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22.門前の道化

「殿下、お待たせいたしました。ステラですが、入室してもよろしいでしょうか。」

そう私はいつものように許可を尋ねた。その声は震えてるに違いなかった。


 そして

「どうぞ、入って。」

と言った殿下の声も普段と違って聞こえる。気のせいだろうか。


 入室した途端に

「もう煩わしいわ。出て行って頂戴。」

そのような非常に強い言葉が殿下から言い放たれていた。相手は私の夫だ。


「しかし……」 

彼はしぶとく居座ろうとしていた。だが

「あのね、賢いんだから。私が貴方がいると話辛いことくらい察しなさいよ。」

と再び怒られている。


 殿下が彼に対して冗談で強い言葉を使ったことはあっても、言葉の表面そのままの意味で使用しているところは初めて見た。


 彼は諦めたようだ。ドアの方に向かい 

「では、失礼いたします。」

そう退室して行った。


 去り際、私の顔を少し見ていた。あまりにも心細いような、不安げな顔をしていた。一体何があったというのだろうか。


「どうぞ座って。」

と殿下は言って一口お茶を飲んだ。


そして

「気が悪くなりそうだからドライフルーツを用意して。」

そうセーラに依頼する。


 殿下はそれらがテーブルの上に用意されるまで一言も話さなかった。

その時間に私は口が乾き、何度も紅茶を口の中に流す。必死に平然を装っていた。もう既に事が始まっているようだった。


 彼女はため息をついて

「落ち着けないと思うけれど、落ち着いて聞いてもらえるかしら。」

と少し言葉にクッションを置いた。


 しかし、今の私にはそのような気遣いは必要なかった。この時間があまりにも長く感じられて辛いのだ。


 そしてとうとう真実は明かされる。

「確認したところフィリアは脱走しておらず、捕縛されているままの状態だったわ。そして彼女は今、具合が悪いの。」

心臓が跳ねた。どうやら彼女は城から逃げていないようだ。


 そのことについて納得できる。私に挑戦状を叩き付けた以上、また姿を現すに違いないからだ。


 しかし不調についてはどういうことであろうか。先日会った彼女は捕えられていた人物とは思えないほどの瑞々しさがあった。急に体調の変化が起きてしまうのには特別な理由があるだろう。例えば――


「彼女、妊娠しているようなの。」


 間違いなく私が見ている現実は悪夢なのだ。今、地獄の入り口へと向かっている最中なのだ。  


 その後、殿下の配慮によって、セーラが馬車に同乗して私を家まで送り届けてくれた。しかし、その間何を考えていたのか分からないくらい、思考に深く溺れていた。


 ただ今回ばかりは自分の思考でさえも信じられなかった。自分はまず信じたくないと考えているのに、信じてしまったら全てが崩れてしまいそうだからだ。


 どうやら彼は書斎にいるようだ。しかし、私を出迎えることはなかった。それを冷ややかに感じられたが、これで良かったのだ。いつもなら彼に答えを求めるはずだった。それでも今は明確な答えなど欲しくなかった。


 私は卑しい。きっと今の状態で彼と向き合ってしまったら、フィリアへの当てつけのように彼を穢してしまうかもしれない。そんなことを考える自分が最も恐ろしかった。 


それと同時に彼が書斎から立ち去るのを待っていた。結婚後の私生児は珍しい話ではないが、結婚前の話は有耶無耶になってしまうことが多い。


 しかし事例が全くないというわけではないだろう。法としてどのように整理されるべきであるのかをすぐに確認すべきだった。そしてその出来事から、私の今の立場を守る手段を早く確保したかった。


 以前私は毎日のように生まれ変わっているようだと考えたことがある。今は寧ろ、生まれ変わったというよりも、本来の私の中に別の私が新たに生まれ、それぞれが別の人生を歩みたがっているようだった。


 それはそれで気味が悪い。それでも彼は己の罪を洗い流すことができるような聖女なんて求めていなかっただろう。最初から私がそのような存在になることができないのは知っている。もちろん毒婦にだってなれない。


