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第20章 からくりの函

 いきなり、ヴォルフガングに手を掴まれ、部屋から引きずり出された。


 そして今、口をパクパクしているヴォルフガングを見ている。


 修道士たちは追ってこないようだ。だが、見つかれば再び騒ぎになるだろう。



「今に始まったことじゃない。このまま出ていく方がよさそうだ」


 あきらめにも似た言葉が漏れる。


 異端に居場所などないのは、知っている。


 己《おのれ》ですら何者であるかわからない。


 近い未来、皆の言うとおり悪魔として破滅する。そんな自分の姿が脳裏に浮かぶ。



「あの部屋に行こう。ルーカスが亡くなった部屋」


 エリアスが私の腕を取り言った。


 ルーカスが亡くなった部屋というのは、工房一階の倉庫。


 つまりこの階だ。


 しかし私は石段の下で足を止めた。


 エリアスはそれでもかまわず、廊下を進みながら続ける。



「さっきのは、呪われた予言でも、詐術でもない」


 ならば何だというのだ?


「警告だ」


「何を根拠に?」



「今朝ここで、僕に言った『行くな』と同じじゃないのか? 僕が君を追い抜いて転ぶなんて、詐術で事前に知りようがない。本物の悪魔なら、口をつぐんで不幸をほくそ笑む。でも君は敢えて言った」


「だが誰にも私の言葉は聞こえぬ。聞こえるのは『悪魔の呪い』だけだ」


 音は届いても、言葉は届かない。


 私は踵を返し、そのまま建物の外に出ようとした。



「僕はち(・)ゃ(・)ん(・)と(・)言(・)え(・)と言ったはずだ!」



 エリアスは、私の方へと向き直り、声を荒げた。



「自分でもなぜそうなるのかわからないものを、どうやって言えというのだ?」


 悪魔の目を通したような、人とは違う景色。


 悪魔の囁きのように、どこからともなく降ってくる言葉。



「私には当たり前に見えてるものが、人には見えていない。何が見えていて、何が見えていないかもわからぬ」



 誰にとっても世界は、こんなにも混沌に満ちているものではないのか?



 こんなにも世界は――――――





「過去や未来どころか、今(・)の世界にすら、私の存在する場所はないっ!」





 ――――――孤独なものなのか?





 無様にも声を荒げてしまい、私は瞳を閉じた。



 もうたくさんだ。



 出て行こうとする私に、エリアスは重い樫の木の扉を開けて言った。




「あの鐘楼の夜、君は僕の隣にいた。今もいる! 存在しないなら、隣にいる僕は何だ!?」


 最初会った時と同じように、眉間にしわを寄せて私を睨んでいる。


「今ここにいるのに、僕(・)も(・)この世界を見ないふりをするのは、もう嫌なんだよ!」


 なぜ、こいつは、あえて見ないようにしていたものをえぐり出すのか? 


 見なければ存在しないのと同じだというのに。



「さっき、今朝の君と同じ位置で僕は階段を降りた。だけど僕の位置から、下の段に落ちてるモノなんて見えやしなかった」


 エリアスは石段を指さす。唐突な話に私は話の主旨を計りかねた。


「僕がここで滑ったとき、君はどうやってそこに油《オイル》があると判断した? 君からは見えていなかったはずだ」


 主旨はわかっても、その問いへの答えを持ち合わせてはいない。


「その謎の答えはこの部屋にある気がするんだ」


 エリアスはまっすぐに私を見た。


「今(・)見なければ、ずっとその呪われた世界でたった一人だ」


「…………」


 この部屋の謎……


 私はエリアスが書いた4つの疑問を思い出した。


Ⅰ.何故、間違えたのか

Ⅱ.何故、髪飾りと銀貨の袋を見つけたのか

Ⅲ.何故、マリアだとわかったのか

Ⅳ.それは悪魔の力なのか


「君はここで、棚の髪飾りと銀貨の袋を見つけ、マリアを特定し、ヴォルフガングを見た」



「……ヴォルフガング?」


 私は、一つ混じった身に覚えのない項目を聞き返した。



「覚えてないのか? 昨日、君はこの部屋に入って言ったんだ」


 何と?



「『またついてきたのか? 用心棒』ってね」



 私が?


 何を見た?


