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婚約者が誰かわかりません!〜食堂の娘は今日も騎士たちに振り回されています〜  作者: 丹羽坂飛鳥


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12/17

バリオンの過去

 *




 デート当日に風邪を引いて熱が出るなんて、最悪の気分だ。


 痛い頭を押さえながら、ベッドで寝たり起きたりを繰り返している。

 きっと初めての歌劇に感動してくれたはずのディアちゃんは俺に興味がないから、デートしなくて済んだことを喜んでいるかもしれない。


 だって俺は、ディアちゃんにとっては何の関わりもない人間だからね。


 レフのように、孤児院で出会った幼馴染なわけでもない。

 サフィーナのように、幼い彼女の命を救ったわけでもない。


 だいたい三年前。

 騎士学校を出て仕事に励んでいた俺は、三ヶ月付き合っていた女性に振られてフォッパーをがぶ飲みし、酒を飲んだ雰囲気だけで酔っ払っていた。

 イケメン騎士だなんて知られていたし、顔を見られたら身元がすぐにバレるから、紙袋をかぶっていた。

 夜の街の片隅で瓶フォッパーを紙袋の下に突っ込み、やけ酒を煽りながらクダを巻いていた。


「あーもー最悪。俺のことだけ好きだとか言っておきながら、浮気の常習犯とか。見抜けないのもほんっとマヌケすぎるってぇ……」


 紙袋男が酒を片手に酔っていても、街の人には遠巻きにされるだけだった。

 そりゃそうだ、シラフの俺だったら騎士として詰所に連行する案件だ。

 それでも通報されなかったのは、騒いでいた場所が閉店したばかりの食堂の前だったからだと、後で気づいた。


「……あの。うちの前で騒いで、どうしたんですか」


 扉を開けて出てきてくれたのが、まだ十二歳のディアちゃんだった。

 謎の紙袋男に少し怯えているけれど、俺をまっすぐに見つめている彼女に瓶フォッパーを見せた。


「聞いてくれるぅ? 彼女にフラれて酒飲んでまぁす。

 ……あーだめだ、ほんっと辛い。涙出そう……」


「子供でも飲めるフォッパーでそこまで酔えるのは才能だと思いますよ。……あの。もしかして、何も胃に入れていませんか?」


「ん? あー、仕事終わりで振られたから何も食べてないな……」


「じゃあ、あの……私も今から賄いを作って、食べるので。よければ中に入りませんか」


「え? ……でも、お店、閉店してるんじゃないの?」


「辛い時って、一人より二人でいる方が気楽だと思いますし。賄いでお金を取るつもりもありませんから、遠慮せず、どうぞ入ってください」


 忘れてはならない事実だが、俺は今、頭から紙袋をかぶっている。

 しかし食堂で酔っ払いに慣れている善良さの塊のようなディアちゃんは、謎の紙袋男でも怪しまず席に案内してくれた。


「賄い、作る途中だったので。すぐにできると思います。ちょっと待っていてくださいね」


 それだけ言って厨房に消えた女の子を見て、俺も改めて食堂に目を向けた。

 庶民向けの食堂で、飾り気はない。

 流石に親か誰かがいないのかと探しても、厨房からは一人分の音だけが響いている。

 やがて湯気のたつ鍋を持ってきたディアちゃんは、中身を移したお椀を俺にも差し出した。


「スープが余っていたので、今日は雑炊にするところだったんです。

 胃にも優しいと思いますから、食べてください」


「……いただきます」


 紙袋を脱がないまま匙を手にして、雑炊を冷ましながら口にする。

 でもディアちゃんは脱ぐようになんて突っ込むことなく、自分も一緒に食べている。

