婚約の儀式
聖シャルルナ王国には『婚約の儀式』がある。
朝日の中で全身鎧に身を包んだ未婚の騎士がずらりと並び、十五歳になった少女はその中から『約束の騎士』を選ぶ。
手にしたリボンを自分の騎士につける『婚約の儀式』に憧れない女の子はいない。
私もまた、十五歳になった誕生日に王宮の広場に招かれて、リボンをつける相手を探していた。
「この中にはいないので帰ります」
神様が巡り合わせる相手を感じなかった少女は宣誓し、リボンを捨てて市井へ戻る。
「あの、あなたと目が合った気がして……リファナ神の定めにより、私のお婿さんになってくださいっ」
顔も何もかも隠れた状態の騎士でも運命を感じた少女は、相手を宣誓し、リボンを鎧の手首につける。
私も広場を歩きながら神の定めた相手を探していたけれど……居並ぶ騎士たちの中で一人だけ、ぱちっと目が合う感覚になった人がいた。
「……」
朝日に輝く銀色の全身鎧。
顔も何もかも見えないのに、手にしたリボンを捧げるべき相手を見つけられた高揚感が全身を包む。
十五歳になったばかりの少女にだけ宿ると言われる神の導き……唯一無二の感覚を信じて、目の前の騎士にリボンを差し出した。
「リファナ神の定めにより、私と……結婚、してください……!」
宣誓しただけで顔が熱くなって、手が震える。
それでも神様が導いてくれたご縁を離さない意思を込めて、リボンを銀色の手首に結んだ。
「……」
騎士は何も反応しないよう訓戒で定められているから、この場で女性に声をかけることはない。
静かに姿勢を保ったままの相手に一礼した私は、名残惜しさまで感じながら会場を後にした。
帰り道には同じ儀式を終えた女の子たちがいて、双子らしくそっくりな顔を見合わせてはしゃいでいる。
「不思議な感覚だったよねっ、神様が手を引いてくれたのかと思ったっ」
「早く誰だったのか知りたいね。リボンに書かれた名前や住所がわかるのは騎士様だけだから、待つ間ずっとドキドキしそう……」
「会いに来てくれる人だったらいいなぁ、私の運命の人が奥手な人じゃありませんようにっ」
「お隣のお姉ちゃんは幼馴染が騎士だったから、『お前が結びにきたぞ!?』って夕方には言いに来ていたよね。……どうしよう、今日はずっと落ち着かない気がする……!」
相手が書かれたリボンは騎士や国が確認して、結ばれた少女には結婚式の日取りだけが知らされる。
事前に会いに来てくれる人もいるけれど、そうでなければ当日、自分を選んだ女性の前で全身鎧の兜を脱いで、永遠の愛を誓うまでは顔も名前もわからない。
……母さんは「結婚式で初めて会った時に、この人が私の運命だ! なんて改めて一目惚れしたものだよ」そう教えてくれていたから、会わないのにも憧れてるんだよね……。
弾む胸を押さえたけど、きっと来年までの心踊るような気持ちも、神様からの贈り物なのかもしれない。
「わあ、フラワーシャワーだ!」
「ありがとうございます、またお花を買いにきますねっ」
聖シャルルナ王国の朝は『婚約の儀式』で華やぐのが日常の風景だから、花屋さんが二階から花びらを撒いてくれた。
前を歩く少女たちは店主にお礼を言いながら、繋いだ手を大きく振っている。
「神様が結んだご縁だから誰であっても幸せになれるっていうけど、やっぱり若くてイケメンがいいなっ、私の相手はバリオン様でありますようにっ」
「今年は第二王子のルフト殿下もあの中にいるって聞いたよ。……もしかして、玉の輿に乗れちゃうかも?」
「代わりに十年以上、一度も選ばれない奇跡起こしてる騎士も残ってるよね……えーん、『行き遅れ騎士』を引くのだけはヤダぁ」
「リファナ神の加護がないって噂のサフィーナのこと?
