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24.密室の中で

 「殿下、遅くなりまして申し訳ございません。」

私はそう挨拶した。ヴェロニカ殿下の入室許可を合図に扉を開く。


 そこにはシモーネがいた。

「ステラさん。」

そう私を見た彼は呼びかける。


 正直なところ彼と会う心の準備はまだできていなかった。どうしてただ目を合わせることがこんなにも難しいのか。


「昨日は迷惑だったから追い出したけれど、私と話す前に彼と話してみるべきよ。」

と殿下は私に伝えてくる。


 それは何も間違っていなかった。しかし、やはり殿下は厳しい人物だ。推奨される対話がいつだって本当の意味で対話になるとは限らないのだ。最悪の場合、ただ傷を生むだけになってしまうことだってある。


 しかし私はこの場に彼女の部下として存在している。


 私は

「承知いたしました。」

と簡潔に答えた。避けることは不可能だった。


 その返事を聞いた殿下は、この部屋と繋がってる隣の部屋の方を指差して

「あそこを使うと良いわ。」

そう伝えてくる。


 シモーネは先にその部屋の方へ向かっていた。私が入れるように扉を開けて待っている。


 屋敷でのこともそうだったが。いくら取り乱していても丁寧さを崩すことがないのは彼の一番の美徳であろう。


 そして私にとって最も憎らしい点であった。恨んでも、恨みきれない。常に人に対して丁寧であるということは簡単そうに見えてそうではないのだ。習慣化されていても意識を向ける必要がある。混乱の最中であれば尚更だ。


 部屋に明かりが灯され、光が広がった。彼は開けていた扉を閉めた。


 あまりにもぎこちない。自ら話を始めるにしても、何から話せば良いのか分からなかった。私が今、彼に話したいことなど何もないのだ。

    

 シモーネは

「こちらに座ってください。」

と言った。戸惑って部屋を歩いているままの私にソファを引いて案内する。


 私は

「ありがとうございます。」

そう言って座った。彼も向かい側に座る。


 腰を落ち着けても、私たちの空気は変わらない。彼も珍しく言葉を失ったままだ。昨日必死に私に弁明しようとしていたのは一体何だったのだろうか。


 沸々と怒りが湧いてくる。それは押し込めていたはずであったのに、どうしようもなかった。私は短期間であまりにも様々なものと対峙し、疲れ過ぎている。


「まず――」

私は少しずつ話し始めることにした。声が思っていたより響くようだ。これからする話は殿下であっても聞かせたくなかった。少しトーンを落として話を続ける。 

 

「殿下とはお話しするんですね。確かに報告をする必要はあるでしょうけど。」

捲し立て始めてしまった口は止まらない。


「まず私に話そうとは思われなかったのですか?」

私はもう選択を間違えてしまった。これでは彼を責めているだけだ。このようなことをしても何の利益にもならないというのに。


 彼は目の横に皺を寄せていた。それはどのような感情を示しているというのか。


「申し訳ありません。」

彼はそう言って頭を深く下げた。


 これでは前回の二の舞だ。利益どころか意味すら感じられない。喉が渇いて口が苦くなってくる。お茶が必要だ。


 そう思った瞬間に部屋の扉がノックされる。セーラがお茶を用意してくれたようだった。

「殿下からのお言葉ですが――」 

と彼女は話し始めた。嫌な予感がする。

 

「話がまとまられるまで外に出ないように、とのことです。」   

それは的中した。


 非常に曖昧なお願いだ。どうすれば良いのか分からない。


 冷め切った空気は余計にもつれてしまう。それをすっきりさせたくて、一口お茶を口にした。それは殿下が気に入って飲んでいるいつものお茶ではなかった。


 私が目を大きく開いて驚いているとシモーネとかちりと目が合う。そして彼は目を逸らすように閉じる。用意させたのは彼だ。セーラは私のお茶の好みを知るはずがない。

  

「私は――」 

彼はそう話し始める。彼は緊張しているように声を震わせた。


 それもそうだろう。本来であればこんな時、得意げに目を合わせてくるに違いないのだから。


 そして

「貴方に恥じるようなことは何もしていません。」

と言い切った。


 しかし、それはあまりにも曖昧な言葉だ。落ち着かなさを感じさせる。それでも具体的な話など、とてもこのような場所で口にできるようなことではない。そんなことは分かっていた。これが彼の精一杯なのだ。