 ……その雑炊が、何より美味しかった。

 どう見てもまだ小さい子だから賄いの味に期待もしていなかったけれど、お腹が空いていたのを思い出すような優しい味で、じんわりと体に染み込んでくる。

 でも料理が上手だからって、一人で食堂を切り盛りしているわけではないだろう。

 考えながら差し出された水も飲んだけれど、柑橘の香りが移してあって、さっぱりして美味しい。凝っているし、何から何まで気遣いを感じる味だった。


「ねえ君、親御さんは?」


「母さんなら、今日は街の寄り合いに出ています。

 仕事が終わったらすぐに参加しなきゃいけないので……寄り合いの日は、いつも一人で食べています」


「お父さんは? 流石に奥にいるんでしょ?」


「家族は母さん一人です。だから私がお留守番をしていました」


「……待って。俺が言うことじゃないけどさ。こんな怪しいやつを、一人の時に入れちゃいけないよ?」


 紙袋をかぶった、体格のいい酔っ払いだ。怪しすぎる。

 自分の胸に手を当てて後悔したけれど、ディアちゃんは困惑したみたいに首を傾げている。


「そう、ですね……でも……仕事終わりで振られて辛いって、酔っ払ってうちにくるお客様、他にもおられましたし。悪い人なら、もう絡んで来ていますから。紙袋さんも、きっと中身はいい人なんだろうな、って思っていたので……大丈夫です」


 振られたって話したから、紙袋男でも傷つけないようにだろう、言葉を選びながら。

 ディアちゃんは自分が信じた一見客のお椀に、雑炊を掬って入れてくれる。


 ……それ以上は何も聞けずに、言わずに、まずは美味しい雑炊を美味しいうちにいただいた。

 温かい食べ物が腹に入るだけで、気持ちが全然違ってくる。

 彼女も何も話さないからこそ、俺も今日までのことを振り返って気づいた。


 ……ああ、俺、あの子とこういう普通の時間が欲しかったんだろうな。


 別れた浮気常習犯は結局、俺の顔と財産が目当てだった。

 彼女が欲しいものを与えて過ごす時間は楽しかったけれど、別れた後は何も残らなかった。


「あの、お水も遠慮せず飲んでくださいね。うちのお水、柑橘と一緒につけてあって。一手間かけている分だけ美味しいって言ってくれる人、多いんです」


 謎の紙袋男相手に食事まで作ってくれて、さりげなく水を勧めて酔いを薄めてくれる。

 俺より背丈もずっと小さいディアちゃんの方が立派で、彼女相手に泣きそうになるのを堪えて、今は賄いを食べた。

 食べ切ってからお礼を伝えると、ディアちゃんは習慣らしく片付けを始める。


「俺も手伝うよ」


「え、いえ、お客様にお手伝いしていただくわけにはいきませんから。休んでいてください」


「賄いは従業員に食べさせる料理だって聞いたことがあるよ。

 俺はお金も払ってないし、労働力で返させて。力仕事ならこの見た目通り、得意だから」


「……そう、ですか……わかりました。では、お願いしてもいいですか?」


 営業終了後の食堂で、俺は洗い物を担当した。焦げた鍋を出してきてくれたから、ピカピカにしてやった。

 でも。

 片付けが終わっても、親御さんは帰ってこなかった。

 ディアちゃんは扉に近い机に、数冊の本を乗せている。


「お母さんは、いつも遅いの?」


「寄り合いは飲み会もあって、深夜になることも多いんです。だから、いつもこの席で待っています」


「……待ってる間、何してるの? それ……算数の教科書?」


「常連さんがくれた学校の本を、いつも読んでいます。

 文字は孤児院の先生から教わったけどそれだけなので、ちょっとずつしか読めないんですけど……学校に行っている気分になれますし。……勉強したら、もっと母さんの役に立てると思って」


