35.特別な夫
清々しく晴れた空の下、芳しい薔薇の香りに包まれてヴェロニカ殿下とセルジョ様はご結婚された。
私はというとお二人が仲睦まじく過ごしている姿にまだ慣れていない。
隣にいるシモーネに
「殿下が幸せそうで良かったですね。」
と話しかけてみる。
彼は
「ええ。」
控えめに返事をしたが、私は気になっていることがあったのだ。
「そう言えば。ヴェロニカ殿下に心惹かれることはなかったんですか。」
そう問いかけてみると、シモーネは飲んでいたワインを吹き出しそうになる。
取り乱して
「そんなことがあるはずないでしょう。」
とハンカチを取り出して顔の汗を拭き始めた。
実際、ヴェロニカ殿下は美しい。セルジョ様を愛し、愛されているからこそと言えるが、それでも私は彼女以上に目を惹くという言葉が似合う女性はいないと改めて思ったのだ。
「大体貴方は私のことを何だと思っているんですか。」
呆れたように彼が私に説教を始めようとする。
後ろ暗さがなくなった彼は奇妙な存在というよりも、母親と言う方が正しかった。いや、実際の母よりも過保護で騒がしいのだ。ありがたく思ってはいるが、それでも少し複雑だった。そのせいか彼を揶揄いたくなってしまう。
目の前の焦点がはっきり合うとヴェロニカ殿下が手招きしているのが見えた。シモーネを呼んでいるのだと思って彼の背中を押す。しかし、彼女は違うと言うように首を横に振った。私を呼んでいたのだ。
静かに彼女の座席へと近づく。
「ご結婚おめでとうございます、ヴェロニカ殿下。」
続けてセルジョ様にも挨拶をする。
「この席に来てくれて嬉しいよ。」
そう言って笑う花婿姿のセルジョ様はあまりにも眩しく、目を逸らした。
一方で
「もう殿下って呼ばないようにしてもらわないと。」
と彼女は笑った。そして、私の腕を掴んで建物の休憩室の方へ向かおうとする。
「もう疲れちゃったのよ。少し話を聞いてくれるかしら?」
そうやって悪戯そうに話す殿下は、もう普通の少女のように見えた。
休憩室に入り腰を降ろす。早速、彼女の話は始まった。
「フィリア・トネットが亡くなったわ。」
前置きもなくそれは述べられた。
「思っていたよりも呆気なかったわね。私が首都を離れてからの方が心配だったから。正直に言うと、そうね」
彼女はそれ以上は話さない。
「特に彼女に異変はなかったのですか?」
と私が尋ねると
「貴方、本当に知らなかったのね。」
ヴェロニカは答えではない言葉を返す。
「骨ごと消失したの。もちろん脱走でもないことを私が直接確認したわ。」
その彼女の言葉を聞いて思い出した。少し前にシモーネが出張に行ったのだ。あの日に違いなかった。
「あとはシモーネに聞くと良いわ。そんな気がしていたから貴方を呼んだだけよ。」
そう言ってまた彼女は呆れ返っていた。私とシモーネのことに関してまさかこの後に及んでまで迷惑をかけるとは。
「私たちだってあまり時間をかけずにわだかまりを解く努力をしているわ。ゆっくりして悩んでいられるほど人生は長くないもの。」
不思議だった。二度の人生を生きている彼女がそう話すことが。
「お心遣いありがとうございます。」
とお礼を言うと
「どうか次に会う時は呆れさせないで、と彼にも言っておいて。」
ヴェロニカはそう言いながらも幸せそうに笑っていた。
彼女は再び強く腕を組んで式場に戻ろうとする。別れ際に
「でも次はもう少し後になるかしらね。」
と少し寂しそうだ。
私は勢いで
「そんなにお忙しいんですか?」
そう尋ねた。
領地を治めるのが大変なことは想像に難くないが、仕事の早い彼女が苦労するなんて信じられない。
それに対して彼女はただ笑うだけだった。
「心配しなくて大丈夫よ。」
と。
・・・
結婚式が終わって数日後。
シモーネと私が新しい領地へと向かう日が訪れた。
私はフィリアの死について彼と話をすることができないままであった。単純に忙しかったのもそうだが、あえて波風を立てるのは避けたかった。どうしても彼が隠したい気持ちが理解できないわけではないからだ。
馬車に乗り込むとシモーネは柔らかく微笑んだ。そして
「お休みになりたければいつでも言ってくださいね。」
と話すのだ。
私は未だにこの優しさが壊れてしまうのが怖かった。それでもいつだって彼の優しさは彼にとっては優しくはなかったのだ。それを私は知っている。
