深まる謎
その後、サフィーナさんは食堂へ荷車を運び、荷物も一緒に下ろしてくれた。
今度は芋問屋に荷車を返却するため戻って行ったけれど、私はいつもの調子が出ないまま母さんの仕込みを手伝って、昼営業が始まった。
「いらっしゃいませー! 何名様、です、……か?」
近衛騎士を引き連れて食堂に入ってきたのは赤い髪に、青紫の瞳の堂々とした騎士だった。
行列にも並んだらしい第二王子のルフト殿下が新たな近衛兵を引き連れて、腰に手を当てている。
「五人だ。相席にならない席を頼みたい」
「かっ、かしこまりました、こちらへどうぞ!」
先ほどサフィーナさんが言っていたように、他の近衛たちにも『十三年目の婚約者』を見せにきたのかもしれない。
なるべく騒ぎにならないよう、いつも通り注文をとって母さんに伝える。
昨日と同じくじっと見られているのが気になるけれど、満席の食堂の中で忙しく動き回っていると「おい」と声がかかった。
「は、はいっ、何かございましたか!?」
「顔色が悪いぞ。ちゃんと休んでいるのか」
指摘されて、思わず顔を触った。
……そういえば昨日はバリオンの言葉があって寝不足だし、朝ごはんもあまり喉を通らなかった。
サフィーナさんとのこともあって気落ちしているし、お昼ごはんもまだだから、調子が出ないことが顔色にも出てしまったことに気づいた。
……サフィーナさんには『婚約破棄』して、バリオンと結ばれてほしいって言われちゃったんだよね……。
現実逃避したくなる言葉が、頭をよぎる。
まだ消えない痛みにお盆をギュッと握りしめると、騎士が二人立ち上がって制服の上着を脱いだ。
「え、あのっ、お客様!?」
そのまま厨房の方へ騎士たちは向かっていく。
開いた口が塞がらずに様子を見ていたけれど、ルフト殿下は堂々と自分の隣の席を示した。
「ディア、お前はここで食事をしろ。
あの二人は元々飲食店で働いていた精鋭だ。不安なら見ているがいい」
騎士たちは母さんに声をかけて……お客様にも誰にも驚かれているけれど、エプロンをつけて笑顔での接客が始まった。
「お客様、お騒がせして申し訳ございません。
本日は私どもが看板娘の代わりを務めますので、ごゆっくり食事をお楽しみください」
柑橘の香りを移したお水を配りながら、騎士たちは細かくお客様に気を配って動いている。
厨房も皿洗いや準備の回転が良くなったみたいで、母さんが次々に料理を仕上げて提供されていく。
殿下が連れてきた精鋭の動きに見惚れていると、隣の席から満足そうな笑い声が聞こえた。
「今日は働き慣れていても動きの悪いお前よりも、他店での修行を積んだ精鋭二人の方がよほど働くことだろう。
アウロンド、昼定食を持て」
注文が通って、すぐに熱々の昼定食が目の前に提供される。
アウロンドと呼ばれた男性がテーブルのグラスに水を注ぎながら、こっそりと声を落として呟いた。
「ルフト殿下はディア様のことを気にしておいでなのです。
わずかばかりの時間ですが、こちらでご休憩ください。殿下のご指摘の通り、顔色がよろしくありませんよ」
「す、すみませんっ、お気遣いありがとうございます……!」
丁寧に胸に手を当ててお辞儀した近衛騎士は、再びお客様の呼びかけに答えている。
ルフト様が見ているから、私もお祈りをしてから食事をいただいた。
「お前は図太く見えて繊細だからな。
バリオンが言い出したことが気になって、昨夜など眠れなかったのだろう」
驚いて隣を振り返ると、ふんと鼻を鳴らしたルフト殿下は椅子の背もたれに体を預けた。
「サフィーナもバリオンも揃ってお前を謀ろうとしている。
言っておくが、我こそがディアの正式な婚約者だ。甘言に誑かされるでないぞ」
え。
ルフト殿下が、私の婚約者?!
どんどん増えていく婚約者宣言に、開いた口が塞がらない。
けれど青紫の瞳は冗談を言っているわけではない様子で、真っ直ぐに私を見詰めている。
「我が孤児だったお前の婚約者だと知れば、世間の誰もが騒ぎになるだろう。
混乱を防ぐために、バリオンとサフィーナが矢面に立って隠すよう神に仕向けられている。
だから何を言われたとしても、お前が気にするようなことは何もない。我の言葉だけを信じていろ」
「まっ、待ってください、気になることしかありません。
だって私のリボンを捧げた騎士様は、バリオンやサフィーナさんと同じくらいの背丈でした。
恐れながらルフト様は、私と同じくらいの身長に見えます」
「たとえお前がリボンを結んだ相手が我でなくとも問題ない。
結婚相手に騎士ではなく市井の者を選んでも良いように、リボンなどなくても女性は婚約者を選べる。
我はすでに、心に決めた相手……ディア、お前がいると父にも伝えてある」
「こっ、国王陛下にも私が婚約者だと伝えた……?
