第十五話 「六月八日の違和感」
六月八日。
蒼井萌は生きている。
その事実だけで、世界の見え方が少し変わった気がした。
教室へ差し込む朝日。
窓の外の青空。
騒がしいクラスメイトたちの声。
どれも当たり前のものだったはずなのに、今日は違う。
失われるはずだった日常。
存在しないはずだった六月八日。
あなたは何度も窓際へ視線を向けてしまう。
萌は生きている。
ちゃんとそこにいる。
それだけで十分なはずだった。
本当なら。
昼休み。
あなたは屋上へ向かった。
考えを整理したかった。
重い鉄扉を押し開く。
晴れた空が広がっている。
昨日までの雨が嘘みたいだった。
フェンスへ近付き、街並みを見下ろす。
運命は変わった。
六月七日を越えた。
蒼井萌は死ななかった。
なら。
ループは終わったのだろうか。
その疑問が頭を離れない。
もし終わったなら。
これからは普通の日常が戻るのか。
それとも――。
「やっぱりここにいた」
声が聞こえた。
振り返る。
蒼井萌だった。
風に揺れる黒髪。
昨日までの緊張が少し抜けて見える。
それでも。
どこか疲れていた。
「また屋上か」
「また見つかった」
萌は少し笑う。
そして隣へ並ぶ。
しばらく二人とも何も言わなかった。
風だけが吹いている。
やがて萌が呟いた。
「ありがとう」
あなたは目を瞬かせる。
「何が?」
萌は空を見る。
「昨日」
それ以上は言わない。
だが分かった。
送ろうとしたこと。
追い掛けたこと。
心配したこと。
全部。
気付いていたのだ。
「別に」
いつものように答える。
萌は少しだけ吹き出した。
「それ便利だね」
「何が」
「別に」
その言い方を真似される。
二人で少しだけ笑った。
ほんの短い時間だった。
だが。
それは今までで一番自然な笑顔だったかもしれない。
その時だった。
屋上の扉が開く。
ガタン。
二人は同時に振り返る。
誰もいない。
風で開いただけだった。
それなのに。
あなたの胸がざわつく。
嫌な感覚。
説明できない違和感。
どこかで感じたことがある。
ループが始まる直前のような。
あの感覚。
萌も気付いたのか、扉を見ていた。
「どうした?」
「……ううん」
そう答えたものの、表情は硬い。
あなたは空を見上げる。
青空だった。
昨日までの雨もない。
何もおかしくない。
なのに。
おかしい。
胸の奥で警鐘が鳴っている。
放課後。
教室へ戻った時だった。
黒板の前に人だかりができている。
クラスメイトたちがざわついている。
「なんだ?」
近付く。
そして。
あなたは息を止めた。
黒板。
白いチョーク。
そこに大きな文字が書かれていた。
『次は間に合うかな?』
教室が静まり返る。
誰が書いたのか分からない。
いつ書かれたのかも分からない。
だが。
あなたには分かった。
これはただの悪戯じゃない。
あのメッセージ。
あの番号。
黒いパーカー。
全部が繋がっている。
誰かが知っている。
六月七日のことを。
そして。
あなたのことも。
窓際を見る。
蒼井萌も黒板を見ていた。
その顔から血の気が引いていた。




