6.秘密へ挨拶を
ヴェロニカ殿下のお話役になったのだから私が彼女について事細かく事情を知っておくことは当たり前だ。
しかしシモーネは殿下とセルジョ様の間にあったことに関して口を開くことはなかった。話す気がないのであれば何も言わなければ良いというのに。
知ってしまうと気を遣わないわけにはいかなくなる。彼の中にある基準がさっぱり分からなかった。
殿下から今日は職務があるので午後から来て欲しいとのお達しがあったので、彼とは別の時間に城に向かうことになった。
気後れしてしまう部分があるので誰か側にいるということは心強く感じられるものだが、彼に頼ろうとするのは絶対に違うだろう。私はもう少し独立心が強い方だと思っていたのに。この頃何かと上手くいかないことが多い。
殿下はもちろん悪い方ではない。
しかしどのように付き合っていくのが最適なのか分からなかった。
今までの私のまま、面白味がなさ過ぎてしまうと退屈に思われるだろう。お役御免となってしまうこともあるかもしれない。そんな情けないことは絶対に避けたかった。
今まで変えたくても変えることのできなかった自分の性分を変える時が来たようだ。
昨日と同じように殿下付きの使用人が城の前に迎えに来てくれる。
彼女は殿下よりも年上に見えるが、いつからここで働いているのだろうか。
もし殿下のことをよく知っているのであれば、好印象を持ってもらえるようにしておくことに損はない。
しかし、彼女は主人と違って軽さや社交的な雰囲気を纏っておらず、静かで決められた業務以外のことはしなさそうな人物だった。このようなことから殿下の考えが見えてくる。彼女は一番身近な存在としては自分と合う相手よりも口の固い人物を選びたい主義のようだ。
城内の廊下を歩いていると声が聞こえてくる。
「あの方が……」
誰か注目されている人物がいるようだと思い、声のする方に視線を向ける。なんと彼らは私の方を見ているではないか。
「わ、こちらを見ていらっしゃるわ。」
一人が私の視線に気付くと
「思っていたより地味な方ね。」
そう別の人物が評価を下す。
「でも結婚するならそのようなものじゃないかしら?」
もう一人の人物が自らの考えを述べた。
このような噂話は自分のことでも他者のことでも聞いて利益になることはない。いや、聞いておいた方が良い忠告のようなことも確かに貴族社会にはたくさんある。だが、どうも気疲れしてしまう。
だから自分はあえてパーティの場所でも聞こえないように意識を逸らすようにしていた。まさか自分がこのような噂の中心になってしまうとは。自分のことについてはよく聞こえるもののようだ。
先ほど話していたのは私と変わらない年齢の貴婦人たちだったが、他の場所からも視線を感じる。
「ご夫人はご存じなのかしら?」
一人の豪胆そうな女性が大きな声で問いかける。
「まぁ、そんなこと本人の口から言えるわけないじゃない!」
ともう一人が笑って答えた。
「自分の主人が浮気ならまだしもあんな方法でねぇ。」
そう二人目が言うと
「シッ!聞こえるわよ。」
と最初の女性が笑いながら言った。
「きっと夫人の役職だって何かしらをしたんでしょう。」
そうやって彼女たちの会話は終了した。
身体の芯が冷え切っていくような感覚がした反面、顔は熱を持ったように熱く、考えがまとまらなくなってくる。
私について評価されることは構わなかったが、あんなに特別さとは無縁で地味だと思っていたシモーネ・デ・ピノンに何らかの瑕疵があるなんて想像もしていなかった。
そこまで注目されている人物であるとは。そして王女の側近になるまでに何らかの手段を用いた、そう、大体想像はできるが私の口からは到底言えるわけもないことをしたと。
いても立ってもいられなくなったが、ここで取り乱すこともできないのでできるだけ平然を装った。心を鎮めようとしている間に王女宮に到着する。
「ヴェロニカ様、ステラ様がいらっしゃいました。」
そう使用人の彼女が呼びかけたが返事が聞こえない。どうやら殿下は部屋に戻っていなかった。
「執務室の方を確認して参ります。」
と言って使用人は近くにある部屋をノックして入っていった。
「まさかシモーネさんが急に結婚とはなぁ。」
突然後ろの方から話し声が聞こえて驚く。
男性二人組がこちらの方に向かって歩いて来る。
「そうそう、てっきり俺はヴェロニカ殿下のことを慕ってるのかと思ってたよ。」
ともう一人が言うので
「おいおい。そういう話は小さな声で言えよな。」
そうその人物は嗜められる。
「みんな思ってることだろ。いや、うーんどうかな、候補がもう一人いるし。それにしてもセルジョ様が殿下からあんなに酷い目に遭ってるのに流石にそれはないよな。」
とのように会話は終わった。
しかし、嗜めていた人物が焦った顔をしている。どうやらこちらに気が付いたようだ。私がそのシモーネの伴侶であるということも察したようだった。実際この話を聞いて私はどう思えばいいか分からない。
二人は別の執務室の方に入って行った。しかし、よく喋っていた方の彼がちゃんと扉を閉めなかったようで賑やかな声が聞こえて来る。
それを聞いた私は屋敷で父と母が職員たちと働いている時の姿を思い出した。
父と母はいつだってお互いを尊重していた。争うこともあったが、それは領地や私たちについて、様々なことを考慮した上での議論のようなものだった。
私はよく書斎に出入りしていたからそのような場面を見ることがあったが、彼らはそれを家庭に持ち込むことはなかった。それでも今の私にとっては諍いが発生するだけでも十分そこに感情があるのではないかと思えてしまう。
あんな風に私も楽しそうに働くことができたらどうだろうか。
いつの日かに一度だけ父は言った。
「ステラが男だったらなぁ、跡を継がせたいと思うだろうに。」
その時に私は
「流石にお兄様たちが泣いてしまうので二度と言ってはいけませんよ!」
と怒ったが本当は嬉しかった。
そして私もそう思ったのだ。誰かの家よりも自分の家をより具体的に大切にすることができたら更に幸せに違いない、と。
しかしそれはどんなに世界がひっくり返っても叶わない望みだ。最近は忘れていたのに、蓋をすることができていたのに衝撃によって開いて出てきてしまったようだ。そんなことを考えながら立ち尽くしているとその部屋からシモーネが出てきた。
「ステラさん。お仕事にいらっしゃったのですか?」
と尋ねられる。
まだ心の整理ができておらずぎこちない感じがしてしまう。
「はい、そうなんですが、殿下がいらっしゃらないようで。」
そう答えると
「おそらくもう少し時間がかかると思います。そこでお待ちになっているのも大変ですからこちらに入りませんか?」
と彼は部屋に招き入れようとする。
彼が望んでいるのはもしかして――
「大丈夫です。私がいますから。」
どのような考えを持ってこんなことを言うのだろうか。そして私はどうしてこの言葉に安心を覚えているのだろうか。
彼の言う通りに入室すると先ほどの二人を含めて複数の職員がいた。
「皆さんすいません。少しいいでしょうか。」
と彼が声をかける。人々が一気にこちらを見た。
「私事となりますがこちらが妻のステラです。現在ヴェロニカ殿下の下で働いておりますので何かと会う機会もありますでしょうから。よろしくお願いします。」
そう彼と共に挨拶をした。
「よろしくお願いいたします。」
私がそう言うと拍手の音が聞こえる。
顔を上げてみると表面上はお祝いされているようだ。
先ほどの会話のように、心の中でどのように思われているかは分からない。
しかし、とりあえず今日はこれ以上見えないことについて考えることはやめたのだった。




