第6章 同居人
アレクシス・フォン・リンゲルハイムと言ったか。
リンゲルハイム――――
聞いたことがある。
先の王妃様のご実家がそんな名前だった気がする……
工房を出て、僕とヴォルフガングは宿坊に帰ってきた。
この一角は、僕の父によって寄贈された貴族の子弟専用の宿坊となっている。
一階の共同スペースの長椅子に腰を下ろし、そのままだらりと寝転がる。
いつも『エリアス様、だらしないですよ』と声をかけるコンラートは、食事のワインを取りにいっている。
向かいは……と見ると、ヴォルフガングもだらしなく椅子の上でのびていた。
脳裏に書庫での会話がよみがえる。
「写本の作業をしている間、私がここで、この本を借りるというのはどうだろう?」
確か――アレクシスと名乗った男はそう言った。
写本の作業をしている間。
「写本師って……。僕、言ったかな?」
天井を仰ぎ見ながら、ふと言葉が漏れた。
「言ってなかったかもしれぬな」
「僕も言った覚えないんだよなぁ……」
と、答えたところで、
はっと気づいた。
ヴォルフガングはだらしなく向かいの椅子に寝そべっているままだ。
この声の主は!?
聞いたことがある。
それもさっき。
「き、きみは!」
僕は飛び起きた。
「ずいぶんと自堕落で楽しそうな生活だな」
そこにいたのは、先刻会ったアレクシス・フォン・リンゲルハイム、その人だった。
ヴォルフガングも慌てて身を起こす。
足音がしなかった。
「な、何をしに!?」
僕はやっと出てきた質問をした。
「司教殿に伺うと、この一角が貴族向けの宿坊とか。あちらの棟には人が多かったが、こちらはほとんど人が入っていないな」
そう、この棟は実質、僕とコンラート、ヴォルフガングしかいない。
たまに客人を泊める以外はほぼ僕たち専用の宿坊となっていた。
「宮廷関係者は、王宮に泊まるものでは?」
窓の外、修道院のすぐ隣の建物を指差した。
僕が生まれる前に、皇帝によって聖エメラム修道院に併設される形で建てられた宮殿。
実際には王は住まず、客が来るだけの名ばかりの宮殿だが、建物だけは立派に建っている。
宮廷の関係者が来た時は、この宮殿の2階に泊まるはずだ。
「こちらの方が落ち着くのでね」
涼しい顔で言うアレクシスに
「宮廷関係者なんだから王宮に泊まれよ!」
僕は当然のことを言ってやった。
「私がいては不都合か? 何か知られてはいけないことでも?」
「……! そんなものないよ!」
勢いよく答えたけど、アレクシスはどこ吹く風。
最悪だ!
せっかくの悠々自適ライフを、こんな黒いしっぽを生やしたヤツに潰されてたまるか。
そう思った僕の意図とは反対に、アレクシスはここが気に入ったと荷を下ろす。
「2階の奥の部屋が空いているようだから、そこを使わせてもらおうか」
に…2階の奥!?
ちゃっかり、いつの間に調べたんだ!?
何とか言えよ! ヴォルフガング!! と目をやったが、ヴォルフガングは魂が半分口から抜け出している。
戦線離脱。
使えないヤツ!!!
「こっちの陣地を侵すなよ!」
捨て台詞に軽く肩をすくめるアレクシス。
それを横目に、白目を剥いているヴォルフガングを回収した。そして慌てて僕は階段を駆け上がり、2階の部屋に戻った。
ヴォルフガングを彼の部屋に放り込み、隣の自分の部屋に滑り込む。
パタンッと、勢いよく扉を閉め、そのまま閉めた扉にもたれ掛かった。
はぁ……
と息を吐く。
一息つくと、そこは明かりも灯っていない真っ暗な部屋。
秋のひやりとした空気が頭を冷やす。
すると、昨日のルーカスの様子が脳裏に浮かんだ。
彼が筆を舐めながら一心に描いている時は調子がいい時だった。だが、最近はそんな姿を見ていない。
昨日も彼は筆を持ったまま描けずにいるようだった。
ルーカスも、ペーターもティーロも。
役割は違えど、共に本を作成するという目的を同じくした仲間だった。
ここ一、二年、
「去って行く人ばかりだ……」
ぽつりと言葉が漏れる。
――――父も、兄も、妹も。
手が無意識に白い上衣の下のペンダントへと伸びた。
7歳の時、修道院へいく僕の首にかけられたそれは、十字架でもなければ、古代ローマのカメオでもない。
金の細工が施された星の意匠のペンダント。
これをかけながら、父は言った。
「すべての道が絶たれた時、これを開きなさい。それまでは開いてはいけないよ」
その父はすでにこの世の人ではなく、長兄も追放された。
そして妹は、追放した王の弟に嫁がされた。
今はかろうじて、叔父と次兄が公国を支えている。
自分だけ……
自分だけが、のうのうと安穏とした日々にあぐらをかいている。
普段あえて見ないようにしていた現実。
それに目を向けた途端、立っている地面の底が抜け、真っ暗闇に投げ出されそうになる。
胸の奥がキリキリと締め付けられた。
僕は無意識に強くペンダントを握りしめる。
ユーディト――――
僕の2歳違いの妹。
王の弟に嫁いで以来、無事でいるかどうかさえわからない。
チラリと机の引き出しに目をやると、ドクンっと心臓が脈打った。
妹からの手紙もあれを最後に途絶えている。
ヤツは、妹の嫁ぎ先の縁者なのかもしれない。
だが、宮廷からの調査官だ。
あの王の。
アレクシス――――
何者なんだ?
悪魔じゃないとしても、あの予言能力は何だ?
ここまで少なくとも10は言い当てている。
尋常じゃない。
たった数日で街が騒然となるのも納得だ。
事前に調査していた?
司教様の病のことまで調べ上げるとしたら、修道院に内通者がいるということか?
そうだとしても、相当内部まで入り込めなければ知りえない内容だ。
からくりがなければ、超自然的な能力。
皆が言うように、悪魔か。
それとも……
僕にはもう一つの答えが浮かんだ。
神の御業……。
なぜ皆、そちらを考慮しないのか、ふと疑問に思った。
神の御業か悪魔の力か。
僕はペンダントを握りしめ、長い間動くことができなかった。