十三年連続で誰とも結ばれない『行き遅れ騎士』……顔が良くて戦績があっても、私もヤダな……」
あの鎧の中の人が誰だったのかを考えるだけで、みんなドキドキが止まらない。
女の子たちはやがて別の道に逸れていったけど、私はまっすぐ自宅に、母さんが経営する食堂に帰った。
「ただいま、母さん。婚約の儀式、無事にリボンも結び終わったよ」
扉を開けながら声をかけると、奥の台所から母さんが出てきた。ふくよかな体にお店のエプロンをつけて、豊かな赤毛を三角巾でまとめた母さんは明るい笑顔を見せている。
「おかえり、ディア。騎士の中に結婚相手が見つかったのかい? よかったじゃないか!
忙しくして悪いんだけど、厨房で詳しく話を聞かせとくれ。朝からずっと気になってたんだよ」
「うん、いま支度するねっ」
私もエプロンをつけて、仕込みを手伝うために髪を組紐で高く結んだ。
この家にきた時からの習慣だから厨房に入って、まだ積まれたままの芋の皮を剥く。母さんはビーフシチューを焦がさないように混ぜながら私を振り返った。
「これで来年には相手の家に入れるんだね。
何があってもリファナ神の思し召しだけど、結婚しても働いて良いって言ってくれる騎士様なら、また手伝いに戻ってきておくれよ。あんたの料理がないと寂しがる常連もいるからね」
「朝はスラム街への料理の提供もやってるし、昼から夜は国一番の食堂なんて大忙しなんだから、母さん一人じゃ大変だよ。私もずっとここで働きたいな……」
親子二人で経営する食堂は狭くても賑やかで、味は王国一だって常連さんが教えてくれるのが私も自慢だった。
今日もせっせと仕込みをして、料理をお手伝いして、昼になったら接客を主に担当する。
行列もできるくらい人気だから、夜営業もお手伝いするのが私の日常だ。あっという間に外は暗くなる。仕事終わりの常連さんはお酒を運ぶと賑やかで、指笛まで吹くから笑ってしまった。
「フォッパー三つと付き出しのポテトサラダです、お待たせしました!」
「来た来た、アルファス食堂の今日の付き出し!」
「フォッパーはどこも同じ味だが、ここの料理は一度食べたら他に行く気がなくなるんだよなぁ。……うん、今日もうまいよ、ディアちゃん!」
お客様に笑顔が溢れるのが私も嬉しくて、お盆を手に下がろうとする。
扉につけたベルの音で振り返ったけど、店内の様子を確認する男の人たちがいた。外にも数名いるみたいだから、仕事帰りの同僚と寄ったのかもしれない。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
「五人。俺たちだけで飲みたいんだけど、相席にならない席は空いてる?」
「こちらです、どうぞっ」
奥にあるテーブル席をご案内して、メニューを二つ置く。
手慣れた様子の男性は綺麗な顔を上げて、私に声をかけた。
「まずはフォッパー五つと、リンゴジュースを一つ。
あとはこの店のおすすめ料理をもらえる? 三つほどね」
「かしこまりました、すぐにお持ちしますねっ」
おすすめ料理はお客様によって変えているから、失礼にならないよう体格だけ見た。
……全員鍛えられている。身長はまちまちだけど手に傷がある人もいるし、時間帯からすると鉱山関係などの肉体労働の人も多いから、塩気のある食べ物の方がいいかな。
母さんにお客様の特徴と合わせて注文を伝えて、まずは飲み物だけをグラスに注いで運んだ。
「お待たせしました、フォッパー五つとリンゴジュース、付き出しのポテトサラダです!」
フォッパーは全員に、リンゴジュースは笑顔の明るい人が手をあげたから差し出す。
……付き出しをテーブルに並べるうちに、顔から何から、なぜかすっごく見られた。
背丈が私くらいの赤髪の男性は眉間に皺を寄せて、グラスを自分の前から押しやった。
「バリオン、このフォッパーとは酒だろう。我は飲めぬぞ」
「度数が低いから子供でも飲めるものだよ、レフ。
まずは全員で乾杯しよっか。どうしても飲めそうになかったら、リンゴジュースと交換するよ」
「ねえねえサフィーナ、ポテトサラダ好きだよね。俺の付き出しあげる」
サフィーナと呼ばれた困惑顔の男性が、それでもおとなしく皿を受け取る。
……あれ、サフィーナって、今朝の女の子たちが名前を口にしていたような……。
今日も聞いたばかりの名前だったからつい確認してしまったけれど、裏葉色の長い髪を耳の辺りで一房だけ三つ編みにした男性だった。
琥珀色の瞳が私に向いたから慌てて目を逸らしたけれど、先ほどから人当たりの良い男性なんて、女性なら誰もが目を奪われそうなくらい顔がいい。
バリオン、レフ、……サフィーナ。
名前や特徴から、テーブルにいるのが誰か察してしまった。
双子の女の子たちも夢に見ていたイケメン騎士バリオンに、第二王子のルフト殿下、行き遅れ騎士と変に名高いサフィーナ……全員、今日の『婚約の儀式』の場にいた騎士だ!
