第十二話 「雨の向こう側」
雨は容赦なく降り続いていた。
校門の向こう。
街灯に照らされた雨の中に、一人の人影が立っている。
黒いパーカー。
深く被ったフード。
顔は見えない。
だが、その姿を見た瞬間。
蒼井萌の表情が変わった。
恐怖。
それが一番近い。
あなたは初めて見る。
蒼井萌が心の底から怯える顔を。
萌は動かない。
雨の中で立ち尽くしている。
まるで逃げたいのに逃げられないように。
黒い人影も動かない。
ただこちらを見ている。
そんな気がした。
「蒼井」
あなたは萌の隣へ立つ。
萌の肩が小さく震えている。
「知り合いか?」
返事はない。
ただ唇を噛んでいる。
その時だった。
黒い人影が一歩前へ出た。
萌の肩が大きく震える。
あなたは反射的に前へ出た。
萌を隠すように。
黒い人影は立ち止まる。
数秒。
誰も動かない。
雨音だけが聞こえる。
やがて。
その人物はゆっくりと背を向けた。
そして。
何事もなかったかのように歩き去っていく。
人混みの中へ。
雨の街へ。
消えていった。
「……行った」
萌が小さく呟く。
その声は今にも消えそうだった。
あなたは萌を見る。
顔色が悪い。
明らかに普通ではない。
「誰なんだ」
萌は首を振る。
「なんでもない」
「なんでもなくないだろ」
思ったより強い口調になった。
萌が驚いたように目を見開く。
あなたは一度深呼吸した。
落ち着け。
責めたいわけじゃない。
知りたいだけだ。
助けたいだけだ。
「ごめん」
萌は俯く。
長い前髪が表情を隠す。
「言えない」
その言葉は小さかった。
けれど。
確かな拒絶だった。
二人は校門の屋根の下へ移動した。
雨はますます強くなっている。
空は暗い。
まだ夕方のはずなのに夜みたいだった。
萌はスマートフォンを握りしめている。
何度も通知が鳴る。
そのたびに肩が震える。
あなたは黙っていた。
無理に聞いても意味がない。
今はまだ。
彼女は話せない。
そう感じた。
しばらくして。
萌がぽつりと言った。
「ねえ」
「ん?」
「もしさ」
またその話だった。
最近の萌はよくこんな話をする。
終わりを確かめるような。
何かを諦めるような。
「誰にも助けられないことがあったら、どうする?」
雨音が響く。
あなたはすぐに答えられなかった。
誰にも助けられないこと。
今の萌自身のことみたいだったから。
「それでも助けを求める」
萌は少し笑った。
悲しそうな笑顔だった。
「そうかな」
「そうだよ」
萌は空を見上げる。
灰色の空。
降り続く雨。
「私は違うかも」
その言葉に胸が痛む。
あなたは気付いていた。
萌は最初から助けを求めるのが苦手だ。
苦しくても。
辛くても。
全部自分の中へ閉じ込める。
だから今も。
一人で抱え込んでいる。
その時。
スマートフォンが鳴った。
また通知だった。
萌は画面を見る。
そして。
今度は明らかに顔色が変わった。
血の気が引く。
呼吸が浅くなる。
あなたは見逃さなかった。
画面に映った文字を。
ほんの一瞬だけ。
『約束、忘れてないよね?』
それだけだった。
差出人はまた数字だけのアカウント。
しかし。
その短い文章だけで十分だった。
これは友人ではない。
普通の知り合いでもない。
脅しに近い。
そんな空気を感じた。
萌はすぐに画面を消す。
だがもう遅かった。
あなたは見てしまった。
そして確信する。
蒼井萌は何かに追い詰められている。
六月七日の死は偶然じゃない。
事故でもない。
きっと。
もっと前から始まっていたんだ。
雨は止まない。
そして時計の針は静かに進み続けていた。
六月七日。
午後五時四十三分。
終わりの時間は、確実に近付いている。




