2.前向きな展望
次の日――。
馬車に乗ってピノン領から首都へ移動していた。
そこまで距離があるわけではないが、私は馬車で寝ることができないので疲れ始めていた。
一方でシモーネは少し目を閉じたりして休憩をしていたようだ。彼は私の様子に気づいたのか、立ち上がって私の隣に座った。
そして
「どうぞ、寄りかかってください。」
と言うのだ。
「いえ、そんなシモーネ様もお疲れでしょう?」
化粧もしているので白粉が彼の服に付いてしまったりしたら大変だ。
「きゃっ。」
そんなことを話している間に少し馬車が揺れた。
無意識に彼の腕を掴んでしまう。
「危ないのでこのままでいてください。」
そんな風にはっきりと言われてしまうと断ることなんてできない。
優しさに甘えて
「失礼します。」
と言って少し身体を彼の方へもたれさせた。
白檀とインクの優しい香りがふわっとやってくる。
以前からシモーネは少し良い匂いがするような気がしていた。
ここまで近づく機会なんてなかったので不思議な感じがする。
急ぎ足で婚約してから半年。
あっという間だったが、一年前の私にはとても想像できなかったことばかりが起きている。
そんなことを考えていると、いつの間にかうとうとしていて
「ステラさん。」
彼が呼びかける声でハッと目が覚める。
「すいません。」
そう謝った瞬間に視界が明るくなる。彼の表情はいつもと変わらない。
「すっかり寝てしまっていて、ご迷惑はおかけしていませんか?」
と尋ねると
「いえ、疲れているようでしたのでお役に立てたようで幸いです。」
そのような返答が返ってくる。
彼は文官であるというのに身体が強い。意外だった。
人にもたれかかられた状態で長時間過ごすのはそんなに楽なことではないだろう。
「ありがとうございます。」
と言って先に外に出ていた彼の差し出した手を私は取った。
「ここが私たちの家ですよ。」
そうシモーネが言って私は屋敷を眺める。
こじんまりとしているが庭もあって、全体的な外観としてはすっきりしている。
自分なりに手入れをしたり飾り付けをしたりしていくのは楽しいものだ。
次第に愛着も湧くだろう。そのようなことを考えるのが一番楽しい。
「はじめまして奥様、これからどうぞよろしくお願いします。」
と、この屋敷で掃除など身の回りのことをしてくれる女性二人、男性一人と料理人の男性一人から挨拶を受ける。
「こちらこそよろしくお願いしますね。」
そうはっきりと伝えると彼らは嬉しそうに笑っていた。
きっと良い人たちだ。
「では案内しますね。」
シモーネが先頭に立ち屋敷の中を進んで行く。
そして、それぞれの部屋を教えるように案内をしてくれた。
「この書斎には新しい本棚を入れましたので、貴方が読みたい本を収納してください。」
書斎は主に家主の男性が仕事のために使う部屋のように感じていた。
しかし、どうやら私もここを使用しても良いようだ。
そんな気遣いに心が暖かくなる。
「ここが私たちの寝室になります。」
居間を除いて最も大きな部屋だった。
広々としたベッドが中心に置いてある。
屋敷自体の壁紙など全体的なセンスは少し懐かしさを感じるようなものだった。
しかし、それは新品のとても良い品であることが一目で分かる。
また、近くにはドレッサーがあった。
それも明るくて、優しい雰囲気の部屋によく合う可愛らしいデザインのものだった。
彼がこれらの品々を選んだと思うと不思議だ。
てっきりもっと簡素なものが好ましい人なのだと思っていた。
「気に入って下さると良いのですが。」
そう言った彼に対して
「素敵です、どうもお気遣いありがとうございます。」
と伝える。
少し堅苦しかっただろうか。
お世辞のように聞こえていないだろうか。
私は窓際の方に向かってテーブルセットを見た。
