8.王城の影
「あの!シモーネ様!」
彼は私をそのまま引っ張り出したまま、連れて行こうとするので呼びかけた。
「ヴェロニカ殿下はどうかなされたのですか?大丈夫でしょうか?」
そう問いかけると
「いえ、特に何もありません。」
と述べるだけだった。
また主語がないのでどのような話をしているのか掴めない。
「それはどういう意味でしょうか?」
そう尋ねてみると
「貴方を連れ出すための方便です。」
と何でもないことかのように呟いた。
「殿下からはお茶会が終わり次第、疲れているだろうから帰るようにとのお達しをいただいております。」
そう感情の起伏のない喋り方で私に伝えてくる。嘘だったということだ。
「それで本当に大丈夫でしょうか……」
私は不安になった。
彼の行動によって私たちについての噂がより歪められるのではないか、と。
今は真実かどうか定かでない、もやのようなものに過ぎない。しかし、誰かの癪に障った瞬間に悪意を持って捻じ曲げられるようなものだ。そのような事態で大変になるのは確かに私たちだが、結婚を控えているヴェロニカ殿下への影響についてもっと考えるべきではないか。
「私は王女殿下の側近です。そして貴方は元々伯爵令嬢で、私と結婚することによって既に高貴な貴婦人となっているのです。あの方たちに媚びを売ったり諂ったりする必要はありません。」
そう彼はきっぱりと言い放つ。
「分かりかねますか?理由を説明いたしましょうか?」
彼は少し苛立っているようだった。
「理解しました。」
圧力を感じた私は彼の意見を飲み込んだ。
「どうやら環境に圧倒されて流されてしまうのが私の気質のようです……そのようなことで貴方にご迷惑はおかけしないように以後気をつけます。」
と返事をすると
「いえ、そうではなく――」
彼は少し言い淀んだ。
そして
「申し訳ありません。先ほど手首を強く掴んでしまいましたが怪我はしていませんか?」
と確認をされる。
「シモーネ様、大丈夫ですから。」
彼の顔が私の腕の近くに寄せられて心臓が押し潰されそうになる。私は彼のことを恐れているのだろうか。
「こんなことが起きないように私が最初から対策をしておけば良かったです。」
そんな風に彼は話し始めた。
「おそらく殿下は王城がどのような場所かということをステラさんに示しておきたかったのでしょう。まるで獣の親が子に恣意的に試練を与えるようなものです。」
と彼は言いながら少し笑っていた。
正直に言うと私はした方が良かった経験に違いない。しかしこんなことは笑い事ではない。目の前にいる貴方、シモーネに対する見方が変わってしまったのだから。
「しかし、私はそんなことを望んでいません。」
彼はまた宣言するように私の目を見て告げる。
「ステラさんが王城で働けるようにと考えたのは、貴方が首都の小さな家で生きるのではなく、少しでも大きな世界で生きるべき人だと思ったからです。」
これが本音なのだろうか。
「世界というにはあまりにも考え方も視野も狭く、不情ではありますが。」
そもそも貴族社会とはそのようなものだ。きっと彼は私よりも理想家なのかもしれない。では――今日の出来事は一体何だったのだろうか?