 孤児院出身の子で学校に通えるのは、恵まれた子供だけだ。

 取り出した本はボロボロで、常連の男性客に貰ったものらしい。

 それでも本を開いて知らないことを勉強しようとする姿勢に感動して、同じページに挟んである、何度も書き直したような紙の文字を示した。


「じゃあ俺が教えるよ。今日だけ先生してあげる」


「え。でも……」


「謎の紙袋男だけど、学校は出てる。成績も良かったから、君にも教えられると思う。

 ほら、見ててあげるからこの問題、解いてごらん」


 ディアちゃんの母親が帰ってくるまで、いろんな問題を一緒に解いた。

 今後のためにも基礎的なところを教えているうちに、夜は更けてくる。

 勉強したいのに眠くなってきてしまった彼女がペンを握りながら頭を上下させるから、可愛くて笑った。


「聞き忘れてたけど、何歳?」


「十二、です……もうちょっとで、十三……です……」


「じゃあ成長期なんだから、もう寝ないと。お母さんが帰ってきたら起こしてあげるから、おやすみ」


「でも……紙袋さんも、帰らないと……」


「彼女に振られて夜の街を彷徨うような男は、少しくらい遅く帰っても平気だよ。

 代わりにお留守番してあげるから、寝ていいよ?」


 聞けば彼女は、朝から晩まで働いているらしい。

 さらに夜更けまで勉強していれば、眠くもなる。

 ボロボロの本でも大切に閉じたディアちゃんが、我慢できなかったみたいで頷いた。


「じゃあ……ちょっとだけ、寝ます、から……お留守番、お願いします……」


 俺を信じて自分の腕に顔を埋めた少女が、安らかに肩を上下させ始めた。

 彼女のためになればと、つまづいていそうな問題の解き方を紙に書く。


 ……結局、俺は帰ってきたお母様に叩き出されて家に戻った。


 当然だと思ったから急いで逃げ出したけれど、寝起きが悪いみたいでディアちゃんは騒ぎの中でも寝ぼけていた。

 家に戻って色々考えたけれど……あの子、不審者を入れるなって叱られなかったかな。

 翌日、心配になって同僚を誘って店にも行ったけれど、彼女は元気に働いていた。


「いらっしゃいませー! 何名様ですか?」


 同僚の騎士と一緒の俺が昨日の紙袋男だなんて、彼女は知る由もない。

 ただ俺だけが、知らない飲んだくれ相手にでも雑炊を振舞ってくれる、優しくて、頑張り屋の彼女を知っている。


 ……君と会った俺の顔は紙袋で、誰もが騒ぐイケメンじゃなかった。

 飲んだくれで、愚痴って。情けなくて。

 でも勉強だけは教えられた俺と、食堂の女の子とのわずかな、でも大切なつながり。


 ……いつか、出会いを明かして。

 君の優しさに救われたんだと、言えたら。

 その気持ちが神様にも届けばいいと、思っていたのに。


 ようやく十五歳になったディアちゃんは、かといって俺に気づかないし。

 手首に巻いたリボンの相手が誰かもわかってないから、ぽっと出の俺はただの惑わせる相手だと思っているはずだ。俺もそう思う。


「はーあー……つらぁ……」


 久しぶりに、ベッドの上で弱音を吐いている。

 デートでちょっとでも好きになってもらえればと必死だったけれど、うまくいかない。


 次のデートは、サフィーナの後か。それとも……無くなったまま終わりか。

 お試しは一回限りだ。

 俺の番は終わりだって。ディアちゃんのことが大好きなレフは止めるだろうな、きっと。


 こんこん、と扉を叩く音がする。


「坊っちゃま、ディア様にお伝えしてまいりました。お大事にと言付かっておりますが……」


「ああ、悪いね。ありがとー……」


 俺もこれで必死だったから、熱よりも中止になった方が辛い。

 目を閉じて、なぜか溢れるものに気づかないふりをした。


 紙袋男の恋なんて、どう考えたって実るはずもない。

 君の勉強を見たことがあるよ、なんて。

 言っても信じられるはずも、なかった。


「それが、その……お見舞いをデート代わりにしても良いかと、屋敷にお越しいただいておりまして」


「……ん?」


「お部屋にお通ししても、よろしいでしょうか」


「……聞き間違いじゃなければ、ディアちゃんがうちにいるって聞こえるんだけど」


「はい。お通ししますので、どうぞお話しください」


 会話を打ち切った執事が、離れる。

 程なくして、扉を開けて顔を出したのは。


「こんにちは。……すみません、お疲れのところ……屋敷の皆様がよくしてくださって、おかゆなんて作らせていただいてしまったんですが……バリオンは食欲、ありますか?」


「……っ、食べる……!」


 ああもう。

 どうしてこんなに好きになれるのかってくらい。

 俺は君のことが好きなんだって、どう話したら、わかってもらえるかな。




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