淡い初恋
怒涛の誕生日から、一夜明けて。
食堂の席で一緒にとうもろこしを齧っている母さんが、得意そうに笑った。
「バリオンは近衛騎士としても誉れ高い名家の坊ちゃんだ、結婚すれば将来安泰だね。幸せにしてもらうんだよ」
母さんに認めてもらえる相手なのに、信じられない気持ちで何も言葉が出てこない。
リファナ神から授かったリボンを手に、十五歳になった少女は朝日を浴びながら婚約の儀式をする。
その場で神様が運命の相手を導いてくれるけれど、終わったあとは神様の導きのようなものは感じられない。
でも運命の相手として好意を抱きやすいのは確かだから、母さんも結婚式で一目惚れをしたらしい。
……私もこれからバリオンと会ううちに、彼のことを好きになっていくのかな。
今は女の子たちの憧れのバリオンがどんな人なのかを聞くだけで胸がいっぱいになって、甘いとうもろこしも口に入らない。家柄もよくて文武両道なイケメンで性格も良いなんて非の打ち所がなさすぎて、私には勿体無い気がしてしまう。
「やっぱり夢を見てるみたい……ごめん母さん、体を動かしたいから市場に買い出しに行ってくるね。
今日が入荷日だってポーラおじさんが言ってたから、注文品を取ってくるついでにお買い物もしてくるよ」
「ああ、悪いね。私はスラムへの届け物に行ってくるよ。ポーラによろしく伝えておくれ」
ひと足さきにご飯を終えた私は、身支度を整えて出かけた。
女性は十五歳で相手を選び、十六歳で結婚する。
市場を一人で歩いているのが普通だったけれど……来年には、私の隣にバリオンがいるのかな。昨日はバタバタしてしまって詳しい話も聞けなかった。
人当たりも良くて明るい彼を思い浮かべていると、市場に置かれたベンチで見かけたのは彼の上司だというサフィーナさんだった。
「……」
振り返ったサフィーナさんの琥珀色の瞳と、目があう。
お互いに気づいたから会釈はしたけれど、婚約者の上司なら挨拶くらいする……よね?
近所のおばさんたちなら一声かけるのを思い出しながら近づくと、目を丸くした彼も立ち上がった。
「あの、サフィーナさんですよね。おはようございます。昨晩はご来店ありがとうございました」
「おはようございます。バリオンが騒ぎを起こしてしまって、むしろご迷惑をおかけしました。
ディアさんの食堂は噂に聞いていましたが、美味しい料理でしたね……是非また伺わせてください」
「はい、ご来店お待ちしています。……」
「……」
あれ、どうしよう。
目上の人との会話って、おばさまたちはどれくらい続けてたかな!?
サフィーナさんは私を見つめている。
会話が続く雰囲気になってしまったから急いで話題を探したけれど、彼が手にしたメモが見えたから市場を指差した。
「も、もしかして今日はお休みで、市場でお買い物ですか?」
「え……ええ。騎士宿舎から引っ越したので、今日は休暇なのもあって買い物をしようかと」
「騎士宿舎からお引越しですか?
