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1.甘い悪夢

 起こりうる全てのことに関して予測可能だ、と思っていたのは私が子供だったからだろうか。


 朝、目が覚めて昨日のことを反芻してみるが全ては夢だったのではないか。

しかし悪い夢と言うにはあまりにも――甘い。


「身体を強張らせないでください。」

夫になったばかりの人物はいつもよりずっと低い声でそう言った。それが耳に響いてくすぐったい。

 

「そんなことを言っても……」

緊張するのは当たり前だ。初夜なのだから。


 繋がれた筋ばった手も、汗ばむ腰に添えられた手も全て燃えるように熱い。

 

 彼が私の首筋に顔を向けた際にブルーグレーの髪が耳を掠めた感触さえも未だ残っている。ただ、それ以上に彼の見たことがない熱っぽい深い眼差しが焼き付いて離れない。


 どうか嘘だと言って欲しい。

彼のような生真面目な男性にそんなことがあるわけがないのだと。


 私、伯爵令嬢ステラ・デ・コルサーノは夢を持っていた。


 それは母のように家を持って仕切っていく女主人になること。そのためには長男と結婚する必要がある。

確かに豊かな領地が欲しいというような欲深さを秘めているものだ。それでも愛を求めることよりもちっとも恥ずかしくはなかった。

 

 しかしその夢は突然敗れた。

私の兄は友人から結婚相手の紹介を頼まれたのだ。そして兄から私にその人と結婚して欲しいとのことだった。

両親だって困惑するに違いないと思ったが、同じ伯爵家の令息だったのであれよあれよと話はまとまってしまった。


 そんな私の結婚相手、シモーネ・デ・ピノンはとても落ち着いた男性だ。

悪く言えば地味、だろうか。文官である割には恵まれた体格をしており、この結婚の元凶である兄よりもずっと背が高い。


 しかし特筆できるような特徴はあまりなかった。

あの透き通ったブルートパーズのような瞳以外は。


 婚前の印象としては物腰が柔らかで全ての人に平等に優しく、几帳面というものだった。

少し神経質そうに見えるところ以外は棘は感じられない。


 私は確かに長男どころか、結婚できるかどうか両親が不安に思うような娘だ。

そんな私には信じられないくらい優良な人物だろう。


 だからこそ、分からない。

どうして彼は昨日の夜あんな風になってしまったのか。

いくら考えても理由が思いつかない。


 もしかして私に好意を抱いていたとか?

彼に限ってそんなことはない。そう小さく笑って考えを吹き飛ばした。


「おはようございます。」

先に目覚めて部屋からそそくさと出て行ったと思っていたシモーネは戻ってきた。

手には銀のトレーを持っており、その上には温かそうで美味しそうな朝食たちが並んでいる。


「シモーネ様、おはようございます。」

そう私が起きあがろうとすると

「身体の調子はいかがでしょうか。」

と尋ねてくる。


「無理しないで下さい。そのために食事を持って来ましたので。」

彼は近くにあるテーブルの上に手に持っていたものを乗せて、椅子を引いた。


「ありがとうございます。」

私はそこへ座ろうとしてベッドから出ようとすると

「いえいえ、無理をしてはいけません。」

そう言って彼は私に近づいて軽々と抱き上げるではないか。


「そこまでしていただかなくても!」

驚いて訴えかけたが

「今日は休んでいてください。」

と彼は私をなだめようとする。


「さぁ、温かいうちに食べましょう。」

そう彼は食事に手をつけようとした。


 しかしスプーンで掬ったスープの行き先は彼の口元ではなかった。

私の口元だったのだ。

 

「え?」

私は困惑してしまった。

こんなことは子供時代に悪戯で兄にされたか、私が妹に対して愛おしんでしたことしかないのだ。

 

私は

「まぁ、シモーネ様。流石に行儀が悪くありませんこと?」

と嗜めた。


 彼は私の手を取って

「昨晩腕を良くない方向に曲げていましたよね。貴方は気付いてないかもしれないですが、手首が変な感じはしませんか?」

そう指摘されて、羞恥が身体全体に広がっていく。


 確かに心当たりは、ある。


「全てとは言いませんから今は無理に使おうとしないように。」

と彼は私の唇にスプーンを押し付ける。


 スープの味は、今が旬のかぼちゃだった。

口の中に優しい甘さが広がってつい微笑んでしまう。


「お好きですか?」

そう問いかけられて驚く。

今まで彼と話してきた中でこのような軽い話をしてきたことはなかったからだ。

 

