不安定な気持ち
私の休憩が終わるまで、ルフト様はそばにいた。
昼営業も終わると母さんにもいろいろ質問されたけれど、もう頭も心もいっぱいいっぱいだったから、部屋に逃げ込んでお昼寝をさせてもらった。
『……ティラン……』
眠りが浅いせいか、夢を……教会で懺悔する騎士の背中を見た。
全身に包帯を巻いた私は、彼によって救われたらしい。
孤児院の先生に「会ってお礼を言いましょう」と手を繋いで連れて行かれた先で、騎士は祈りを捧げている。
『ティラン、私のせいだ……あなた一人を置いて行く道を選んだ……私こそが、灰になるまで戦うべきだったのに……!』
騎士は誰かの名前を呼んで悲しみ、嘆いている。
話しかけられる状態ではなく、祈りながらただ涙するその肩に、牧師様が触れた。
『あなたのせいではない。戦禍から命を救う道もまた厳しく、険しいものだったはずでしょう。
最後まで戦場にあった騎士ティラン……彼は信じて託されたことを誇りはしても、悔いはしなかったはずですよ』
教会の窓から差し込む光に、裏葉色の短い髪を騎士は揺らしている。
『リボンを女性からもらった、恋しい女性と来年には結婚するのだと、ティランは言っていたばかりです。
なのに、生き残ったのは私になった……っ、ティランこそが生き残り、幸せになるべきだったのに……!』
牧師様に言われても納得できずに、失った誰かが戻ってくるよう騎士は祈り続ける。
心に深く傷を負った彼を見て、孤児院の先生は私の手を引き、声をかけずに戻る道を選んだ。
「……」
こんこん。こんこん。
扉を叩く音で目が覚めると、夢はそれ以上見られずに消えた。
ルフト様の言葉で孤児院の光景を思い出したからか、何もかも記憶が混ざってしまったのか、夢とも現実ともわからなかったけれど……神に懺悔する騎士がサフィーナさんに見えてしまった。
もう一度瞼を閉じたけれど、過去に出会っていたらいいなと思ってしまう心が見せた、幻かもしれない。
私は幼い頃の記憶が曖昧になっている。
戦禍に巻き込まれた際に無惨な光景が広がっていたから……心が自分を守るために、何もかもを記憶から消し去ってしまったらしい。
小さな子供には耐えられなかったのだろうとお医者様が言うのを、自分の診断だとも理解できず、何処か遠くの出来事のように聞いていた。
……でもあの日から、私の記憶は始まる。
背中にも焼きついた痛みと重さ。
熱い柱の下で、もう身動きもできなかった。
誰かに届くとも思えない声で助けを呼んでいると、大きな体で瓦礫を押し除けて、私を救い出してくれた騎士がいた。
抱き上げてもらえたのに、触れられるだけで痛いくらい、私は全身に怪我を負っていた。
『しっかり。今すぐお医者様のところに運びます……!』
優しい騎士は、言葉をかけ続けてくれた。
辛くて苦しくて……早く楽になりたいくらい、どこもかしこも熱くて……でも私を運びながら、騎士様は生きるように伝えてくれた。
お医者様に渡されても救いの手に縋ろうとする私を「大丈夫、また元気になれますよ」……そう励ましてくれた声がなかったら、生きたいと思えていたかもわからないくらいの傷だった。
あの騎士様にお礼を言いたかった。
だから全身の痛みをおしてでも歩いて、会いに行った。
先生の手を振り切って、懺悔する騎士様に声をかけられていたら。
彼に救われた命として、あの寂しそうな背中をほんの僅かでも、変えることはできただろうか。
バタンっ。
母さんが寝ぼけている私を見かねて、部屋に入ってきた。
「ディア、早く起きな! バリオンがきたよ!」
「……バリ、オン……?」
「夜営業前に少し会いたくて、わざわざ来たんだってさ。
ほら、待たせてるから早く支度おし!」
ふらふらと体を起こして、寝癖のついた髪を梳く。
身支度が終わった頃にはようやく目が醒めてきたから、急いで食堂に降りた。
「すっ、すみません、お待たせしました!」
夕暮れが窓から差し込む食堂では、茶金の髪の男性が花瓶に花を生けている。
赤く燃える夕日が彼を照らし、振り返る動作だけで絵画のように美しいバリオンが微笑んだ。
