第七話 「閉じたメッセージ」
六月五日の夜は長かった。
帰宅してからも、あなたの頭の中には蒼井萌のことばかりが浮かんでいた。
雨の日の教室。
窓際の席。
温かい缶コーヒー。
そしてスマートフォンに届いた大量のメッセージ。
あの時の表情。
ほんの一瞬だけ曇った顔。
あれは見間違いではなかった。
何かを隠している。
何かに苦しんでいる。
そんな気がしてならない。
ベッドへ横になっても眠れなかった。
時計を見る。
午前一時。
二時。
三時。
窓の外では雨が降り続いている。
目を閉じる。
すると、またあの光景が浮かんだ。
雨。
交差点。
人だかり。
冷たいアスファルト。
そして動かない蒼井萌。
「っ……」
あなたは飛び起きた。
心臓が激しく脈打っている。
額には嫌な汗が滲んでいた。
夢だった。
だが夢とは思えないほど鮮明だった。
時計を見る。
午前五時四十分。
諦めて起きることにした。
眠れないまま朝を迎えるのはこれで二度目だった。
学校へ向かう道は静かだった。
土曜日。
授業は午前中だけ。
部活動へ向かう生徒たちの姿がちらほら見える。
空は曇っている。
昨日ほどではないが、今にも雨が降り出しそうだった。
教室へ入る。
まだ人は少ない。
あなたは自然と窓際へ視線を向けた。
萌の席は空だった。
少しだけ胸がざわつく。
だが数分後。
教室の扉が開いた。
萌だった。
その瞬間、自分でも驚くほど安心していることに気付く。
萌は席へ向かう途中であなたを見つけた。
「おはよう」
「おはよう」
「眠そう」
「実際眠い」
萌は小さく笑う。
「ちゃんと寝ないと倒れるよ」
その言葉に苦笑する。
倒れる。
その言葉が今は妙に縁起でもなかった。
授業は相変わらず頭に入らなかった。
気付けば時計ばかり見ている。
時間は止まってくれない。
むしろ以前より速く進んでいる気さえする。
六月五日。
今日が終われば六月六日。
そして六月七日。
終わりの日。
その現実だけが重くのしかかっていた。
四時間目が終わり、昼休みになった。
クラスメイトたちが一斉に席を立つ。
購買へ向かう者。
食堂へ向かう者。
友人同士で集まる者。
あなたも席を立とうとした時だった。
萌のスマートフォンが机の上で震えた。
萌本人はいない。
たしか飲み物を買いに行っていたはずだ。
通知画面が一瞬だけ点灯する。
見ようと思ったわけじゃない。
本当に偶然だった。
だが視界に入ってしまった。
『なんで無視するの?』
短い文章。
差出人は登録名ではなく、数字の羅列だった。
あなたは思わず息を止める。
次の瞬間、画面は消えた。
それ以上は見えない。
しかし胸の奥に嫌な感覚が残る。
なんで無視するの?
それは友達からのメッセージには見えなかった。
少なくとも普通ではない。
そこへ萌が戻ってくる。
紙パックのジュースを片手に持っていた。
あなたは慌てて視線を逸らす。
「どうしたの?」
「いや」
言えるはずがない。
勝手に通知を見たなんて。
萌は席に座る。
そしてスマートフォンを見る。
ほんの少しだけ。
本当に一瞬だけ。
表情が固まった。
だがすぐに画面を閉じる。
何事もなかったように。
まるで見なかったことにするように。
その日の放課後。
萌は珍しく早く帰ろうとしていた。
いつもなら窓際に残る。
少し話をしてから帰る。
だが今日は違う。
鞄を持ち、足早に教室を出ようとしている。
「蒼井」
呼び止める。
萌が振り返った。
「なに?」
「今日は帰るの早いな」
萌は少しだけ視線を逸らした。
「用事あるから」
「そうなんだ」
それ以上は聞けなかった。
聞いてはいけない気がした。
萌は少しだけ申し訳なさそうに笑う。
「また月曜日ね」
そう言って教室を出て行った。
廊下の向こうへ消えていく背中。
あなたはただ見送ることしかできなかった。
窓の外では、また雨が降り始めていた。
細かな雨粒がガラスを叩いている。
教室には誰もいない。
静かな空間。
その中で、あなたは一人考える。
数字だけのアカウント。
大量のメッセージ。
無視している相手。
そして萌の表情。
何かがおかしい。
確実に。
六月七日に繋がる何かがある。
それなのに、まだ手が届かない。
時計の針が進む。
六月五日が終わろうとしていた。
残された時間は、あと二日。