 私は私、ステラ・デ・ピノンとして厚顔になっていくだけだ。それでもいい。


 一人で夕食と湯浴みを済ませた。彼は未だに書斎に閉じこもったままだった。


 普段は寝室以外のベッドのある部屋で寝ているようだったが、今日は書斎で夜を明かすつもりのようだった。


 私は明日も城に行く必要があった。なのですぐにでも調べ物をする必要がある。殿下と話し合うためにも、あらかじめ情報をまとめておくべきだろう。


 夜着のまま書斎の扉の前に立つ。シモーネにどんなことを言われても傷つきそうで怖かった。震える身体を落ち着けてノックをしてみる。声は聞こえなかった。


「失礼します。」

そう言って扉を開けると部屋の中は真っ暗だ。どうやら彼は眠ってしまったようだ。

 

 カーテンが開けられたままの大きな窓から美しい月が光り輝いているのが見える。夜空はところどころ雲で滲んでぼやけている。まるで私が涙を流しているようだ。

 

 青白い光に照らされたシモーネは悲しいほど綺麗だった。もう二度と彼を地味だと思うことはないだろう。それがあまりにも恨めしかった。


 静かに部屋の中へと進んでいく。彼を起こさないように気を付けるのは、自分自身への優しさだ。私が探している本があると予測した棚の前に辿り着く。


 灯りで近くを照らして一冊一冊確認していく。しかしどれも重そうなため、二冊程度で限界だった。しっかり吟味して選択する。


 早く出て行かなければと思い、部屋に入った時以上に急いで扉の方へ向かう。彼がいつ起きてしまうかと考えると、呼吸の激しさは収まらないままであるのだ。


 私は一度だけ振り返った。 

「貴方が以前どのようなことをしていたとしても、貴方の私への行動を疑うようなことを私はしないわ。」

声にならないように言い放った。


 これは決して信用などではない。私にだってあらゆる手が使えるということを示したいだけだ。

 

 朝――。

私は本を開いたまま寝てしまっていたようだ。そして不思議と空気感で理解する。シモーネはすでに屋敷を出たようだ。


 しかし私のベッドの上にあるはずだった本は、ナイトテーブルの上に整理されていた。そして、中途半端に掛けられていたシーツは私の全身を覆っていた。


 その痕跡たちの中で極めて最悪であったのは未だに強く残る白檀とインクの匂いであった。どうやら彼はこの部屋に"立ち寄った"のではなく"滞在"していたようだった。


 なんて私の感情を逆撫でするのが上手なのであろうか。


 私はそれでも昨日と変わらず、未だ身体に馴染まない首元の開いたドレスを身に着けた。

 

 そして――これは再度日の下に出すようなことはないだろうと思っていたもの。結婚した際に記念品としてシモーネに贈られ、結婚式でも着用したネックレス。肩が痛くなりそうな絢爛なデザインだ。


 大きい長方形の石がまるでシモーネの几帳面さを表現しているようだった。その宝石はまさにブルートパーズなのだ。そして周りには小さなイエロートパーズが星のように散りばめられている。


 彼は加工される前、この宝石を見た時に私の瞳を思い出したと話していた。そんなことを考えると口の中が苦くなってくる。


 実際、私たちの間柄にはこのようなものは不釣り合いだと思った。最初に見た時はおかしくて笑ってしまいそうだったが、そんなことも遠い過去のようだ。


 私はそれをミリにお願いして着けてもらう。鏡でそのような自らの姿を見ても、ただ滑稽に思えただけだ。それで良い。見せ物になってしまうのであれば、より派手に、より誇張されていて、見応えはあればあるほど良い。


 いくら傷ましく見えたとしても、私はちっとも悔しくない。もうそのようなことを考える時間は過ぎてしまった。フィリアの言う通り時間切れだったのだ。


「とても素敵ですよ。」

ミリはそう笑顔で言った。


 彼女も私たちの間に何かが起きていることを知っているだろうに、それでも鮮やかな顔をしている。

「私もステラ様の花嫁姿が見たかったです。」

なんて笑うのだ。


「そうね、あの時は本当に幸せだったわ。」

私は目を細めて言った。


 そう、あの頃の私は自分だけが可哀想で自分だけが利用されていると思い込んでいたのだ。

お読みいただきありがとうございます。

衝撃の展開!変化しつつあるステラにどうかお付き合いいただけると嬉しいです。

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