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3.具体と抽象

「シモーネ様?」

私は彼の行動が気になり、つい振り向いて彼に対して問いかけた。


 そうすると

「もしかして寝ていらっしゃいましたか?起こしてしまってすいません。」

と彼はそう申し訳なさそうに言って、私の隣で横になる。


「いえ、先ほど入ったばかりでしたので寝てはいませんので謝らないでください。」

そう説明した後に彼の顔を見た。


「えっと、どうかなさいましたか?」

彼がじっと私を見つめていたので、つい尋ねてしまう。


「なら良かったです。」

そのような言葉が返ってきたが、私の質問には返答しないようだ。


「……イランイランですか?」

彼の放った言葉の意味が最初は分からなかった。

少し間を置いて自分の香油の匂いの話であることに気付いた。

 

「そうみたいです。」

そう指摘に同調している間に彼の手は再び私の髪に伸びてくる。

一束手に取ると親指で滑らせるように解いていく。


 下に流れていく度に彼の手は徐々に上の方へ向かい、顔に近づいてくる。

やがて後頭部に差し込まれた指は私の後頭部を優しく持ち上げるのだ。

そして気付かないうちにもう片方の手は腰に回っていた。


「あの。」

私はそう話しかけてみたが何と言葉にすればいいのか分からなかった。

次に起こることについてあえて考えたくはない。


 もしかしたら彼は私に気を遣ってくれているのかもしれない。

彼が私を年下として扱ってくれているのかもしれないからだ。


 しかし、そんな考えは消し去られてしまう。

次にやってきたのは言葉でも説明でもなく生暖かい唇だったからだ。

手の甲に、額に、頬に、そして唇に。それはまるで私に言い聞かせるかのようだった。


 「良いですか?」

そう問いかけられた。

私の答えは求めていない気がしてしまう。

だって何についての話なのかちっとも分からないし、彼も話さないのだから。


 固く抱き寄せられた腕を背中に感じる。

バランスを整えて同じように引き寄せられている彼の背中を強く掴んでしまった。これではまるで私が望んでいるようではないか。


「でも、私たちは家族ですが本家のように跡取りを早急に作る必要はありませんよね。シモーネ様だって毎日お仕事でお忙しいんですから――そうです、目安を決めましょう。えーっと。」

羞恥が身体中を駆け巡りつい早口で捲し立ててしまう。


 それを聞いた彼は大袈裟なくらい心配そうな顔をして

「お辛いですか?」

と尋ねてくる。


 どうして彼は抽象的な言葉しか言わないのだろうか。

明言を避けたいのか、それとも私に全てを言わせたいのか。


「えぇ、そうです。辛いです。私は貴方に比べて体力もないのでしっかり毎日良質な睡眠をとることが大事だと考えています。だからこそ貴方と擦り合わせをしたいと考えています。」


 私ははっきりと意思を伝えた。

曖昧な空気に耐える必要はないのだから。


 そうすると彼は

「分かりました。」

と言う。


 私の言葉を受け止めたようだった。

その姿は私のよく知っているシモーネ・デ・ピノンに見える。

 

「ではステラさんの考えをまとめていただいてから、私に伝えていただければ。」

きっと彼は仕事している時もこのような感じなのだろう。


 誠実で理性的、距離を引き過ぎているわけではなく人のことを考えている。それなのに――

 「では本日はお休みしましょう。」

そう言って私の顔に掛かっている髪を掬って耳にかけると耳の淵に少し触れた。


 彼の顔が近づいてきて暖かい息がかかる。

私は夜着の裾を強く掴んで動揺するのを我慢していた。

こんなに暗い部屋の中でさえも顔が赤くなっていることに気付かれてしまいそうだ。


「熱はなさそうですね。」

と彼は言った。


 私の額と彼の額がぴったりとくっついている。

こんな子供じみたことをしなくても手のひらで触れて確認すればいいというのに。

手ずからスープを食べさせられたことを思い出す。


 やはり彼は私のことを妹のように思っているのだろうか?


