第八話 「六月六日」
六月六日。
蒼井萌が死ぬ前日。
目を覚ました瞬間、あなたは天井を見つめたまましばらく動けなかった。
カーテンの隙間から差し込む朝の光は弱く、空が曇っていることを教えてくれる。
嫌な夢を見た気がした。
けれど内容は思い出せない。
覚えているのは雨音だけだった。
枕元のスマートフォンを手に取る。
画面には六時二十七分の文字。
そして日付。
六月六日。
その数字を見ただけで胸の奥が重くなる。
明日だ。
蒼井萌が死ぬ日。
何も分からないまま、ここまで来てしまった。
学校へ向かう足取りは自然と重くなった。
駅前。
信号。
コンビニ。
見慣れた景色が続く。
だが、あなたの目は無意識に周囲を探していた。
事故が起きそうな場所。
危険な場所。
萌が死ぬ可能性のある場所。
そんなものを探している自分に気付き、苦笑する。
まるで刑事だ。
だが笑えなかった。
明日、本当に彼女が死ぬのなら。
今日が最後になるかもしれない。
教室へ入る。
萌はまだ来ていなかった。
あなたは窓際の席を見つめる。
誰も座っていない椅子。
それだけなのに落ち着かない。
やがてチャイムの五分前。
教室の扉が開く。
萌だった。
あなたは思わず息を吐く。
その様子に気付いたのか、萌が少し笑う。
「なに、その顔」
「いや」
「変なの」
萌は席へ座る。
そして窓の外を見る。
いつもと同じ。
変わらない朝。
だが。
今日は少しだけ違った。
彼女の目の下には、うっすらと隈があった。
昼休み。
あなたは思い切って屋上へ向かった。
そして萌を探した。
なぜだか分からない。
ただ、そこにいる気がした。
重い鉄扉を押し開ける。
湿った風が吹き抜ける。
空はどこまでも灰色だった。
そして。
フェンスの近くに一人の少女が立っていた。
蒼井萌。
予感は当たっていた。
萌は振り返らない。
街を見下ろしたまま立っている。
あなたはゆっくり近付いた。
「こんなところにいたのか」
萌が肩越しに振り返る。
「あ」
少し驚いた顔。
それから微笑む。
「見つかった」
まるで隠れんぼでもしていたみたいな言い方だった。
あなたはフェンスの隣へ立つ。
下を見る。
校庭。
道路。
遠くの住宅街。
人は小さく見える。
「よく来るのか?」
萌は頷く。
「たまに」
風が吹く。
長い髪が揺れる。
その姿はどこか儚かった。
まるで今にも風に溶けてしまいそうで。
あなたは視線を逸らした。
そんなことを考えたくなかった。
「昨日さ」
萌が突然言った。
「また変な夢見た」
あなたの心臓が跳ねる。
「雨の日の夢?」
「うん」
萌は苦笑した。
「なんか毎回同じなの」
「同じ?」
「誰かが泣いてる夢」
風の音だけが聞こえる。
萌は遠くを見つめたまま続けた。
「顔は見えないんだけどね」
あなたは何も言えなかった。
胸が苦しい。
もし。
もしその夢が。
ループの残滓だったら。
もし。
泣いているのが自分だったら。
「変だよね」
萌は笑う。
だがその笑顔は弱々しかった。
「最近ずっとそんな夢ばっかり」
あなたは拳を握る。
何か言わなければならない気がした。
何か。
彼女を救うための言葉を。
だが。
何も出てこない。
放課後。
空はさらに暗くなっていた。
今にも雨が降りそうだった。
萌はいつものように窓際へ残っていた。
けれど今日は違う。
ずっとスマートフォンを見ている。
画面が光る。
消える。
また光る。
何度も。
そして。
萌は突然立ち上がった。
「帰るのか?」
思わず声を掛ける。
萌は振り返る。
少しだけ迷うような顔。
「うん」
それだけ言う。
だが。
あなたは見逃さなかった。
彼女の手が微かに震えていることを。
「蒼井」
萌が立ち止まる。
あなたは席を立った。
胸の奥で警鐘が鳴っている。
理由は分からない。
証拠もない。
けれど。
このまま一人にしてはいけない気がした。
強く。
どうしようもなく。
「今日、一緒に帰らないか」
萌の瞳が揺れた。
教室の窓を叩くように、ぽつりと雨が降り始める。
六月六日。
蒼井萌が死ぬ前日。
何かが確実に動き始めていた。