独身の間は入らないといけないって常連さんが言っていたから……もしかしてサフィーナさん、ご結婚なさるんですか?!」
公にはされていないだけで『行き遅れ騎士』と噂される彼も、結婚のために独身宿舎を出たのかもしれない。
裏葉色の長い髪の男性を見つめる私に、苦笑したサフィーナさんは首を横に振った。
「騎士として勤めて長いのに、十三年も若手用の宿舎に入れているのもどうかと陛下にまで言われまして。
先日、新居を購入したばかりなので。今日は家具などを探しに来ました」
「しっ、失礼しました!」
普通は五年もあれば神様がご縁を結んでくれる。十三年は異例の長さだから、国王陛下も若手用の宿舎から追い出すしかなかったのかもしれない。
言いにくいことを言わせてしまったから、慌てて頭を下げた。
改めて反省した私にサフィーナさんは「大したことではありませんから、気にしないでください」と穏やかに笑ってくれた。心の広い騎士様でよかった。
「ディアさんは、今から食堂の買い出しですか」
「はい。この先に美味しい芋問屋さんがあるんです。
大量に買い付けるので荷車もお借りして、戻りながら市場を回って買い出しもするのが私の仕事です」
「荷車で運ぶほどの芋ですか。それは……重いのでは?」
「平気です。この通り、慣れていますから」
いつも心配してくれる人に見せるように、サフィーナさんにも袖をまくって力瘤を叩いて見せた。
「食堂の仕事は肉体労働なので、小さい頃から続けているのもあって平気なんです。
騎士様ほどではありませんが、私も常連さんたちと腕相撲をして勝つこともありますよ。意外に強いと評判なんです!」
驚いたらしい琥珀色の瞳が、少し瞬く。
しかし柔らかく笑った彼は、道の先を示した。
「では、ディアさんにはご不要かもしれませんが……力仕事なら私も得意なので、昨晩の騒ぎのお詫びも兼ねて荷車を引かせてください。男手があった方が荷物の積み下ろしも楽でしょうから、手伝いたいです」
「え、いえ、そんな。婚約の話はうちの常連さんたちも絡んでいますし、荷車引きなんかで休暇中の騎士様の手をわずらわせるわけにはいきませんよ!?」
「引越し先で初めての休暇のため、家に買い置きする食材も探していました。
食堂の仕入れに使う店なら味も品質も確かですし、よければ道案内の手間と労働力を引き換えにしませんか」
先ほどベンチに座って思案深げにしていたのは、お店を決めかねていたのかもしれない。
「昨日の今日でお会いできたのも、リファナ神のお導きかもしれません。
ご一緒したいのですが……私では駄目でしょうか」
「あ、い、いえ、嫌なわけじゃ……っわかりました、そこまで言ってくださるのならお願いできますか?
働いていただく分、いいお店を紹介しますね!」
「よかった。ぜひお願いします」
困っているサフィーナさんの提案を断る気にもなれなくて、一緒に芋問屋まで歩くことにした。
お店の中には私だけが入ったけれど、荷車を借りてお店を出るまでサフィーナさんは待っていてくれて、私の代わりに荷車を引いてくれた。
「次も重い根菜なんですけど……」
二人並んで、食堂の買い出しを次々と進めていく。
いつもは石が絡んで困る砂利道も、車輪がはまるでこぼこ道も、サフィーナさんは軽々と超えた。
最初は手を煩わせる申し訳なさもあったけれど、文句一つ言わず気さくに荷車を引いてくれるから、お互いに態度も自然になっていく。
「ディアさんは市場の皆様と親しいんですね」
「私、実は小さい頃にこの街に引っ越してきたんです。慣れずに母さんについて回る私をみんなが『食堂の娘』って呼んで構ってくれたこともあって、今は家族みたいに思っています。
サフィーナさんも「警備隊にいたから顔を知ってる、久しぶりに見た」ってアッシャーおばさんが嬉しそうにしていましたよ」
「市場の事件の担当をしていた時期に、情報提供のお願いに回ることもありましたから、アッシャーさんにも何度かお話を伺わせていただきました。
三年ほどで異動になりましたが……顔を覚えていてくださったなんて嬉しいですね」
市場のこもった空気を飛ばす風が吹くと、裏葉色の髪が綺麗に舞う。
耳元で一房だけ編まれた三つ編みも似合っていて、不思議と目を引かれた。
……あれ、どうしてだろう。
隣を歩くのは婚約者になったバリオンの上司だとわかっているのに、ふんわりしたパンに包まれたみたいな、不思議な気持ちでサフィーナさんから目を離せない。
最初は遠慮していたのに、隣を歩いているのが自然になった今は一緒にいるのが楽しい。
サフィーナさんは年上の男性らしい威圧感もなくて、琥珀色の瞳がこちらを向くたび、胸の奥がギュッとする。
……ドキドキするのは、サフィーナさんが美形だから?
それとも……違う理由?
イケメンといえば近衛騎士バリオンが先に名前が上がるけれど、昨日の女の子たちも『顔も良いし戦績もある』なんてサフィーナさんのことを話していたくらい、彼の顔立ちは綺麗に整っている。私には行き遅れる理由が見当たらないくらい素敵な騎士様にしか見えない。
そのせいかますます彼のことを知りたい気持ちになって、言葉を口に乗せていた。
「サフィーナさんは、今は近衛騎士なんですよね?」
「ええ。ルフト殿下の側仕えをしています」
「庶民の食堂に普通、第二王子殿下は出向かれたりしないですよね。
もしかして昨日はルフト殿下が『バリオンの婚約者を見てみたい』と言ったから、騎士の皆様で確認に来られたんですか?」
少しばかり沈黙があった。
……もしかしてルフト殿下に関わりがあることだから、答えにくいのかな?
