第16章(2) グッジョブ! フーゴ!
「飛び降りた原因?」
ちょっと空気の読めないフーゴと違って、ベルンハルトはちゃんと僕の言葉を拾ってくれた。
さっさと話題を変えないと!
「飛び降りか、転落か、はっきりわからないって聞いてたけど。飛び降りとして、原因はあったの?」
「薬草摘んでたらいきなり落ちてきたから、おいらは知らねぇ」
フーゴも落ちる前は見てないのか。
「最近うまく色が塗れないってボヤいてたけど、まあ、そんなことでは飛び降りたりしないよね」
色が塗れない……。ラピスラズリなんて超貴重品、みんな本物を見たことがない。だから扱いがわからなかったのかもしれない。
ベルンハルトの言葉のあと、フーゴが独り言のように言う。
「そうだ、おいらなんて、羽根ペンを貸してたのにさ。落ちた衝撃で折れちゃったんだよ」
「羽根ペン?」
アレクシスが食いついた。
フーゴ! グッジョブ!!
アレクシスは、写本工房なら羽根ペンなんて簡単に入手できるのでは? と言いたそう。
「おいらの羽根ペンは特別なのさ。右翼の羽根」
「右翼の?」
いいぞ。いいぞ。どんどんそっちの話題に行こう!
僕は座っている机に置かれた、自分の羽根ペンを手に取って解説する。
「ガチョウの風切り羽根は、左右の羽根でカーブが違うんだ。利き手と逆のカーブの羽根を使うと、手になじまないし、目の前に羽根がちらついて書きにくいんだよ」
僕は羽根ペンを実際に持って見せた。
右手に持たれた羽根ペンは外側にカーブし、邪魔にはなっていない。
次に左手に持ち替えると、右側に反ったカーブはそのまま自分の目の前に来る。
「なるほど、確かに邪魔そうだな」
「これは右利き用の左翼の羽根。左翼の羽根はたくさんあるけど、左利き用の右翼の羽根は少ないんだよ。使う人があまりいないからね」
「ティーロとおいらは利き手が同じなのさ」
つまりフーゴは貴重な羽根ペンを貸したままになっていたということか。
いい加減だけど、人のいいフーゴ。今度一緒に右翼の羽根ペンを探そう。
そんな僕の決意を知ってか知らずか、
「あんなことがあったのに、もう今日から工房も再開です」
「『アラテア』の完成を急いでるってさぁ。ティーロの代わりに大抜擢された、若手のアリポなんて、自分には無理だって泣いてたよ。ルーカスが装飾した星に背景を描き込むだけなのにさ」
二人から不満が漏れる。
アリポはかなり上手い絵師だけど、気弱で繊細なタイプ。大抜擢のプレッシャーで絵を描けなくなるのはなんとなく想像できた。
気弱で繊細なのはアリポと同じだけど、僕ならばルーカスの描いた星を輝かせられるかもしれないのに……なぜか全くお声がかからない。
おかしい。
僕が眉間にしわを寄せていると、
「エリアスは工房に来ないの? グンター様が、取り込み中だとかおっしゃっていたけど。3人分は写本するエリアスがいないから、全然進まないよ」
ベルンハルトに尋ねられた。
仕方ない。僕がアリポの代わりに……
「大丈夫! 今日から僕も……」
それに、そろそろ新しい羊皮紙の潤いが恋しくなった頃だ。
そんな僕の言葉をアレクシスの冷静な言葉がさえぎる。
「聞き込みだ」
一瞬で僕の笑顔が仏頂面に変わった。
けれどアレクシスは、椅子に腰かけてくつろぐ僕の腕をつかんで引きずり起こす。
「調査は調査官の仕事だろ?」
抗議をしたが、依頼してきたのはどっちだ?とばかりに僕を見る。
仕方ないな……。
工房を出ながら、
「最後に――」
アレクシスが立ち止まり、ベルンハルトとフーゴを振り返った。
「ルーカスの字を読める者は?」
聞くと、
「ルーカスの字なんて見たことないです!」
「ルーカスは字なんて書けないんじゃないかな?」
二人からそう返ってきた。
彼は感謝を短く述べ、工房を出た。僕はしぶしぶ彼の後に続く。
「聞き込みって、どこに行くんだ?」
石の階段を降りるアレクシスの横に並び、彼を追い抜いた。
その時、
「行くな!」
いきなり腕を掴まれた。
「何言ってるんだよ! 聞き込みって言ったのは君だろ!?」
理不尽この上ない言葉を無視して腕を振り払い、一歩踏み出した。
僕の足が、石段の下の段に着地したかと思ったその時。
つるっ!
足が床を捉え損ね、上体がぐらりと揺らぐ。
反対の足を踏ん張ろうとしたが、その足もつるりと滑り、そのまま重力にまかせて、天地が逆転する。
落ちる!
そう思った瞬間、今度は強い力で腕を掴まれた。
がっ……!
そしてそのまま引き寄せられる。
「……っ!」
僕の目の前に、はらりと黒髪が落ちる。
近い。
そしてふわりと薫る香のような匂い。
心臓が早鐘のように脈打っている。
「なっ……なんなんだ?」
僕は足が滑った一つ下の石段に目をやった。
すると、そこには
「油!?」
オリーブ油がたっぷり塗られたパンがベットリと落ちていた。
だれかが……いや、これはわかる。
フーゴがもぐもぐ食べていたじゃないか。
ボトボト落とすんだよ……フーゴは。
「油が落ちてたのか……それならそうと言ってくれよ」
そう言いながら振り返ると、アレクシスの目がすぐそこにあった。
なんて……美しい目だ……
一瞬そう思いかけて、見とれそうになった自分を慌てて振り払う。
「感謝するが、今度からはちゃんとわかるように言えよ」
天体についてはあれだけしゃべれるんだから!
僕は階段の油を拭き取り、再び尋ねた。
「じゃあ行こう。聞き込みって、他にあてはあるのかよ?」




