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16.意外な報復

「俺も彼女に誘われたんです。破滅衝動でもあるんですかね、本当に可哀想な女性だ。」

城内の廊下で角を曲がろうとすると、そんな話が聞こえた。


「どうしていいか分からず困惑しましたが、それでも彼女をどうにか宥めて帰しました。」

会話はそのように終わった。くだらない。


 声の主はもちろんエフィジオ・ギアッチだ。


 私はとても聞いてられなかった。しかし足早に王女宮の方へ向かおうとすると、足音が近づいてくる。それはいくら引き離そうとしても諦めることはなかった。更に速度は速くなり、ついに私の動きを超えてしまう。


「ステラ・デ・ピノン。」

呼びかけられてしまうと、反応せざるを得ない。


 エフィジオに

「気分はどうだ?」

そう問いかけられた時点で最悪だった。


 彼は話が通じるような人物でもない。そして彼と話をしても得られるものはなかった。私にとって損しかないというのに、なぜ彼に時間を使わなければいけないのか。


 顔を見て

「ごきげんよう。エフィジオさん。」

と軽く挨拶をする。


 私は動揺したりしない。貴方に弱みを見せたりはしない。


「どうしてそんなにお堅いんだ?先日は楽しい時間を過ごしたじゃないか。」

彼はそう迫ってくる。


 前回と同じように壁に押し付けられた。しかし以前とは雰囲気が違う。彼は厭らしい目をして私の反応を観察するかのようにじろじろと見つめてくる。相も変わらず声が粘ついていて全てが不快だった。


「貴方は以前私を取るに足らない女だと仰ったじゃないですか。」

私は彼の目を見て主張する。絶対にここで目を逸らしてはいけない。


「あぁ、覚えているさ。俺をこっぴどく侮辱したことも。」

そう言って彼は私の顎を掴んだ。


「ちっともあんたは魅力的じゃないけど、よく考えれば――」

もう片方の手が腰に回される。


「こうすれば誰も俺を疑わずに、あいつの気を損ねることができるってね。」

あまりの嫌悪に全身が震えた。引っ叩いてやりたい。


 それでも今、私に不貞だけではなく物品の破壊や品行の問題が上がっている現状、正当な理由があれど彼を突き飛ばすことは躊躇われた。エフィジオはそれを分かっていて、狙って私にこんなことをするのだ。


 自分のためだけに好きでもない女性にこんなことができてしまう気概について逆に感心する。そう思った次の瞬間に私の心はちくりと痛んだ。シモーネだって同じことをした。だからこそ彼に恨まれているのだ。その報復が私に向かっている。

 

「実際のところどうなんだ?」

次に訪れた彼の問いかけは意外なものだった。


「シモーネとの生活に不満があるのか――それともあいつに歪められたのか?」

一気に顔に血が上った。この男はどれだけ下劣なのだろうか。


 フィリア・トネットがどのような人物であってもこのような男に恋焦がれられ、信奉されていることについて心底同情する。


「どのような話か見当もつかないですわね。」

そう言って私は顎を勢いよく下ろした。


 彼の手は私の鎖骨にぶつかる。私自身も痛みを感じたがこうしなければ気が済まなかった。


「何だよ。」

と彼は気が悪そうに言った。


しかし

「あ、分かったぞ。」

そしてまた下品に笑う。


「既婚者がいいんだな。」

一人で納得したようだ。


「残念だなぁ、俺は独身だから。」

手の震えが収まらなかった。彼には今の私はどのように見えているのだろうか。


彼は

「じゃ、残念だけど。」

と去っていった。


 しかし彼の報復はこれだけで終わらなかったのだ。


 彼は私との話をどこでも繰り広げていた。素行の悪い彼のことを嫌っている人々は多かった。しかし、それと同時に人の噂には目のない人々も多い。誰が話を広めているかなど、どうだっていいのだ。彼らはいつだってそれを楽しみたいだけなのだから。


 ある日も城内を歩いている際にエフィジオに手首を強引に掴まれ、話に加われと言わんばかりに無理やり連れて行かれる。


 そこには若い女性が二人ほどいた。彼女たちも彼と同じくおそらく未婚だろう。私は悲しくなった。どうかこんな人物と関わらないようにして欲しい。老婆心ながら思ってしまう。


