30.再会の時間
お互いがお互いを意識し始める年頃に私とセルジョの結婚は決まった。
人々にとって理想的という言葉さえも大幅に上回ってしまうような男性は、呆気なく貴い身分の女性に掻っ攫われてしまうことになったのだ。
自らそんなことを考えて笑ってしまう。そんなことよりも自分の結婚相手が気心の知れた人物であることが嬉しいのだから。
彼、セルジョ・デ・ペゲッタの父親であるペゲッタ伯爵は私の父の古い友人だった。そして、政治的にも距離感の近い人物であったのだ。そのため城に長く滞在する機会があった。彼も父と一緒に幼い頃から見学という名目でここで時間を過ごすことが多かった。
結婚が決まった際、彼は学生であった。そのためなかなか会うことができなかったが、婚約式の際にこう言ったのだ。
「君と一生を過ごすことができて嬉しい。」
と。
それはどんなに夢のような言葉であったか。私は彼に出会うために生まれてきたのだ、ということを信じて疑わなかった。
しかし、そんな幸せな時間は突然失われてしまう。
社交界に突然現れ、頭角を表した子爵令嬢フィリア・トネット。彼女によって全てが破壊されてしまうことになった。
彼女はその美貌としなやかさで男性だけではなく女性をも魅了し、取り込んでいった。そのようにサロンを作り上げていった後、狙われたのはセルジョだ。彼は王城で一際燦然と輝く星であったからだ。
周囲を巻き込んだフィリアによって世論は作り上げられた。"わがままなヴェロニカ殿下はセルジョ様を愛しすぎて振り回して困らせている"と。
私はそれを初めて聞いた際、驚いて声が出なかったほどだ。誰しもが知っていたはずだ。私の結婚は私の意思によって決められるようなものではないことを。
セルジョの誕生日、私は誰よりも祝福すべきであるというのに密かに会いに行かねばならなかった。それがあまりにも悔しかったことをよく覚えている。
「ヴェロニカ……」
彼は心配そうな顔をして私の名前を読んだ。
「愛し――」
そう言おうとした彼の口を手で塞いだ。
今は確信的な愛ほど必要なかった。それはすぐ弱みに変化してしまうに違いなかったから。
「これを渡しに来たの。」
と言ってプレゼントを手渡した。
彼が
「今開けていい?」
そう尋ねるので、頷く。
深緑のベルベットのケースには黄金の金糸雀のブローチが入っていた。瞳にはルビーが嵌められている。
「これって……」
装飾品の意匠に詳しく、勘の鋭い彼ならこれの持つ意味を察してくれるだろうと思っていた。
そしてこんなデザインのブローチが似合うのは世界で唯一人、彼だけのはずだ。
「本当にありがとう。大切にする。」
私が彼の本当の笑顔を見ることができたのは、その時が最後だった。あんなことになってしまうとは一切思ってもみなかったのだ。
セルジョにまつわる噂は日々過熱していった。彼が否定すればするほど燃え上がっていくのだ。
そして結局彼は直接本人と関わって伝えるしかないと考えたようであった。繊細な容姿に反して性格は情熱的な彼ならそうするに違いなかった。
しかしフィリア・トネットは安易な気持ちで近づいてはいけない存在だったのだ。
ついに彼は取り込まれてしまった。取り返しがつかないほどに溺れていってしまったのだ。決してフィリアの美貌や彼女の言う愛などではない。彼女が人を滅ぼすために用いるそれらによって。
あの美しさは損なわれていった。それは単に外見の話ではなかった。彼の心にあった輝きが失われてしまったのだ。
無責任にも私と彼の噂を広めていた人々は、そのことさえも忘れてしまっていた。自分たちは取り返しのつかないことをした、ということにも気付いていなかったのだ。貴族社会は破綻を迎えつつあった。
国婚などはできそうになかった。それ以上に彼の状態は悪く、私たちは婚約を破棄することになった。私は世界を見失った気分であった。