「では、話を変えましょう。」

私はあえて話を逸らすことにした。彼が答えられないというなら、答えられるように仕向けるだけなのだ。


「フィリアさんを愛人にしても良いと私が提案したらどうでしょう。」


 我ながら何の特権があって、と言いたくなる言葉だった。苦笑いしかできない。


 こんなことを言っても良いのは妻などではない。最も愛されている自信がある者しか許されない。城の人々以上に彼にとっての見せ物になっている気分だ。


 それを聞いた彼は再び目を閉じた。あまりにも滑稽で見ていられないだろうか。それとも痛ましいのだろうか。


 悪魔に心など本当にあるのだろうか。 

 

「そのようなことは考えたことありません。」

その言葉を聞いて

「ほらね。」

と呟いてしまいたかった。しかし、彼の言葉はそこで終わりではなかった。


「私は潔白です。誰もが信じなくとも、もちろん貴方が信じられなくとも。何もなかったのです。」

それはあまりにも淡々と紡がれていく。

 

「そこには決して愛など存在しないのですから。」

冷たくて凍えそうだ。


 しかし、様子が変だった。

「――どうすれば証明できるんですか」

最後の最後に彼はそう呟く。涙を流していた。


 もう彼の顔に仮面などなかった。彼を傷つけたのは私だ。しかし自分の傷が深過ぎて、彼を助けるために身動きなどできなかった。

 

 私は彼の愛に自らが見合っていないということを認め、愛ではない何かでそれを埋め合わせようと思うことからも逃げてきたのだ。


 今、やっとそれを理解することができる。 


「貴方が私の下にいる毎日が奇跡のようなんです。それに感謝して私は生きている。」

彼は静かに涙を流し続けてそう伝える。まるで告解のようだ。


「そして私の過ちや、この汚れた手について許しを得ようなどとは一切考えておりません。貴方には何の関係もないのです。これは全て私の選択です。」


 私は何も考えず彼に駆け寄ってしまう。ハンカチを差し出した。


 彼は目に涙を溜め込んでこう言うのだ。

「愛しています。私のような存在が貴方を愛してしまって申し訳ありません。」

と。


 彼はハンカチを強く握りしめ、涙を流し続けていた。


 一体どうしてこのような愛が世界に存在するというのか。


 彼の愛を認めなければ、全てが押し潰されそうなほどだった。私は彼と過ごした時間によって世界を知ったような気持ちになっていた。


 大袈裟だろう、と笑っていたがそれは真実だったのだ。決して本を読むことでは知ることができない"全て"を。


「分かりましたから、もう泣かないでください。」

いつも彼が私にするように、親が子供にするように、涙を拭いた。抱きしめて背中をさする。


 彼はそれを拒否することはなかった。腕に力が入っておらず、生気が見えない。また食事を抜いたのだろう。


「ほら、これを見てください。」

私は無邪気に、また小さい子をあやすかのように彼に話しかけた。


「……綺麗でしょう?」 

そう言ってネックレスを持ち上げた。


 彼の瞳はそのブルートパーズと同じように光り輝いていた。涙が反射して尚更美しかった。


 感情のさざ波がやってくる。それはあまりにも恐ろしかった。何かに気付かされそうで。


「よくお似合いですよ。」

と彼はいつもの調子で言う。見たことのない笑顔だ。


少し時間が開いてシモーネは 

「――貴方はこのようなものを好まないと知っています。」

と呟いた。


「それでも私のエゴですね。貴方にこのようなものを贈ることができる唯一人として贈ってみたかったのです。」

そう目を細めて笑う。


「貴方が喜ぶことは他にもいくらでもあるというのに。私ばかり――」 

と言って彼は再び押し黙ってしまう。

 

 陰で悪魔がほくそ笑んでいたとしてもいい。私はもう己の罪を自覚している。きっと最初から地獄に堕ちる運命だったのだ。


 ただ、私は今更恋に落ちたりはしたくなかったのだ。

お読みいただきありがとうございます!

今回は2話更新となります。

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