第5章 超推理? 名探偵ヴォルフガング
足を止めた俺は、写本工房に向かうグンター管理長の姿を認めた。
黒の司祭服に身を包んだ、細身のシャープな顔立ちの男だ。
厳格で規律正しく、エリアスもこのオッサンにだけは頭が上がらない。オッサンは失礼だな。イケオジとでもいうべきか。
何よりうちのバカ弟子の外見に騙されない、修道院の貴重な良心だ。
院長の司教様の代わりに修道院を取り仕切っている管理長だが、工房に姿を見せるのは珍しい。
北の修道院からやってきた工房長のウドが工房を仕切っているので、遠慮しているのかもしれないが。
「グンター様、何かありましたか?」
俺は歩を速めて、彼に追いついた。
歩き方も無駄がなく、動きも機敏だ。
「3人目です」
グンターは歩みを止めず、声を潜めて言った。
3人目。
息を呑んだ。
「これで、偶然だと調査官どのを追い返すこともできなくなりました」
「調査官?」
グンターは足早に石造りの階段を上り、樫の木の扉の前で立ち止まった。
「今日到着されて、こちらでお待ちいただいている……」
そう言いながら開いた扉の先には、
先刻会った――――悪魔がいた。
◇◆◇
写本工房には人がほとんど残っていなかった。
なんでも工房長のウドが所用で出かけたため、今日の作業は早めに切り上げられたらしい。
工房長の代わりに、隣の書庫の棚を施錠していたコンラートが遅れて工房に戻ってきた。コンラートはエリアスの世話係の修道士だ。
今いるメンバーは、グンター管理長、エリアス、コンラート、俺、そして悪魔。
俺はこの面々を見回し、
「じゃあ、俺たちもこれで!」
それじゃ! とばかりにエリアスを連れて部屋を出ようとした。
しかしそれは、阻止された。
漆黒の悪魔に。
「どう思う?」
黒い瞳が答えを促す先を見る。
嫌な予感しかしない。
その先にあったのは……
俺が一番首を突っ込んで欲しくないヤツの顔。
「一度なら偶然、二度なら奇遇、三度目は誰かの攻撃って言うからな」
俺は、さらりと答えるエリアスを睨む。
そんな格言聞いたこともないぞ。
「一体何があったんです?」
事情を聞いていないコンラートが、俺に声を落として聞く。
「先月からこの工房で不審死が続いていて、今日3人目が亡くなったらしい」
俺は説明した。それにグンターが付け加える。
「この下の倉庫で発見され、病舎に運び込まれたのですが、すでに亡くなっていました。今は聖堂に安置されています」
「一体誰が……?」
コンラートは眉をひそめて聞いた。
「絵師のルーカスです。他の二人も亡くなるには若すぎる年齢でしたが、ルーカスも30歳でした」
ルーカス。
聞き覚えがある。
同じ工房で机を並べている同僚として、エリアスも顔見知りだった。
ただ、剃髪もしていないところを見ると、修道士じゃなさそうだった。
「ルーカスは腕のいい絵師だった。最近体調を崩して休むことも多かったけど、昨日は工房に来てたのに……」
ぽつりとエリアスが言った。
昨年エリアスは父を亡くしている。そして立て続けに兄も追放された。
その上見知った仲間達の死に動揺しているのか、少し声が震えていた。
俺しか感じ取れないほどの震えを隠すように言葉を続ける。
「でも、なぜ? 僕たちにそれを?」
もっともな問いだ。
グンターが答える。
「調査官どのが、手の空いている者を探しておられるということなので」
「調査官どの?」
コンラートが聞き返す。
俺は苦虫をかみつぶしたような顔になった。
几帳面にヤツを紹介するグンターの声すら忌々しい。
「宮廷から、聖エメラム修道院写本工房における連続死の調査に、とお越しになった、アレクシス・フォン・リンゲルハイム様です」
そこには漆黒の闇をまとった悪魔の姿があった。
◇◆◇
厄日というものがあるならば、人生においてまさに今日のことだろう。
よりにもよって、宮廷の役人がなぜ調査に?
宮廷の役人にもよるだろうが、大抵の役人とうちのバカ弟子とは混ぜるな危険。
ろくなことにならないのが目に見えている。
グンターから聞き取った事件の概要というのは、次のとおりだった。
先月からここの工房の若い職人が連続して不審な亡くなり方をしている。
最初に亡くなった順にペーター、ティーロ、そして今回のルーカス。
いずれも、写本工房にいながら、文字の書き取りをする職人ではなく、絵師であったという。
そのためか、文字を専門に扱う写字生のエリアスとは特に親しい間柄ではなかった。
何せ、あいつは、絵が壊滅的に下手なんだ。
芋虫が草食ってると思ったら、馬だったなんてことはよくあることで、エリアスにだけは絵を描かせるなと、絵師達の方が画材を触らせまいと避けている。
クソ高いラピスラズリやら金やらで、芋虫を描かれたら洒落にならないからな。
亡くなった三人の年齢は、16歳から30歳ほど。とても死にそうにないヤツらで、最近までは健康だったヤツばっかりだ。
最近までというのは、最後のルーカスはここ数週間、体調を崩しがちだったらしい。
連続死と言われればそうかもしれないが、そんなことは俺にとってどうでもいい。
とにかく、何をしでかすかわからないエリアスから事件を引き離さないと!
