第31章(1) 鍋の中身は……
一連の騒ぎが一段落し、宿坊へと戻ってきたのは、明け方近くだった。
修道院内の捜索で修道士たちが駆り出される中、エリアスは申し出て、工房長の傍で詩篇の暗唱を行っていた。
もう少しすれば空も白みかける頃になり、ヴォルフガングが終わりにさせたところだ。
長時間の詩篇の暗唱で、少し心の整理がついたのか、戻ってくる頃にはいつものエリアスのように振る舞っていた。
「まだわからないんだ。何で工房長が『アラテア』を盗んだってわかったんだ? 知ってたから、工房長が危ないって言ったんだろ?」
エリアスが、一階の共同スペースで煮立った鍋を覗きながら聞く。
当初、エリアスはそのまま二階へ上がろうとしたが、ヴォルフガングに『俺様の作ったものが食べられないのか?』と捕まり、鍋の前に座らされている。
「鍵が壊されてないから、鍵を持っている誰か……」
「鍵を持っているのは、グンター様でも司教様でも同じじゃないか?」
鍋は、冷めてしまっていたので温めなおし、コンラートが私にもと声をかけてくれた。
「まず、司教殿は泊まりで、隣街の修道院に昨日出発した。盗む時間はない」
「いつ知ったんだよ!」
と言うが、聖堂であんな出来事があったのだ。
修道院の長たる司教が顔すら見せないなど、留守以外にないだろう?
もっとも私は着いた日の挨拶で知らされていたのだが。
「グンターも言っていた。昨日から鍵を預かっていると」
「それでなんでわかるんだよ」
エリアスは不満気味だ。
「次に、倉庫で見た制作途中の絵。白地に金で星だけ描かれた……」
ああ、これ?
と、エリアスはまた腹のポケットから絵を取り出す。
便利な腹だな。
「これをいつ盗った?」
「失礼だな。拝借しただけだよ」
私は再びその絵を見る。
「これは工房に人が集まった時、どさくさに紛れて盗ったのかと思ったが、そんな余裕はなかった」
「そうだよ。君が書庫で考え事に夢中になってる時」
私が、反対側の極について考えていた時か……
「隣の工房に行くと、アリポが泣いてた。だから『僕が描いてあげようか?』と言ったら喜んで渡してくれたよ」
ガタンッ……!
向こうの方で何か音がした。
見るとコンラートが器を落とし、小刻みにプルプルと顔を横に振っている。かなり青い顔だ。
基本的に動じないおっさんかと思っていたが……
何かとんでもなく恐ろしいことでもあったのだろうか。
エリアスは手にした羊皮紙を私に差し出すが、以前見たので断った。
ルーカスの星以外描かれてはいない絵。
「つまり、たった1枚の未完成品はここにあるということだ」
「どういうことだよ?」
「グンターがあったと思っていた1枚の未完成品は、宝物庫に最初からなかった」
「って、僕が持ってるヤツがその1枚!?」
「完成を急がされていたウドは、朝に制作途中のページを工房に運び、日中、銀貨とともに完成品を盗んだ。夕方、未完成品を仕舞う時に盗難を発見する芝居をする予定で」
「他に誰も発見してくれないからね」
エリアスは眉を上げながら、断られた羊皮紙を脇においた。
「だが、とんだ盗人のおかげで収納すべき1枚がない。仕方なく収納しに行ったことにし、グンターに完成品と銀貨が盗まれた報告をした」
「じゃあ! 二回目の盗難はなかった……!」
それが、未完成品も盗まれたからくりだろう。
「盗難が騒ぎになった以上、次に口をふさがれるのは工房長だ」
エリアスは静かにうなずいた。
「一方、何も知らないグンターにとっては、金やらラピスラズリの塊だ。だからわざわざ夜に確認に来た」
「なるほど。あの時は、ただでさえ怖いグンター様が、超ぉ――こわかったから、僕が持ってるって言い出せなかったよ」
怖いものがあるとは初耳だ。誰が味方かわからぬ状況で口を開かなかった。この数日の行動を振り返ると、そんな如才なさの方がしっくりくる。
「つまり、高価じゃないと知ってるのはすり替えを知ってる人物ってことか……」
「だからルーカスも、ティーロから奪った絵を机に放置していたのだろう。黒変が始まっていたから、誤魔化す方法を考えていたのかもしれないが」
「言われてみると、そうだね」
コンラートがエリアスに湯気が立った器を運んできた。そして、エリアスはヴォルフガングの料理を口に運ぶ。
羊皮紙の製造過程を思い出し、羊皮紙を見ながら食事するエリアスの神経の図太さに少し感心する。
「なんだよ? 何か顔についてる?」
もぐもぐ咀嚼しながら言う。私はエリアスの脇に置いた羊皮紙に、視線を落とす。
「大丈夫だよ。何度も水洗いするから、もう尿は落ちてる」
そんなにわかりやすい顔をしていたのだろうか。
「繊細な君が気にしてるようだったから、ご褒美に教えてやるよ」
片方の眉を上げながら言う。繊細で悪かったな。
何度も水洗い。
そうなのかと、一応安堵するが、十分なのか? と、おおらかそうなエリアスを見る。
無神経に繊細と言われても評価が難しい。
私も差し出された木製の器を受け取る。
中は熱々、ニンニク入りの大麦リゾットだった。
「美味しい……」
一口食べたエリアスが感想を述べる。
思えば、早朝から食事をとっていなかった。遠慮なく、私も後に続く。
たっぷりのチーズと干し肉、そして熱を通してほっこりしたニンニクが絶妙な風味を出していた。
「工房長は完成品を賊に渡し、引き換えに蝋封の手紙を受け取ったというところか」
利用するだけ利用し、あとは証拠隠滅するルーカスの時と同じ容赦のない手口。
聖堂で、私のかけたカマに一瞬動きが止まった気がしたが、ヴォルフガングの気配を察してだったのかもしれない。
性急な判断は控えるべきだろう。
ただ、私の知らないところで、何かが起こっている。そこはかとない不吉な予感がした。
「ヤツらが『アラテア』を持ち去ったんだろうね。修道院のどこにもなかったから。何者が何のためにやってるんだろ?」
「どこの大聖堂か、工房長しか知らなかったというのは……」
「原料も大聖堂が用意するし、謝礼も先払いだったからグンター様も口を出さなかったみたい。制作については工房長が一手に握ってたからね」
エリアスが木の器を両手で包み込むように持ちながら話した。
「…………」
何のために――――
どこぞの大聖堂の金を横領するため。
そう思ったが、私は口に出さなかった。
本物の原料を買う金を懐に入れ、偽物を掴ませる。
言いなりになる工房があれば、莫大な金を掠め取れる。
確か……工房長のウドは北から来たと書類にあったか……
『あのお方……葉薊の蝋封の……』
北から来た工房長が、『あのお方』と呼ぶ人物……
ぱちぱちと小さく爆ぜる暖炉の火が、エリアスの金髪を照らす。
ビジュアルだけで言えば、さながら天使のようだ。
あくまで見かけだけだが。
無神経に見えて、危うげ。
如才なくみえて、無鉄砲……
やはり、こいつはよくわからない。