「おはよう、ディアちゃん。体調は良くなった?」
「良くなりました。
もしかして……ルフト様に聞いてこられたんですか?」
「顔色が悪かったって言っていたから、いてもたってもいられなくて。お見舞いに来てしまったよ。
殿下はお昼休みにディアちゃんに会えたのがよほど嬉しかったんだろうね、自信満々に君とあったことを話してくれた……。
でも花は持参しなかったと聞いていたから、これだけは贈りたくて。よければ楽しんで欲しいな」
飾りたての花を愛でたバリオンが、私に近づいた。
……頬に触れた指先の温もりに気づいて、思わず飛び跳ねている。
ルフト殿下もそうだけど、あまりの近さに慣れなくて、足が下がってしまった。枕の皺を転写していたのかもしれないから、頬を慌てて押さえる。
「なっ何か、付いていましたか?」
「ごめんね、顔色を見ただけだよ。
……それと……殿下が君の頬に触れたと言っていたから、ヤキモチ……かな?」
「……やきもち?」
目の前の美形から出てきた言葉が信じられなくて、復唱してしまう。
バリオンは楽しそうに笑うと、私に触れた指に唇を触れさせている。
「俺の婚約者に触れたなんて自慢そうにしていたから。殿下とはいえ許しがたくて、ね」
「……あの……っ、私、サフィーナさんこそが、私のリボンを結ばれた騎士だと聞きました。
『バリオンは長い付き合いだから、自分のために嘘をついている』……そうサフィーナさんからも、嘘を信じてはならないと殿下からも聞いています」
「……君がリボンを巻いたのは、確かに俺だよ?
鎧の手首にリボンを結んで『リファナ神の定めにより、結婚してください』と言ってくれたのは、間違いなくディアちゃんだからね」
いったい、誰が本当の婚約者なの!?
考えるほど、何が起こっているのかわからない。
混乱する私にバリオンが近づくと、目線を合わせた。
女の子なら誰でも見惚れる綺麗な笑顔が、目の前で咲いている。
「じゃあ、試してみない?
リファナ神の定めにより運命だと感じられた相手なら、好意を感じやすいのは有名な話だから……改めて俺と一緒にサフィーナと会ってみたら、俺こそが運命の相手だったってわかるかもしれない」
戸惑う私に、バリオンは片目をつぶってイタズラっぽく笑っている。
「今日はもう忙しくなるだろうから、後日改めて、ね。
ディアちゃんも俺が相手だってわかって安心したほうが、きっといいよね。
俺も……これからの人生を共に生きる相手が、俺で良かった……君にそう思って欲しいんだ」
真摯な言葉を告げるバリオンが、私の手を取った。
彼の胸に触れるように手のひらが押し付けられたけれど、少しばかり早まっている鼓動と、大きな脈動を感じる。
「ディアちゃんに会えただけで、俺はこんなにドキドキしてるよ。……どう、伝わってる?」
窓から差し込む夕日のなかで、誰もが恋に落ちてしまいそうな美青年は、紺色の瞳を緩ませている。
「こんなに恋しく感じる相手が出来るなんて、思ってもみなかった。
だからディアちゃんにも、心から俺を愛してほしい。
リファナ神が結んでくれた運命の相手だからこそ、君となら永遠を誓う関係にもなれるし……そうなりたいと願っているよ」
情熱的なバリオンの言葉は、嘘を言っているように思えない。
それに、バリオンが運命の相手なら。
彼と共にサフィーナさんに会った時、この気持ちが恋でないと分かれば……今も胸にわだかまる苦しさには、淡い初恋ではなく、別の名前を付けられるはずだ。
「……じゃあ……じゃあ、一緒に、サフィーナさんと会ってもらえますか?」
「もちろん。君もその時は、俺への素直な気持ちを感じてね。……約束」
小指を差し出されたから絡めると、バリオンと指切りを交わした。
今もまだ感じている胸の痛みは何なのか。
夢に見た騎士をサフィーナさんと重ねて後悔しているだけなのか……婚約者だと言ってくれるバリオンと向き合うためにも確かめたい。
そんな不安定な気持ちでも良いんだと、茶金の髪の騎士は甘く微笑んで、私を許してくれた。




