第五話「雨の予報」
六月五日。
蒼井萌が死ぬ二日前。
朝から空は重たい雲に覆われていた。
天気予報では午後から雨になるらしい。
教室の窓から見える空は灰色で、まるで今にも泣き出しそうな顔をしている。
あなたは席に座ったまま、その空を見上げていた。
昨夜はほとんど眠れなかった。
蒼井萌の言葉が頭から離れなかったからだ。
――もし私が急にいなくなったらさ。
――誰か悲しんでくれるのかな。
冗談だったのかもしれない。
何気ない会話だったのかもしれない。
それでも。
今のあなたには聞き流せる言葉ではなかった。
萌はまだ来ていない。
時計を見る。
始業まであと五分。
教室には徐々に生徒が集まり始めていた。
そんな中、教室の扉が開く。
萌だった。
いつも通りの制服。
いつも通りの表情。
それだけで胸の奥が少し軽くなる。
萌は席へ向かう途中であなたに気付いた。
「おはよう」
「おはよう」
「今日はちゃんと起きてるね」
「昨日まで寝てたみたいな言い方するな」
萌が小さく笑う。
その笑顔を見ていると、本当に普通の高校生にしか見えない。
だから余計に分からない。
死の気配なんてどこにもない。
授業が始まる。
数学。
国語。
英語。
時間はいつも通り流れていく。
だが、あなたにとっては違った。
時計の針が進むたび、六月七日が近付いてくる。
焦りだけが募っていく。
昼休み。
あなたは思い切って萌に尋ねた。
「今日、部活ないのか?」
萌は購買のパンを開けながら首を傾げる。
「帰宅部だけど」
「あ、そうだったな」
「忘れてたの?」
少し呆れた顔をされる。
実際、知らなかった。
クラスメイトとして認識していたつもりでも、萌について知らないことばかりだ。
好きなもの。
嫌いなもの。
休日の過ごし方。
家族のこと。
何も知らない。
それなのに助けようとしている。
考えてみれば妙な話だった。
「蒼井ってさ」
「うん?」
「学校終わったら何してるんだ?」
萌は少し考える。
「本読んだり」
「他は?」
「散歩」
「毎日?」
「結構」
意外だった。
インドアな印象があったからだ。
萌は窓の外を眺める。
「家にいるの、あんまり好きじゃないから」
その言葉が引っかかった。
「そうなのか?」
「うん」
だが、それ以上は語らなかった。
まるで話題を終わらせるように、パンを一口かじる。
あなたも深追いはしなかった。
できなかった。
どこか踏み込んではいけない空気があったからだ。
放課後。
予報通り雨が降り始めていた。
校舎の窓を細かな雨粒が叩いている。
萌は帰り支度を終えると、自分の席でぼんやり外を眺めていた。
あの日と同じだ。
初めて話した放課後。
そして死ぬ三日前。
「帰らないのか?」
あなたが声を掛ける。
萌は少し笑った。
「また同じこと聞いてる」
言われて気付く。
確かに同じだった。
状況も。
言葉も。
何もかも。
けれど今は少し違う。
あなたは窓際の席へ近付いた。
萌の隣。
雨音が聞こえる。
二人とも黙ったまま窓の外を見る。
校庭には誰もいない。
ただ雨だけが降っている。
しばらくして萌が口を開いた。
「ねぇ」
「ん?」
「雨の日ってさ」
彼女は窓に流れる雨粒を指で追う。
「世界から人がいなくなったみたいな気分にならない?」
あなたは少し考える。
「分かる気はする」
萌は嬉しそうに笑った。
「だよね」
その横顔はどこか安心したようだった。
誰かに共感してもらえたことが嬉しかったのかもしれない。
その時だった。
萌のスマートフォンが震える。
通知音。
彼女は画面を見る。
そして。
ほんの一瞬だけ表情が曇った。
本当に一瞬だった。
見間違いかもしれないほど短い時間。
だが。
あなたは確かに見た。
萌はすぐにスマートフォンをしまう。
いつもの笑顔に戻る。
「帰ろうかな」
そう言って立ち上がる。
しかしあなたの視線は彼女のポケットへ向いていた。
誰からの連絡だったのか。
なぜあんな顔をしたのか。
初めて見た表情だった。
もしかすると。
蒼井萌が死ぬ理由に繋がる何か。
初めて見つけた手掛かりかもしれない。
雨音は少しずつ強くなっていた。
まるで六月七日が近付いていることを知らせるように。