「本当にフィリア様がそんなことしたと思ってらっしゃるの?」
突然、そのような叫び声が聞こえてくる。王城の廊下では出来事が多い。
可愛らしいドレスに、豊かな巻き髪の上からボンネットを身に着けている若々しい女性がいた。彼女は別の女性を睨みつけている。声の主はどうやらあの女性のようだった。
「そんなわけないでしょう。あんなに恩恵を受けておいてやっぱり変だったかもしれないなんてよくそんなこと言えるわね。」
彼女の主張は止まらない。
「誰かに騙されていたか、誰かに陥れられているのよ。そうじゃないと!」
先ほどと打って変わってぶつぶつと呟いているようだ。
「お父様もお母様も毎日大変なのよ!あの人のせいで!きっとフィリア様は今泣いてらっしゃるわ、私たちのことをきっと心配されているはず。」
そう言って彼女は大声で泣き叫び始める。
鼻を啜っている音が聞こえて心配になり、そっと見てみるとその方向を責められていた方の女性と目が合った。彼女はこちらの方へ大股で向かってくる。
「あちらの方は見ないように。」
そう言ってシモーネは私の腕を引き寄せて早歩きを始めた。
「痛いところがありましたら仰ってください。」
彼はそう言いながら私を王城の玄関の方まで引っ張って進んでいく。あまりにも無理矢理過ぎて足が痛んだ。
「シモーネ様、どうしてですか。」
私は浮かんだ思いをそのまま口に出してしまったが、それについて彼が答えることはない。
無事に馬車に乗り込むことができた。彼女は途中で諦めたのか、ここまで付いては来なかった。
しかし本当にこれで良かったとは思えない。泣き崩れていた女性のことを考える。責められていた女性がその場を立ち去ってしまって、一人になった彼女は大丈夫だっただろうか。
一度向かい側に座ったはずのシモーネは私の隣に移動してきた。一体何が起きるのだろうかと身体を縮こまらせたが、与えられたのは人の温もりだった。
「怖かったですか?身体が震えていますよ。」
彼に指摘されて初めて気付く。自分の手が見て分かるほど震えているのだ。
「ステラさん。嫌な時はいつでも何でも言ってください。」
そう言って彼は私の頭を優しく撫でた。
その手はいつも嫌というほど私の身体に絡みついているものだが、今はただその場所にある温もりだけが感じられる。
今は彼の顔が見えないので遠慮せずに気になっていることについて話すことができそうだった。
「フィリア・トネットさんについて教えていただけますか?」
私がはっきりとそれを口にすると彼の手が止まる。
「本当に知りたいですか?」
彼はそう問いかける。その言い方はまるで話したくないというよりも、関心を持っている私について興味深そうな声色だった。
「はい。王城で働く上で知っておいた方が良いことだと思ったので。」
冷静にそう返した。
彼は少し考えてから話を始める。
「彼女は子爵令嬢です。しかし身分に反してその持ち前の能力で社交界の注目の的となりました。」
それを聞いて
「つまり並外れた美貌を持っていたということでしょうか?」
と尋ねると
「えぇ、まぁ。」
歯切れが悪い。
ただ、彼の持っている美的センスについて私は詳しく知らないのでそれ以上突っ込まないことにした。
話は続いて
「しかし彼女には触れられたくないものがありました。それは生まれが貴族ではないということです。」
彼は落ち着かないのか、私の髪を指で弄び始める。
「平民生まれでしたが大変裕福だったようです。それに目をつけたトネット子爵が彼女の親に話を持ちかけて養女として育てられることになったようです。」
確かに優秀な平民が養子に入ることは珍しくないが、それは決して生まれが裕福ではないことの方が多い。そのような話は初めて聞いた。
「しかし彼女は貴族になってからも実家との繋がりを裏で持ち続けていたようです。そして事件は水面下で計画されていました。」
私は息を飲んだ。
「王城で中毒性のある違法薬物を販売して蔓延させようとしていたようです。」
なんということだろうか。そのような重大な事件が未だ世に知られていないなんて驚きだった。
「彼女は現在捕縛されており、調査のために収監されております。関係者を洗う必要があるので処分までに時間がかかりそうですが。」
そう話して止まる。
「このような話は必要ありませんね。ここまでにいたしましょう。」
わざとらしく明るい声で話を終わらせたのだった。
しかし
「これだけはお伝えしておきましょうか。」
と彼は改めて強く言った。
「王城には彼女の信奉者がたくさんいるのでどうか気をつけるようにしてくださいね。」
彼はまるで本当に心の底から私を愛し、心配をしているかのように、私の頭に自らの額をすり寄せた。