この部屋に合う素敵なドイリーを作るのはどうだろうか。
モチーフは――なんて考えてみる。
そうしていると
「ずっと立ちっぱなしで申し訳ありません。お茶を用意してもらいますね。」
と言って彼は頼みに走って行った。
改めて考えてみると全て物事は良い方向に向かっている。
私はこの結婚に対して最初は消極的だった。
私の意思は一切介在することのない縁組だったからだ。
しかし私は運命的な愛を期待していたわけではなかったし、政略結婚に対しても当たり前だと思う。
なぜなら私が憧れていたのは政略結婚だった両親は非常に上手くやっていたからだ。
彼らは私の友人たちの両親のような驚くべき情熱を持っていなかった。
それでもいつだってお互いを尊重していた。
二人の間の子供は私たちだけではなく、領地の民全てであるかのように感じられた。
過ぎた望みだと分かっていても私には家が欲しかった。
受け継がれてきた家、そして私が受け継いでいく家。
私が長男に生まれていれば一番良かったのかもしれない。
それでも私は兄が二人いる長女なのだ。
まさか兄が私の人生を一気に変化させてしまうとは。
シモーネが出世するために必要だった都合の良い少しだけ行き遅れた同じ身分の女性。
彼にとって私はそんな存在に過ぎない。
今、この瞬間もそれを事実だと思っている。
しかし、できるだけ良い方向に考えたいと思うのはそんな自分を少しでも自分が大切に思いたいからだろうか。
それでもあまりにも自分を哀れに思っていると彼が不憫だ。
彼だってもっと違う人と結婚したかったのかもしれない。
ただ急いでいただけなのかもしれないのだ。
寝室など私一人で過ごす場所として冷え切ってしまうかもしれない可能性を常に秘めているのだから。
彼とお茶をして少し休むともう夕食の時間になる。
料理人のジェフはよりによりをかけて
「今日は記念日ですから。」
と豪華な料理を作ってくれた。
「裏に畑がありますのでお好きな食べ物があったら頼んで育ててもらってくださいね。」
とシモーネは言う。
そして
「かぼちゃはもう頼みましたからそれ以外でありましたら。」
突然思い出したかのようにそう付け加えた。
「ありがとうございます。」
と私は言う。
少し考えて
「シモーネ様は何がお好きなんですか?」
そう私も尋ねてみる。
「私もかぼちゃは好きですが……にんじん、基本的に好き嫌いはありませんね。」
と返ってくる。想像通りだ。
「だからこう身体がしっかりされているんですね。何か運動でもされているんですか?」
そう追加で問いかけた後、彼が少し不思議そうな顔をしているのに気が付いてハッとする。これではすごく個人的に興味があるみたいではないか。
「いえ、気にしないでください。」
私は慌ててそう言った。
気まずい時間が流れたが
「ピノン家では兄も姉も剣を握るため、私も基礎訓練をしていたんです。そのためだと思いますよ。」
と彼はあっさりと返してきた。
気にし過ぎているのは私だけなのだろうか。
とてもお腹が満たされた後に再びお茶を淹れてもらって休憩をする。
早く湯浴みをしたかったが、とても料理が美味しくてつい食べ過ぎてしまったのだ。
動けるようになるにはまだもう少し時間がかかりそうだ。
私はその間、窓から外の景色を眺めていた。屋敷の外は静かだ。
シモーネより先に湯浴みをさせてもらって寝室で寝る準備をしていた。
ここで働くことになった若い女性ミリは私より少し年上だ。
彼女は新婚だからと言って香油を髪にも身体にも丹精込めて塗り込もうとする。
きっとそれはただ良い睡眠にしか役に立つことはないだろう。
しかし、そうされていると私は至福の気分だ。そのため、身体を預けてそのまま任せていた。
今にも眠りに落ちそうだと思った瞬間、部屋に入ってきた彼は私のきっと艶めいているであろう髪にそっと指を絡ませてきた。