……こうなったら、
奥の手しかあるまい。
さっさと事件を解決して、悪魔には早々にお引き取りいただこう。
実はずっと隠していたが……俺の能力……
超推理力で!
俺にかかれば、チョチョイのチョイだ。
俺はコホンッと咳払いしてから、ゆっくりと手を挙げる。
「俺、わかってしまった」
一同が、手を挙げた俺を見る。
「これは、あれ。ほらっ、例のヤツだ」
ここで言葉を切り、非凡な俺の言葉を総動員する。
一同の視線が俺に集まり、次の言葉を待っている。
俺はおもむろにのたまった。
「たまたま」
「は?」
エリアスが何か言っているが構わない。
「そう! 偶然とも言う。た・ま・た・ま!!」
そう言い切ってやった。
しかし、
「そこのエリアスは『誰かの攻撃』と言ってたぞ」
悪魔の呟きが、俺の耳を掠める。
そう言えば、一度なら偶然、二度なら奇遇、三度目は何とかと言ってたな……
しかも追い打ちをかけるように、
「たまたまか、そうじゃないかを調べるのが調査だろ」
こんな時に限って、なぜかまともなことを言う。
くそっ! 邪魔しやがって! バカエリアス!!
それならば、
「じゃあ、あれだ! 流行り病!」
偶然じゃないとしたらこれだろ?
「感染したら10日以内に死ぬという、それはそれは恐ろしい」
そこまで言ったところで、
「それならばさらに調査団が必要かもしれぬな」
悪魔が指を顎にあて言った。
これこそ悪夢を呼び寄せる悪魔の提案!
くそっ! そっちは行き止まりだ! バカバカ俺!!
俺は気を取り直した。
「恐ろしい……流行り病……と、見せかけた……事故!」
そこでグンターが口を開く。
「確かに、先のペーターは袋に埋もれた窒息死、ティーロは転落死ですが、ルーカスは密室で倒れていた」
「密室?」
悪魔の眉が動く。
くそっ! もっと食いついたじゃないか! バカバカバカ管理長!!
「事故は撤回! こうなったら……」
俺の頭を総動員したが、何も思い浮かばねぇ。
くそっ! ほとんどやけくそで言った。
「金銭のもつれによる殺害!」
静まりかえる一同。
一呼吸の後、悪魔が唇に指を当てながら口を開いた。
「そう。それだ」
殺害――――
なんてことを言うんだ!?
この悪魔……
漆黒の悪魔は、工房の椅子に腰をかけて頬杖をつきながら指で顎の輪郭をなぞっている。
「ただし金銭のもつれかどうかは、まだわからない」
ちょっと顔がいいからって、なんて気障な野郎だ。
「やはり調査が必要のようだ。勝手に踏み込むわけにもいかぬから、立ち会いと助手をお願いしたのだが」
俺の目の前が真っ暗になっていく。
悪魔を退散させられなかった上に、助手……
黒い悪魔と並ぶ能天気なエリアスの姿が目に浮かぶ。
とんでもない。
かくなる上は……
そうだ! エリアスが、こいつに近づかなければいいんだ!
「しかたねぇな。俺も忙しいが、そんな風に頼まれたら……」
漆黒の悪魔をまねして、足を組んでみる。
「伯爵家の5男が忙しいわけないだろう」
悪魔はこちらを見もせずに言った。
何故それを!?
俺は慌ててグンターを見た。グンターは何も喋ってないと言った風に首を振る。
この悪魔め。街で噂になった訳が理解できる。
それでもエリアスから引き離せるなら。
「まぁ、たまたま……たまたま今はそれほど忙しくないから……」
髪をかき上げながら言う俺を差し置いて、
「エリアス。助手だ」
「えっ!?」
「えっ??」
ここまで珍しく言葉を発しなかったエリアスと俺が素っ頓狂な声をあげる。
「おしゃべり伯爵は調査の邪魔。助手は無口な方がいい」
な――――
なんと――――!!!
調査の邪魔って……この悪魔! 俺の超推理力を全否定しやがった。
しかも、おしゃべり伯爵って、なぜその呼び名を……!?
絶対に絶対に! こいつは悪魔だ。
絶対に関わってはいけない悪魔――
俺はそう確信した。