 エリアスは続ける。


「でも、ヴォルフガングはそこにいなかった」


 それが――エリアスの言う二度のうちの、一(・)つ(・)目(・)の間違い。


 咄嗟に思い出せない。無意識に、口をついた言葉だろう。



「あの時、何を見た?」


 エリアスは私に詰め寄る。詰め寄ると言っても、身長差があるので、エリアスが上目遣いに私を見る。



 何を―――。


 遠巻きに私たちのやり取りを見ていたヴォルフガングを見る。



「昨日、この部屋の中では見ていない」


 私は彼を見ていない。


 彼はこの部屋に入らなかった。



 その時、ヴォルフガングの着ている羊毛《ウール》のチュニックから、何かの移り香が――――



 この香りは……



 知っている。


 あの日もヴォルフガングからはこの香りがしていた。



 私は、陽が傾き薄暗くなり始めた部屋に、足を踏み入れる。


 そして昨日と同じように、部屋の中を進んでいく。



 昨日は窓が開いていて、風が天井に吊るされた乾燥植物を揺らしていた。


 天井から吊るされた西洋アカネをかき分け、そして――――



 足が止まった。


 ここだ。


 ここで――――



 私は言った。確かに言った。



『またついてきたのか? 用心棒』




 私の中でころりと何かが転がった。




 継ぎ目すら見えず、長く固く閉ざされた


 

 からくりの函。


 

 頑なに内部の秘密を守り続け、人を拒む。



 誰にも開けられぬ堅牢な……


 

 それは檻。



 そこには何が眠っている?


 囚われているのは――――




 木の断片を滑らせるように、慎重に記憶の断片を滑らせ、組み替える。



 

 滑り込んだ断片が、次の断片、また次の断片を滑らせ、わずかな隙間をピタリと埋め合わせた瞬間。



 

 カチリ……





「オリーブの匂いがした……」



 脳裏に浮かぶのは、エリアスが追い抜く石段の向こう。その微かな香り。







 仕掛けが――――――




「匂いがする。……これは、ニンニクの匂いだ」





――――――――――――開く。




 私は辺りを見回す。


 ニンニクのようなものは置いてない。


 だが、わずかに残る香りを頼りに奥へと進む。



 するとそこに、あった。


 陶器の絵皿に燃え残った羊皮紙の灰が。


 顔を近づけると、そこからわずかに香るニンニクの香り。


 羊皮紙の灰は燃えたときのままの形で残っていた。



「こんなところで火を焚いたのか!?」


 エリアスは絵皿を手に取り、灰を覗き込む。


 蔵書にとって、火は大敵。だからこの棟には暖炉すらないというのに。



「待てよ。文字の跡が変色してそのまま残っている! 何て書いてあるかな……」


 エリアスは慎重な手つきで皿を回転させ、文字を読み始めた。



 私はエリアスの4つの問いを思い浮かべる。


 これが一つ目、Ⅰ.何故、間違えたのか。


 そして次に書かれたⅡ.髪飾りと銀貨の袋。

 

 

 私はそれを見つけた棚に移動した。


 エリアスが片づけたエンジ虫の棚のその上。髪飾りと銀貨の袋が発見された棚。



 慎重に見ると、上と下の棚では箱の奥行きが違った。


 上段には、奥行きのないうすい箱が並べられ、下段には倍ほどの奥行きの箱が並べられている。


 ……にも関わらず、表面《ファサード》は寸分違わず面で綺麗に合わされていた。



「上段は、箱の後ろに空間ができる。気が付かなかった」


 私は上段の箱をのけ、奥にしまわれた髪飾りを取り出す。


 私の言葉に気づき、エリアスも棚の前へとやってきた。



「本当だ」


 と、言いながら、取り出した上の段の箱と、下の段の箱の奥行きを比べている。


 奥に隠されていた物を取り出すと、次は検証するまでもなかった。



「あっ!」



 エリアスが声を上げた。


 髪飾りにあしらわれていたのは、五つの花弁を持つ金属細工の花。そしてその中央には赤いガーネットがはめ込まれている。


 それは、マリアのつけていたチョーカーと対になっていた。



「赤いガーネット。同じデザインだ」


 そう言いながら髪飾りを手に取るエリアス。思いがけず、私の口から言葉が漏れる。


「意匠までは意識していなかった……」



 私の今までいた世界がぐにゃりと歪む。



「でも、君は、無意識でこの情報を拾っていた」


 エリアスが私の前に髪飾りを差し出す。



「無意識に五感で拾い集めた情報を、意識より速い演算にかけてたんだ。それを通してこの世界を見ていたんじゃないのか?」



 ぼろぼろと、歪んだ世界が崩れて落ちていく。



「無意識……」



 どこからともなく、聞こえてくる囁き。


 どこからともなく、降ってくる光景。



 この世の理から取り残された世界。



「私の言葉を理解するものなど……」


 誰もいない、呪われた世界。




 深いエメラルドの瞳に私が映る。




「過去も未来も現在も、この世界さえ、言葉の中にしか存在しない」




 それは、何千、何万の言葉を紡いできた写本師の言葉。




「君の世界の真実に、言葉を与えろよ」



 ぼろぼろと記憶の断片が剥がれ落ち、今まで見ていた世界が崩れ始める。


 

 そして、扉が……




 今開く――――――――



『意識』という名の扉。



「私は……」


 

 エリアスが髪飾りを手渡しながら、神託のように宣言した。




「悪魔じゃない。君は間違いをおかす人間だ」



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