第25章 反対側の世界
「この事件には二つの『極』があったのだ」
僕はグンター管理長と共に、アレクシスの後をついて宝物庫を出た。
そしてウド工房長を探しながら、アレクシスが思い至った事件のあらましを聞く。
「二つの『極』?」
どういうことか全くわからずに問う。
「書庫で反対側の極はどう見える? と言ったな?」
僕は『現象』に書かれていた二つの極の話を思い出す。
いきなりなぜ星の話なんだ?
そう思ったが、ヴォルフガングと違い、突然関係のない話をし始める男ではない。
どういうことなのか、その先を聞く。
「星が北の極では左回りなのは知ってのとおりだ。北の空を見ると時間とともに、星座は左回りに円を描くように動いていく」
昨日の夜、鐘楼で一緒に見たので、それはわかる。
「反対側の極。仮に私たちの世界の反対側に世界があったなら、どう見えるか」
「どう見えるんだよ?」
「その極では星は、逆回り、右回りに回転しているように見える」
「そうなのか?」
反対の極……この場合、北の反対の南だろうか?
僕はぐるぐると回る空を想像する。
そして地面の反対側、ぐるりと天地が逆転し、頭が下になった世界を想像した。
ぐるぐると頭がこんがらがりそうだが、ぐるぐる回る空を回転させたまま頭上を見上げてみる。
すると確かに……。
逆の右回りになる!
「この事件も同じだ。見えている結果側では、ペーター、ティーロ、ルーカスという順に亡くなっているが、見えていない原因側では、逆の順で原因が発生している。そして、それは一本の軸を中心に回っていた」
「どういうことです?」
回廊の奥にある写本工房の入り口に向かいながら、グンター管理長が聞く。
どういうことなのか、僕もさっぱりだ。
「ルーカスの検死を行った時、唇に黄色の色素沈着があった。おそらく、筆を舐めて整える癖で、少量の顔料を長年摂取し続けていたのだろう」
「け、検死!? いつの間に……」
眉間にしわを寄せて、グンター管理長がアレクシスを見るが、彼はさらりと受け流した。
そこは僕も突っ込まれちゃまずいところだ。
とっとと、話題を変える。
「でも、絵の具を食べちゃってたとして、何か問題があるのか?」
唇が黄色くなるのは、確かに見た目がちょっと変だけど、それ以上に何か問題が?
僕は黄色くなるのも嫌だけどね。黄色くなった唇を想像し、ちょっと口を尖らせる。
「爪は、その者が口にしてきた物と体調を物語る。ルーカスの爪には白い横線が幾本も入っていた。長期間にわたり、身体に対する何らかの影響があったということだ」
僕は自分の爪を見る。
なるほど、食事がとれなかった時の爪はガクンッと表面が落ち込み、段を作っている。
「そしてそれが彼の体に蓄積し、影響が出始めていた」
そうだ。ルーカスは最近よく体調を崩してた。
「さらに、皮膚の硬化や皮膚疾患も発症していた」
そこまで聞いて思い出す。『博物誌』で言ってたじゃないか……肉を爛れさせるって。
「これはおそらく石黄による症状だ」
「絵の具の、石黄ですか!?」
グンター管理長は聞き返しながら、工房の棟の出入り口の鍵を開け、2階へと続く石段へと向かう。
検死については、聞いても無駄だと思ったのか、それ以上追及しなかった。
さすが、状況判断が速い。
「今朝、石黄を扱う羊皮紙の工房の修道士を見た。その者たちもルーカスと同じように皮膚が硬化し皮膚炎を発症していた」
マリアさんを待ってるあの時!
僕が、あの大量の尿はどうやって入手したんだろう? って考えている間にそんなところを見ていたのか。
「石黄は肉を焼き、爛れさせる作用があるということだが、触れたり摂取したりしても同じなのだろう」
おお、ここでやっと僕のかくし芸が日の目を見た。
「そして繰り返し刺激を受け皮膚は厚くなる」
動物の毛を除去できてしまうくらい皮膚に作用するんだ。
お肌によい訳はない。
グンター管理長を先頭に、僕たちは石段を上る。
「しかし、その石黄がこの事件とどう関係が?」
そう、僕が聞きたいのもそこだ。
「この事件を貫く軸が石黄だ」
「なに??」
「まず見えている極、それは殺人だ。最後に殺されたルーカスは、一番最初に、金が石黄にすり替えられたと気づいた。いや知っていたというべきか」
「金がすり替え……」
グンター管理長が茫然となる。
天井のアーチが折り重なる2階に着き、写本工房の厚い樫の扉が開けられた。
だが、誰もいない。
そこは静かな闇だった。
グンター管理長が掲げたランタンにより、工房の中がうっすらと映し出される。
闇の中には窓際に並ぶ傾斜した机があるだけ。昼間と何ら変わらない景色に見える。
だが、アレクシスが何かに気が付いた。
机の上には、蝋封を解いた跡がある包みが置かれていた。
あれは……
「工房長の机だよ」
アレクシスが包みを手に取り、中を確認する。
「空だ。管理長どの、一刻の猶予もない。手の空いてる修道士を集めてくれ」
アレクシスは緊迫した声色で言った。
グンター管理長は混乱しているのか、言葉がない。
「一体、どういうことなんだ!? わかるように説明してくれ!」
グンター管理長の代わりに僕が言う。
「倉庫で灰になった手紙と同じだ。おそらく同じことが書いてある」
ついさっき、下の倉庫で読み取った、燃やされた手紙の文字。
あれに書いてあったのは……
僕の網膜に焼き付いた、青紫の炎が、ふわふわと揺れた。
「ルーカスは石黄によって殺された」
アレクシスの言葉が夢の中の声のように聞こえる。
僕は熱にうかされたように、記憶の中の文字を呟いた。
「読んだら、燃やせ……」