 目線を動かすと彼の瞳は下を向いている。

何か話そうとしているのか口が開いて舌が動いているのが見えた。

私を一瞬見たような気がしたが、それを気にする暇もなく彼の唇は再び私を捕らえた。


 前言撤回だ。妹には決してこんなことはしない。

でも本当に愛している人に対してもこんなことをするものだろうか?

考えれば考えるほどくだらなかった。


「お嫌でしたらどうかいつでも蹴り飛ばして拒絶してください。」

この状態でよくそんなことが言えるものだ。


 私の身体はベッドの上に仰向けに横たえられた。

長いアイスグリーンの髪は無造作に流れを作っている。

顔にかかった頭が邪魔だ。


 一方で彼の手は私の腕を掴んだまま震えていた。

「そんなことはいたしませんわ。」


 一度も二度も三度だって変わりはない。

きっともう既に知っていることなら、私が曲げられたり変えられたりすることなんてない。

少し変わってしまったとしても大したことではない。

全てはそんなものなのだから。


「……愛しています。」

最初の夜もそうやって彼がうわごとのように言っていたことを思い出した。


 私は嘘を吐けなくてその言葉に対して何も返すことはなかった。

それどころではなかった現実に隠し込んでしまったからだ。


 顎先に添えられた手はもう震えていない。

私はその身を預けるように、彼の言う愛を受け止めるために唇を開いた。


・・・


 私が目覚めた時には彼はもう朝食を済ませていた。

着替えもしてきたようだった。


 しかしここで働くただ一人の男性の朝は忙しい。

彼が自分で急いで身支度をしたせいか服が少し着崩れている。


 それに対して私は少し驚いた。

私が知らないことや興味を持ったことを尋ねてみても、何一つ知らないことはなかった人が生活に手こずることがあるなんて意外だったのだ。


「ステラさん、おはようございます。調子はいかがですか?」

彼にそう尋ねられた。

端的に

「大丈夫です。」

と答える。


 本当に気分は悪くはなかった。

ただ、彼は私の体調のことになると深刻そうな顔をする。

それ故に、つい事実よりもっと元気に振る舞わなければいけない気分になるのだ。


「では私は出勤しますので何かありましたら屋敷の誰かに伝えてください。」

そう出ていこうとしたので

「ちょっと待ってください。」

と引き留める。


「ちゃんと鏡は見ないとダメですよ。」

私は着崩れている部分をささっと直して彼の胸をぱっと叩いた。

「完成です。」

つい兄たちにするようにしてしまって恥ずかしくなる。


 彼は目をぱちぱちとさせると

「すいません、ありがとうございます。気をつけますね。」

と恥ずかしそうにした。


「男性をもう一人雇った方が良いんじゃないでしょうか。あ、ごめんなさい。こういうことはお金のことに関して私が確認してから言った方が良かったですよね……厚かましくて――」

 

 こんなことは彼が決めることだ。

そしてそう思ってもまず自分で考慮してから話すべきで、勢いで提案することではなかった。


 申し訳なく思って下を向こうとすると

「後々考えても良いですが、今のところ信用できそうなのは彼だけなので――他に候補が出てきましたらそうすることにします。」

そう言って彼は私の顔の縁をなぞる。

そしてそのまま顎を持ち上げて、昨日を思い出させるような口付けをするのだ。


 わざとらしく清々しい笑顔で

「では、行ってきます。」

と去っていく。

私の心は再び散らばってしまって何も言えなかった。


 タイミングを失って

「どうかお気をつけて、行ってらっしゃいませ!」

そう大きな声で叫んでみたが彼にはちゃんと聞こえていたのだろうか。


 今まで読んだ本の偉大な人物たちは誰しもがこう言った。変化を恐れるな、と。

彼らは変化を恐れなかったからこそ、後世の人々にまで尊敬されるほど、素晴らしいことを成し遂げることができたのだ。

今までの私はそれを至極正しいことだと思っていた。


 しかし人間は愚かだ。

変化に直面した際に初めてそのことの恐ろしさに気付くのだから。

これから毎日投稿をしていく予定ですのでよろしくお願いします。

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