「ありがとうございます。」
できるだけ自然に答えたが違和感があるに違いなかった。
馬車は思っていたよりも早く進み、あっという間に南部へと到着した。荷物が運び込まれていく中、シモーネは
「数日間お疲れでしょうから、屋敷のご案内は明日にしましょうか。」
と話す。
どうやら、既にこの屋敷も把握済みのようだった。
一般的な貴婦人であればこのような態度に満足するのかもしれない。しかし、私は不器用で顔を赤くして狼狽えることもある人間としてのシモーネ・デ・ピノンが好きなのだ。彼はそのことに関して理解していないに違いなかった。
食事と湯浴みを済ませたが、まだ就寝する気分ではなかった。ふと昼間にミリが話していたことを思い出す。
「ここのお屋敷には過去に信心深い領主様がいらっしゃって、小さくて綺麗な礼拝堂があるんです。」
私はそれに興味津々であった。
寝巻きの上から羽織りを被り、ランタンを持って歩いて行った。そこは普段過ごす予定の母屋からそこまで離れていなかった。礼拝堂を作らせた領主もこうやって夜を過ごしたに違いない。
中に入ると薔薇窓が月の光に照らされ、神秘的な空間が広がっていた。それ以外は極端に簡素で、窓の存在が際立つ。
私は小さく呟いた。
「嫉妬深い私を許していただけますか。」
次の瞬間、がさがさと人が動く音が聞こえる。私は驚いて転んでしまった。
「大丈夫ですか?」
焦って飛び出してきたのはシモーネだった。
「大丈夫ですけど。」
差し伸べられた彼の手を取ったものの怪訝な顔で見てしまう。
私たちは並んで長椅子に座った。
「私は――城で生活していた頃もこうやって礼拝堂にいたんです。」
シモーネはそう話し始めた。
「己の罪の重さに耐えきれずに。もちろん、告解したとして許されることではないと分かっていますが。」
声の調子は内容ほど重くはない。
「フィリアさんを見送られたんですか。」
私は意を決して尋ねた。
彼は息を飲んだ。
「そうなりますね。」
それは彼なりの責任の取り方だと分かっていた。それでも。
「その後の処理には私が関わっていません。ただ、不安だったんです。貴方を再び害する可能性があると思うと。」
事件の処分が終わって少し後のこと、彼は私に聞いてきたことがある。
「フィリア・トネットと話したいと願いますか?」
と。
私は拒絶した。彼女と対峙したとして話すことは何もなかった。私が伝えたかったことは全て行動で表現したのだ。彼はそれについて安心しているように見えたのだ。彼女と私が接触するのを最も嫌がっていた。
それは彼の行動ゆえだと思っていたが――
「貴方が愛おしいあまり、フィリアに手をかけることさえ厭わない瞬間ありました。何度も。」
あまりにも赤裸々な、冷たい告白だ。
「ステラ、私は彼女について話す時、この世界で最も醜いのです。貴方の隣に居てはいけないほど。」
そんなわけがあるはずないのに。
「……でも、決して貴方はそうはしなかったじゃないですか。」
彼は自らが最も辛い道を歩んだのだ。それを知っている誰もが貴方に感謝していると言うのに。
私はレース編みの羽織りを頭に被せた。
「私は、ステラ・デ・ピノンはどんな貴方も愛すると誓います。」
とっくの前に私はそう決めたのだ。彼が信じないのであれば神の前でだって何度でも誓おう。
彼はいつかの夜の同じように手を震わせていた。指は顎に滑り込んでいく。まるで最初からそこにあったかのように。
「結婚式みたいですね。では、神には全てを告白する必要がありますから。」
少し自嘲するように紡いでいく。
「貴方の嫉妬がいつだって私の罪を洗い流してくれるような気持ちがしているのです。だから、私をもっと愛してください。」
彼に何度も言われた愛しているの言葉と同じくらい嬉しかった。私の涙を拭うように頬に口付けが落とされる。
世界にとって特別だった貴方にどうか別れを告げて。
これからはどうか私だけの特別でありますように。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
読んでいただけているからこそ、ここまで完走できたと本当に思っています!
あとがきを活動報告に更新させていただく予定です。ブクマも評価もとても嬉しかったです!