わかりました、私の気を紛らわせるためのルフト様なりの冗談ですよね?」
一体何を言われているのかもわからなくなって、水のグラスを両手で温めるしか出来ない。
ルフト様は私に手を伸ばすと、指先で頬を撫でてきた。
生まれて初めての感触に飛び上がってしまったけれど、赤髪の王子殿下は私だけを見つめている。
「ラナイ孤児院を出たお前は、アルファス食堂の女主人の養女となった。
我はお前を見守り、時には支えてきた。……来たるべき時がようやく訪れただけだ、驚くことはない」
「え……私が孤児院から貰われてきたことまでご存知なんて、どうして……」
「我は幼いお前とも遊んでいたのだぞ。いわゆる幼馴染だ。
もちろん孤児院の名前も、お前の出自も何もかもを知っている」
孤児院で私とルフト様が、遊んだことがある?
赤髪は聖シャルルナ王国では一般的で、男の子も大勢いた。
殿下に似た子を思い出そうとするけれど、幼い頃の記憶が曖昧でうまくいかない。
「十年ほど前に生意気盛りな我と遊んだことなど、残念だがお前は覚えていないのだろうな……。
父上の事業の折に孤児院の子供達と触れあう機会を得た我は、ディアと会うたび庶民の遊びに興じた。
かけっこに石積み、缶ポックリ……手作りの道具を使ったおままごとは傑作だったな……我が家に入ると『旦那様、おかえりなさいませ。お風呂にしますか、ご飯にしますか、それとも』などと……」
とんでもなく恥ずかしい過去を暴露されそうになって、ルフト様の唇でも押さえてしまった。
満足そうな表情になった彼が食事を示すけれど、喉を通りそうにないから首を横に振る。
「そ、それは。旅の商人が『おままごとはこうやるのだ』と、私に教えたからであって。私にとっては定型句のひとつだったからですっ」
「恥ずかしがることはない。あのおままごとこそ、この愛らしい妻をいずれ娶ろうと決めたきっかけの一つだからな」
押さえているのに遠慮なく話す唇の感触がくすぐったくて、慌てて手を引く。
なのにルフト様が私の手首を掴んで、離さない。
剣を持って努力を重ねてきた……そうわかる指が、手首に触れている。
男性を思わせる力強さで私を引き寄せて……瞼を閉じたルフト様が手のひらに、柔らかな唇の感触を残した。
「ディア」
青紫の瞳は誰にも負けないほどの熱を込めて、私だけを見つめている。
「幼い頃からお前を妻にする、誰よりもお前を幸せにしたいと願いながら努力を重ねてきた。
我は嘘偽りなくお前のことを、幼き頃より愛している」
騎士としても優秀だと誉れ高い、同い年の第二王子は誰よりも強い瞳を見せて、私に囁く。
「一年後、婚儀の場で隣に立っているのは我だ。……この誓いだけは、ゆめゆめ忘れてくれるな」
ルフト様から目が離せずにいると、微笑んだ彼が私の唇を開かせて、パンを一口放り込んだ。
「少しでも迷いが晴れたなら、次は食事だ。元気を出せ。
お前が将来の誓いを忘れていたとしても、我は覚えている。今はそれだけで十分だ」
何も考えられなくなって、パンを飲み込んで柑橘の香りのお水を口にした。
殿下が告げた私の過去には、真実しかない。
赤髪の王子殿下はノロノロとでも食事を始めた私を満足そうに見ると、背もたれに体を預けて腕組みしている。
「他の騎士がディアのリボンを受け取ったのは悔しかったが、掻き回されたおかげで我はお前への愛情を再確認できた。
また会いに来るから、その時にはもう少しマシな顔色になっておけ。お前の明るく元気な笑顔を、我は気に入っている」
食堂は賑わって、私が休憩しても繁盛している。ルフト様の機転のおかげだ。
彼が本気なら、こうして私を射止めておくのも簡単なのかもしれない。……そう思わせるくらい情熱的に、赤髪の王子殿下は私だけを見つめていた。