気になって背の高いサフィーナさんを見上げると、彼は辛さを堪えるような表情に見えた。
「……いいえ」
どこか落ち込んだ様子の彼から聞こえたのは、静かな否定で。
「十三年も決まらなかった私の婚約者が気になるから、ルフト殿下もバリオンも見に来た……そのはずだったんです」
市場を駆け抜ける子供達のために、荷車が止まる。
足を止めたサフィーナさんに合わせて、私も彼の隣に立ち止まっていた。
「ディアさんの本来の婚約者は、私です」
手首にリボンを結んだ騎士の背は、私よりもずっと高かった。
騎士として勤めて長いサフィーナさんだと言われても頷けるくらい、動揺もせず、身動きもしなかった。
でも……バリオンが『自分が婚約者だ』と宣言したとき、サフィーナさんは困惑するだけで否定しなかった。
もし、私の婚約者がサフィーナさんなら。
バリオンの上司にあたる彼は、なぜすぐ『冗談を言わないように』と否定しなかったのだろう。
「せっかく結んでいただいたご縁ですが、婚約を破棄してほしい」
小さくつぶやかれた声に、全身の熱が冷えていく。
「……そう言える女性かどうかを、私も確かめたかったから……お会いしに行こうと考えていることを、二人に伝えてしまったんです」
手首につけたリボンを永遠の約束だと思っているのは、少女だけ。
一年の婚約期間が設けられているのは、騎士様にとっては神の試練にあたるらしい。
騎士様は守る相手を増やす心づもりをして、身の回りを整えるための行動を取れるのか。神の思し召しに応えられるのかを図られている……そう常連さんが教えてくれた。
もし、応えられない場合。
双方の合意により『別離の儀式』が出来ることは、噂を聞いて私も知っていた。
「……婚約、破棄……」
……息も詰まるような胸の痛みに、思わずつぶやいていた。
淡く、胸を押さえながら微笑むサフィーナさんの裏葉色の髪が、吹き荒ぶ風に乱される。
耳元で一房だけ三つ編みにされた髪は、彼のそばで重そうに揺れた。
「亡き友へ立てた誓いのため、私は幸せになるつもりはありません。
……共に誰かが生きる未来は、私には選べないのだとお伝えしたかった」
苦しそうに歪められた琥珀色は、瞼を閉じることで隠されてしまう。
「なのに……会うほど、ディアさんとの未来が欲しくなる」
一目惚れした母さんみたいに。
運命の相手と巡り合った感覚を、私と同じく……サフィーナさんも感じていたのかもしれない。
「心の弱さを乗り越えるための試練を神が与えている……そう思うのに。
恋をしてはならない相手を神は選ばないはずだと、自分に言い聞かせて……昨日は結局、解消を切り出せずにいました」
誰かに恋をしたら幸福で、『婚約の儀式』では好き合う相手と巡り会えることしか考えていなかった。
ふわふわと甘いパンに包まれたような気持ちは、きっと私にとっても初めての淡い恋で。
なのに婚約を破棄してほしいと言われる痛みなんて、知りたくなかった。
呆然とする私を見て、同じ痛みを堪えるように微笑んだサフィーナさんは、遠くに見える王城に目を向けた。
「バリオンとは長い付き合いなんです。
……誓いのリボンをもらっていなくても自分が婚約者だと言い出したのは、私が揺れるのを見ていられなかったからかもしれません」
神様が選んだ騎士は。
手首に結ばれた思いに苦悩した末に、頭を下げた。
「婚約破棄の後、他の騎士と恋仲になり結ばれることも往々にしてあります。
……私が本当の婚約者だと告げたことは忘れてください。
ディアさんがバリオンの婚約者になることを、私も望んでいます」
胸の奥が痛んで、何も言葉が出ないまま。
「……食堂に戻りましょう。私が荷車を引いたばかりに、遅くなってしまいそうです」
それでも戻らなくてはならない場所へ、私も歩くしかなかった。