私は恋に熱中し過ぎていた自分を恥じた。国を立て直そうと努力し始めていた。そんな中、宝物庫から声が私を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。
「ニカ……ヴェロニカ……」
私は導かれたように部屋に入る。迷わずに私の名を呼びかけるそれを手に取った。それが、この懐中時計だ。
側面に四つの押釦があった。それらを全て一人で押すことはできなかった。試しに一つの押釦を押してみると時が巻き戻る。しかし、二回目を試してみても何も起こらなかったのだ。これは一体何なのだろうか。
私はこの懐中時計についての記録があるか調べてみることにした。
そして理解したのだ。これは時を戻すことができる品物であると言うことを。そして、使用する人物もどれだけ戻ることができるか。そんな意思さえもこの"時戻しの神器"自体にあるということを。
四つの押釦については二人で同時に押す必要があると考えた。しかし、私には政治的に信用できる人物がいなかった。
さらに、権力を持つ人物に協力を求めるには対価を支払う必要がある。当時はあまりにもフィリアの息のかかった人物が多過ぎたのだ。
そのようなことを考えていた矢先、目の前に地味な文官がいた。私の執務室の前で今にも倒れそうなやつれた顔をして立ち尽くしているのを発見したのだ。それがシモーネ・デ・ピノンだったのだ。
「何かご用でも?」
と尋ねてみる。
彼は慌てたように貴族社会についての現状、それらの問題によって巻き込まれている国民に関する問題について話すのだ。
私はその現状を把握してはいた。そして彼がこの国を救いたいという気持ちを確実に持っているということが伝わってきたのだ。これ以上深くは考える必要はなかった。
「貴方、私と時間を巻き戻してこの国を救える?」
突然そう言われた彼は
「はい?」
と困惑していたようであった。
「この国を元あった姿に戻すために何でもできる?」
そう再び問いかけると
「承知いたしました。」
と深く頭を下げていた。これで契約は成立したのである。
そして私の考え通り、時戻りは成功したのだ。
幼少期は既にある記憶と変わり映えしない日常に嫌気が差した。それでもあの日のままのセルジョを見ることができたのは幸いだった。それが影からであってもだ。
フィリアが彼に執着したのは彼が私にとって一番大切なものであり、もし彼を失った時、正気でいられないものであると考えたからだろう。
確かに彼を手中に入れることは社交界において勲章のように扱われるかもしれない。それでも王女に喧嘩を吹っ掛けるのは得策ではない。
だからこそ私は彼から離れた。彼を貴い身分である婚約者から拒絶されている、不思議な麗人として作り上げたのだ。
一方でそのせいか私の兄が自身の婚約者を執拗に追い回し、婚約破棄の危機が何度も発生したのは最初の人生にはなかったことであったので驚いた。
しかし、その変化に深い意味は感じられなかった。兄は私の態度について何度も直すように指摘してきた。自分の行動をまるで棚に上げるように。
最初の人生で今の私と同じことをしていたのは彼であったというのに。
私は結婚をできるだけ伸ばすようにしたが、限界がやってきてしまう。そして最も近い誕生日に前回と同じように金糸雀のブローチを贈ったのだ。
今まで彼の誕生日にプレゼントを欠かしたことはなかった。ただこれが本当に伝えたかったことなのだ。
彼がもし籠の中の鳥と人々に言われてしまうのであれば、私が籠ではなく鳥になる。籠になるかどうかは貴方自身の自由であるけれど、と。
黄金の羽根とルビーの瞳を持つ金糸雀は私であったのだ。きっと今回の人生もその意味を彼は知っている。
部屋がノックされた。
「セルジョ・デ・ペゲッタです。ヴェロニカ殿下、入室してもよろしいでしょうか。」
彼は今まで絶対に私の部屋を訪れることはなかった。そしてやっと彼はここに辿り着いたのだ。
「どうぞ、入って頂戴。」
私もやっとこの言葉を言うことができた。




