありがとう!」
笑顔のルフト様が離れると、馬車の扉が閉まった。
馬が走り始めたけれど、暮れていく景色の中で頭がいっぱいいっぱいになった私は壁に寄りかかりながら、彼が取った手を見つめている。
手の甲には、まだルフト様の唇の感触が残って離れない。
サフィーナさんが後ろから抱き寄せてくれた腕の力強さも、忘れられない。
でも次はバリオンとのデートが待っているし、彼がリボンを受け取った可能性も残されている。
誰が本物の婚約者か考えるたび、頭がごちゃごちゃになって抱えるしかない。
……神様。私の正式な婚約者って、誰なんですか?
お祈りする間に食堂にも到着したけれど、夜営業が始まる前に帰してくれたルフト様のおかげで、私は母さんのお手伝いもできた。
……きっと、これだけは偶然じゃない。
私のことを見守ってきてくれたルフト様だからこそ、時間がわかっていて戻してくれた。……そんな気がした。