私は

「この人だよ。ステラ・デ・ピノンは。」

と女性たちに紹介される。


「どうしても彼女たちがどんな人か見てみたいって言うからさ。俺は別に見る必要はないって言ったんだけど。」

そう言う。事情なんてどうでも良い。


一人が

「どうしてこんなに噂になってるんですか?」

そう問いかけた。


そして

「……すごい美人かと思ったのに。」

と残念そうに呟く。どうやら二人は城に来て間もないようだった。


 私が綺麗であろうがなかろうが、不貞以上に城内での問題行動の方が重大なことであり、決定的な事件である。それが彼女たちには理解できないようだ。あまりのもどかしさに頭を抱える。


「この人の旦那さんは?」

と女性が問いかけた。


「俺は絶対会いたくないからそれはなし。」

そうエフィジオは答えた。直接彼に何も言えないくせに。代わりに私を狙うのは本当に卑怯だ。


「どうしてこんなことするんですか?」

先ほどとは別の女性に問いかけられる。そんなことは私の方が聞きたかった。


「もしかして、彼とも……」

とエフィジオの方を見る。ダメだ。それだけは絶対にダメだ。


「はは。」

彼は乾いた声で笑った。まるで人気のある男性は辛いね、とでも言うかのように。

 

「俺がどうにかしてやろうか、って言ったけど既婚者じゃないとダメなんだってさ。」

と肩を組まれる。そもそもそんな軽いやり取りをする関係になった覚えはない。


必死に彼から離れようとすると後ろから人影が現れた。その人物は手を伸ばし、私の身体から彼の手を引き離した。


「シ、シモーネ・デ・ピノン!」

彼だ。エフィジオは明らかにシモーネの姿を見て焦っている。


「私の妻に何をしているんだ?」

彼はエフィジオを上から冷たく見下げ、言い放った。私には見せない姿だ。


 気を取り直したエフィジオは

「な、何って。寂しそうだから話し相手になってやってんだよ。」

と偉そうに言う。


 どんな状況でも彼の減らず口は直らない。ヴェロニカ殿下が指摘していたことを思い出した。


「そのようなことは必要ありません。」

シモーネは至って冷静に話を続ける。


 エフィジオは

「はっ。何強がってんだよ、心の中では焦ってるくせに。だからこうやって来たんだろ?」

と笑った。


「別に良いじゃないか、この女がそう望んでいるんだったら、寛容に受け止めるべきだと思わないのか?ん?」

彼の煽りは止まらなかった。


 こうすることによってきっとシモーネを怒らせたいのだ。そして自分と同じ位置に貶めたいのだ。


 シモーネは声を荒げたりはしない。それでも彼にだって限界はある。これ以上この状態が続くと、もっと良くないことが起きる気がして怖くなった。その瞬間、私は全てのことが恐ろしくなくなったのだ。


 自分の尊厳を守れるならどうなったとしても――その思考は止まる。私が今すべきなのは彼が真犯人を見つけるために大人しくしておくこと。いや、逆に乱してみるのはどうだろうか、果たしてこの状況を作り出している人物は困惑するだろうか。


 私はシモーネに口付けた。一度目は挨拶のように、二度目はより深く。三度目は――

彼は私の行動を拒否しなかった。迷うように腕は宙に浮いていたが、私は決してこの行動を間違いではない、と言うように引き寄せた。


「ほら、私は夫に何の不満もありませんし、願えば何でも叶えてくださいますのに。」

と笑って伝えた。


「人の妻の私が気になりますか?ただ丁寧に接したことをに関して勘違いされては困りますね。」

その言葉を聞いて、またエフィジオはこめかみを震わせている。


「では。」

これ以上付き合ってられない。


 私はシモーネの腕を引っ張ってその場を後にした。今日の出来事について真犯人が知るかどうかは分からない。それでも何かしら状況の変化が見込めるに違いない。


 それにしても――あんまりな方法だった。

「シモーネ様、人前で勝手なことをしてごめんなさい。」

そう謝ったが、彼の顔を見ることができなかった。


 彼はそんな私としっかり目を合わせるように

「いえ、役得でした。」

珍しく彼は冗談めかした言葉を呟いた。深刻そうな表情をしているであろう私の気を重くさせないように。


 しかし彼の手は埃を叩くように私の肩や腰を行ったり来たりするので、よっぽど彼の方が深刻そうに見えた。

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