第二十二話 「彼女の家」
図書室には誰もいなかった。
窓から差し込む午後の日差し。
静かに並ぶ本棚。
そして。
あなたの手の中にある一枚の紙。
『蒼井萌を救いたいなら』
『彼女の家へ行け』
短い文章。
それだけだった。
差出人は書かれていない。
だが分かる。
あの人物だ。
黒いパーカー。
知らない番号。
ループを知る誰か。
全部繋がっている。
あなたは紙を見つめる。
萌の家。
そういえば知らない。
どこに住んでいるのか。
家族はいるのか。
何人家族なのか。
何も。
何一つ。
助けたいと言いながら。
肝心のことを知らなかった。
放課後。
教室へ戻る。
萌は窓際で本を読んでいた。
夕陽が差し込んでいる。
いつも通りの光景。
だが。
あなたには違って見えた。
今まで見ていたのは表面だけだったのかもしれない。
「蒼井」
萌が顔を上げる。
「ん?」
「家どこ?」
数秒。
萌が固まる。
そして。
「急だね」
少し笑う。
だが目は笑っていない。
警戒している。
そんな顔だった。
「別に」
「その返し便利だね」
「便利だからな」
萌が吹き出す。
少しだけ空気が和らぐ。
だが。
家の話になると再び表情が曇った。
「どうしたの?」
萌が聞く。
あなたは迷う。
正直に言えるわけがない。
君を助けたいから。
君の家を知りたいから。
そんなこと。
「送る時に知っといた方がいいかなって」
苦しい言い訳だった。
萌も気付いているだろう。
それでも。
それ以上は追及しなかった。
「駅三つ先」
萌が小さく言う。
「そこから歩いて十分くらい」
それだけだった。
住所までは言わない。
言いたくないのだろう。
あなたも無理には聞かなかった。
その日の帰り道。
あなたは一人でその駅へ向かった。
夕方。
人通りは少ない。
住宅街が広がっている。
静かな町だった。
萌が住んでいる場所には見えない。
そう思いながら歩いていると。
ふと気付く。
電柱。
塀。
道路。
どれも古い。
手入れされていない家も多い。
少しだけ寂れた町。
そして。
その時だった。
見覚えのある姿が目に入る。
蒼井萌。
制服のまま歩いている。
少し先。
こちらには気付いていない。
あなたは反射的に物陰へ隠れた。
尾行するつもりはなかった。
本当に。
だが。
足が止まらなかった。
萌は住宅街の奥へ進む。
細い道。
古いアパート。
閉まった商店。
さらに奥。
そして。
一軒の家の前で立ち止まった。
古い一戸建てだった。
塀にはひびが入っている。
庭の草も伸び放題。
どこか荒れている印象だった。
萌はしばらく家を見つめる。
帰らない。
まるで。
入りたくないみたいに。
やがて。
深呼吸する。
覚悟を決めるように。
そして玄関へ向かった。
その時だった。
家の中から怒鳴り声が聞こえた。
男性の声。
大きい。
荒い。
何を言っているのかは聞き取れない。
だが。
怒鳴っていることだけは分かった。
萌の足が止まる。
肩が小さく震える。
あなたは息を飲んだ。
初めてだった。
彼女が本気で怯える姿を見るのは。
数秒後。
萌は俯いたまま玄関を開ける。
そして家の中へ消えた。
扉が閉まる。
住宅街は静かだった。
まるで何事もなかったように。
だが。
あなたの胸の中だけがざわついていた。
知らなかった。
本当に何も。
蒼井萌が抱えているものを。
彼女が帰りたくない家があることを。
そして。
もしかしたら。
六月七日の始まりは。
この家の中にあるのかもしれないということを。