 彼と私は四歳も離れている。

 

 兄の友人としてはもっぱらコルサーノ家の書斎にある本についての話し合いをしてきた。

過去の歴史についての解釈やこの対処は正しかったか、現在の政治との関連性、他の国の風土や文化。色気どころか食い気もない。

 

「えぇ、好きです。」

改めて元通りにしなければいけない必要性もない。私たちは正式に夫婦となったのだ。

昨日、彼と私の家族の前で誓ったことだ。

 

 私は物語で語られる愛を信じているわけではない。

 

 しかし、人には人の形だけの愛があると思っている。

私の願っていた夢は叶わなかったが、彼となら共同経営者として上手くやっていけるだろう。


 いや――思っていた、の方が正しいだろうか。

ただ先ほどから頭から漏れ出てしまう昨晩の記憶のせいで当分は心中穏やかになれそうにない。


「分かりました。このようにスープなどの食事が良いですか?それともデザートもお好きですか?」

とシモーネに尋ねられる。


私は

「どれでも好きです。」

そう答えた。


 彼はどうやらメモをしているようだった。

懐から出したペンと紙に何かを書き込んでいる。


「あぁ、手首に問題がありましたら医者を呼びますので仰ってください。」

と彼は思い立ったように話を戻す。


 私はまた氷のように凍りついてしまった。

というかそのことに関しては私に一切の責はないはずだ。

彼から今度は容赦するとかそういった弁明はないのか、というような感情が沸々と湧いてくる。


 それでも本音で指摘してしまうことは情けないので

「えぇ。ありがとうございます。」

と精一杯の綺麗な笑顔で微笑んだ。


 食事はどれもとても美味しかった。

けれどこれはそう長く食べられる代物ではないので残念だ。


 結婚してすぐはピノン家に滞在させてもらっている。

しかしシモーネは王城で勤務しているため首都の屋敷で暮らす必要がある。


 私たちは私たちの家庭を作ることになるのだ。

女主人といえども使用人は数少ないだろうし、やるべき仕事も少ないだろう。

それでも皆が快く過ごせる家を作っていきたい、そんな風に考えてみる。

きっとそう悪くないだろう。


「では私は執務室で仕事をしていますので、何かありましたらお呼びください。」

彼はそう言って退室して行った。


 トレーが下げられたテーブルにもたれかかって窓の外の景色を眺めた。


 結婚式はピノン家の敷地の庭で行われた。


 穏やかに晴れており、秋の空気が(かぐわ)しく、まさにそのための日と言えるほどだった。

木々は鮮やかに色づいているが、まだ枯れてはおらず、式場を彩っている。


 訪れた父と母は喜び、例の兄は得意げな顔をし、妹は寂しがって泣いていた。

一方で領地を飛び回ってばかりいた一番上の兄は急なことで複雑そうな顔をしていた。

兄は昔から忙しく、会う機会が少なかったので

「ステラが結婚してしまうなんて……」

と言う。


 私と同世代の女性たちはもう、ほとんど嫁いでしまっているので呆れてしまう。

しかし、その言葉が一番胸の中でじんと響いた。


 シモーネの家族たちも家族となる私をとても歓迎してくださった。

「こんな賢くて素敵なお嬢さんを迎え入れることができるなんて。」

その言葉がどんなに尊いものか。


 しかし、私はそんな人々の溢れる喜びの渦中で得体のしれない違和感に包まれているのだ。


 この先何か起こるかもしれないという証拠のない不安がやってくる。

それが、私を楽観視させようとしているのではないか。

私は何かを見落としているのではないか。


 起き抜けにシモーネに口付けられたこめかみにそっと触れてみる。

やがて私のもとにやってくる不安は全く想像もつかないことだった。

お読みいただきありがとうございます!

なかなかじっとりした本格的なシリアスロマンスとなりますがお付き合い頂けたら嬉しいです。

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