「ディア、豚野菜炒めが上がったよ、持っていっておくれ!」
「あっ、はーいっ」
慌てて厨房に戻って配膳したけれど、乾杯した五人はやっぱり私を眺めてくる。
常連さんと違って話しかけづらいから、見られる理由を聞きにくい。
混み合うお店なのが幸いして次々と料理を運んだりしていたら、そのうち農家のフィッチェおじさんが手土産を掲げて入ってきた。
「ディアちゃん、お誕生日おめでとう。
今日から十五歳だよな。『婚約の儀式』も終えただろうし、お祝いにうちのとうもろこしを持ってきたよ」
「わあ、ありがとうございますっ! すごい、美味しそうな金色……!」
「朝のうちに蒸して冷やしたから、後で食べるといい。仕事の疲れも取れるよ」
「はいっ、フィッチェおじさんのとうもろこし、甘くて美味しいから楽しみです!」
大好物のお祝いに跳ねるような気持ちで紙袋を抱きしめると、常連さんたちが「そうだった!」なんて声をあげ始めた。
「ディアちゃんのケーキ代、カンパしようぜー!」
なんて酔ってるから始めちゃって、遠慮なしに周りのお客様にも声をかけ始めた。
初めて来店した騎士の席にもファフおじさんが帽子を手に向かって、赤い顔で笑いかけている。
「ここの看板娘が今日、誕生日なんだ。よければあんたらもカンパしてやってくれない、か……ん?
あんたら、有名な騎士じゃないか」
やっぱり!?
飛び上がるような驚きに目を離せずにいると、他のテーブルを回っていたベッツおじさんも真っ赤な顔で騎士たちに絡み始めた。
「なんだよぉ、ディアちゃんに『婚約の儀式』で選ばれたから、見にきたってのかぁ?」
「ここの看板娘は得意料理が肉じゃが、朝から晩まで働く努力家、器量よしの娘さんだ。
幸運を願っていたが、あなた方の誰かが婚約者なのか」
「ディアちゃんを射止めた幸運持ちは誰だっ、えっ、お前か、それともお前かぁ?!」
「ベッツおじさん、違うかもしれないのに失礼だよっ。あとはファフおじさんに任せて席に……」
「神に愛された男、ね。
じゃあ俺のことで合ってるよ」
え。
ざわつく食堂で、茶金に紺色の瞳の明るい男性……お店に入るのも手慣れていたイケメン騎士バリオンが、立ち上がって手を振った。
「やあ、ディアちゃん。今日は婚約の儀式に来てくれてありがとう」
唖然と食堂が静まり返る中、胸に手を当てたバリオンは片目を閉じて微笑んだ。
「君を一目見た時から、俺が恋するべき女性だと感じていたんだ。
来年の結婚式が楽しみで、先に顔を見にきてしまったよ」
「おいおい、まさか……おい、まさかだろ!?」
「女将さん大変だ、近衛騎士バリオンがディアちゃんの婚約者だ! わざわざ会いに来てるぞ! 将来の婿はバリオンだ!」
「なんだってぇ、ディアの将来の婿が来てる!? バリオンってのは一体どいつだい!」
大騒ぎになった食堂では、お祝いの注文まで殺到した。
母さんの前で未来の妻としてバリオンに並び立たされた私のそばでは、彼の同僚だというルフト殿下が腕を組んで、大きなため息を吐き。
上司だというサフィーナは、頭が痛そうにこめかみを揉んでいた。
……一年後、結婚した私は、十五歳の誕生日を思い出すたびに懐かしくなる。
初対面でバリオンの顔すら見られない私は、まだ知らない。
この後『自分が婚約者だ』と言い出す相手が増えて混乱する未来は、すぐそこまで迫っている。




