第27章(2) 襲い来る矢
「金と石黄がすり替えられていたら、装飾師ならすぐにわかる」
薄暗い聖堂の中、松明で照らされたウド工房長が重い口を開く。
「どうすべきか、相談すると、銀貨で黙らせるようにと。だから金を専門に扱うルーカスだけは買収し、金のフリをさせていた」
うつむいたまま話すウド工房長に、グンター管理長が問う。
「では、さる大聖堂から預かったという、本物の原料はどこに……?」
「…………」
言いよどむウド工房長の代わりに、アレクシスが口を開く。
「預かった原料は、最初から全て偽物だった」
ウド工房長はなぜわかる? と、反射的に顔を上げ、アレクシスを見た。
だが、言葉の主の黒髪と黒い瞳をみとめると、
「黒い予言の悪魔には、すべてお見通しというわけか……」
観念したように、つぶやいた。
「お見立てのとおりだ」
「最初から原料が偽物!? 私はかなり高価な大事業になると聞いていましたが……」
「誰も損をしないから、偽物と知りながら見逃すように言われたのだ」
グンター管理長の後ろにいた僕は、初めて聞く、ウド工房長の話に愕然とする。
「そうするうちに、主絵師のティーロが偽物の金の袋を持ち出し、鐘楼から転落した。ルーカスは、どこで入手したのか、メモをもとに、他のすべての原料もすり替えられていると、さらに金を要求してきたのだ」
アレクシスの解説を、にわかには信じられない様子のグンター管理長だったが、さすがに本人の証言が出れば話は別だ。
すべてアレクシスの言葉を裏付けるような話に、僕もグンター管理長も、その場にいた修道士たちも言葉を失った。
ウド工房長は、顔を覆いながら続ける。
「しかもヤツは脅してきたんだ。私が、原料をすり替え、口封じにペーターとティーロを始末したと、管理長に言うと」
なんてことだ! 工房長は間違っても人を殺めるような人じゃない!
ルーカスはとんでもないヤツだった。
絵の具のすり替えを恐喝するだけでなく、自分の犯した罪までも他人になすりつけようとしていたのだ。
ウド工房長は顔を上げ、すがるようにグンター管理長を見た。
「でも、私は誰も殺してない! 神に誓って!! だが……」
すり替えのできる工房長が、口封じに殺したと言われると、皆信じてしまうかもしれない。
「『アラテア』と銀貨の袋を盗んだのはあなたですか?」
さらにグンター管理長が質問を重ねる。
「……そうだ。ルーカスが死んで嵐が過ぎ去ったと思ったのに、宝物庫の鍵を開けると、回収するように命じられた銀貨の袋があった」
昨日、保管に困って宝物庫に入れてもらった銀貨だ。
「なぜここにと思ったが、回収しなければ、ルーカスと同じように私の命も危ない。だが、銀貨だけ盗めばその出所を探られかねない」
「金目当てに見せかけるために、『アラテア』も盗んだということですか」
ウド工房長は何も言わず、認めるようにうなずいた。
確かに『アラテア』に比べたら、銀貨なんてはした金だ。わざわざ『アラテア』を置いていく方が怪しくなる。
「あなたにそれを命じたのは誰ですか? ルーカスは誰に殺されたのです!?」
「……あのお方……」
工房長は絞り出すように言った。
「あのお方? 誰です? それは?」
グンター管理長が工房長を覗き込む。
「あのお方……葉薊の蝋封の……」
その時だった。
風切り音と共に何かが飛んできたかと思うと――――
ドスッ……!
のけぞるウド工房長。
その胸には。
――――――矢!
僕は何が起こったのか一瞬わからなかった。
その場にいた誰もが、あっけにとられる。
そして一拍後、夜襲を理解し、みな反射的にその場を離れる。
頭が真っ白になった。
その瞬間――――頭では、いけないとわかっていたはずなのに。
僕は……
みんなとは逆に、身体は倒れゆく工房長の方へ駆けていた。
ドサッ……!
ギリギリのところで、前のめりに倒れる工房長の胸元に体を滑り込ませ、何とか支える。
ずしりと体重が僕の肩にかかる。標準的な体形とは言え、成人男性の体は重い。
このままではダメだ。
ここは蝋燭の明かりで照らされ、射手からは格好の標的になる。
工房長を移動させなければと思うが、重くて動かない。
その時。
キリッ……
暗闇から、次の矢を絞る弓の音が聞こえた。
「エ……エリアス……逃げなさい」
小刻みに胸を上下させ、苦しげな息の間から工房長の声が聞こえる。
「そんな……できません」
工房長は偽装に加担したかもしれない。でも、そんな事は工房長を置いて逃げる理由にならない。
僕に一から写本を教えてくれて、優しく導いてくれた人だ。
こんな風に誰かに命を奪われるなんて、あってはならない。
だから僕は……工房長を庇うように自分の体を盾にした。
また、人がいなくなる。
次々と。
僕の周りから……
こうなることが怖かった。
悪魔であってもいい。
この悪夢を止めてくれるならば……
そう思って、あの夜、ヤツの部屋の扉を叩いた。
あの、漆黒の髪をした
あの黒曜石の瞳の――――
僕は覚悟を決め、目を閉じようとした。
その瞬間。
目の前を、黒い髪が翻る。
あの、どこまでも透明で、清廉な気配。
冷たく気障で、でも、どこかあたたかな空気が僕を包んだ。
何が起こったのか理解できず、僕は目を見開く。
なぜ!? 君が……
思わず声が漏れる。
「アレクシス!」
僕と射手の間に割り込んだのは、黒い髪の男の背中だった。
工房長と僕、そして射手を結ぶ直線上に彼は立ちはだかった。
そして調伏の呪文のように言葉を吐いた。
「猊下は、ここまで大事にすることをお望みか?」
射手の気配がほんの……
ほんの一瞬だが淀んだ気がした。
それと同時に、柱の陰でもう一つ誰かの気配がした。
そうだ! ヴォルフガングの話だと、仲間は他にもいた!! 新手か!?
もうこれ以上誰も失いたくない。
誰も……!
かすれた喉から、声をふりしぼる。
「君は無敵の悪魔じゃない! 人間だ。命を粗末にするなっ!」




