第14章 真夜中の天体観測
今夜の夜風は暑くもなく、寒くもなく、とても心地いい。
そして、雲一つない空。
夜でもここからは、レーゲンスブルクが一望できる。
街の隅々まで、月の冴え冴えとした光が差し込み、向こうに見えるドナウ川の水面が月の光を受けて、キラキラと輝いていた。
そんな景色に見とれる僕にアレクシスは声をかけた。
「こちらを見てみろ。『アラテア』の空がある」
アレクシスは北に向いた窓の方角を指した。
『アラテア』の空。
昨日書庫で僕たちが見ていた、皇帝へのおべっか献辞の次のページだ。
示された方角を見ると、そこには柄杓の形をしたおおぐま座のしっぽと、同じく柄杓に似た形をしたこぐま座があった。
『アラテア』では、おおぐま座とこぐま座の間にはりゅう座が横たわっている絵が描かれている。
そしてそれは『極』を中心に天を回っているのだという。
しかし実際の星を見ると、りゅう座はどこかわからない。
「夜の時間は、この北の星座で時間を測るって聞いたよ」
「ユトレヒトの修道院でも、夜の時間を測定していたな」
アレクシスはちょうど首から下げた木製の円盤を取り出した。
「ここならば観測しやすそうだ」
と言いながら。
「それは何?」
僕は手にした円盤を見る。
「こうやって覗き込むと、こぐま座の角度によって時間がわかる」
「時間が!? うちでは長老様が時間を計るけれども、ユトレヒトではそんなことをやってるのかよ?」
「いや、空を観測して私が造った試作品だ。兄弟が時間を知りたがったのでな」
「どうやって使うんだ?」
アレクシスは覗き込む僕の目の前に、円盤の穴が開いた部分をかざす。
正方形の木と円盤状の木の板が組み合わされていて、車輪状に中がくり抜かれている。
そして、丸い木枠には数字が書かれていた。
二つは上下で別々に動かすことができ、そして、くりぬかれた円盤の隙間を通して夜空を見ることができる。
「待っていろ」
そう言うと僕の首にそれをかけて、そしてまっすぐに伸ばして僕の目の高さに合わせる。
横から覗き込みながら。
僕のほほとアレクシスのほほが触れそうな距離だ。触れないように距離はとっているようだが、それにしても。
近い。
顔の傍でずっとアレクシスが何か話している。
こんなに近寄られた記憶がない。
違う。
こんなにしゃべり倒されたことは……
「照準を合わせるんだ。こぐま座の二つの星に焦点を合わせ、木枠の中にそれを入れる。一つはこぐま座のしっぽの先。これは手前の円盤の小さい円の中。角度にして約6度の角度でとった円の中に納まるように照準を合わせる。そして次にこぐま座の腰にある星。それはこの大きいほうの円の中。これは約12度の角度で合わせるようになっている。この二つの星が円の中に納まる時、計算では……………」
なるほど……
僕は説明を聞きながら、あることに気づき、渋い顔になる。
そしてどんどん眉間にしわが寄っていく。
ああ……目が半開きになっていく……
何を話しているのか、さ――っぱりわからない……
しばらく、木の板を北の空にかざしていたアレクシスだったが、
「覗いてみろ」
真ん中に空いた小さな穴を示された。
僕はパチッと目を開けた。
これだけ下準備で頑張って話を聞いたんだ。
何が見えるんだ?
アレクシスの長い長い説明に気が遠くなりそうだった僕も、さすがに期待して、その穴に焦点を合わせる。
すると。
目の前に広がったのは…………
想像どおり…………
え?
ええ?
ええええ――――――――????
闇。
穴の中は、まっくらな空。
「な、何も見えないぞ!」
照準外れてやしないか?
そう思って声をかけたが、
「そうだ。だが、それが、北の極だ」
「はぁ?」
「『アラテア』にもでてきた北の極。ここを中心にして星々はこの夜空を回っている」
これが、『アラテア』でいう極?
極だよ! 極!!
極って言うからにはもっとこう、へそ的な分かりやすい目印を期待していたけど。
こんなの想像してね―――よっっっ!!
「古代ギリシャの頃から極には星がない」
マジかよ! とんだ肩透かしだ。
「そしてこの枠の数字を読めば、その月の時刻がわかる」
アレクシスはそんな僕にはお構いなく、話を続ける。
そうだった。
時刻の測定とか言ってたっけ。
今何時だ?
円盤の木枠の数字を見ると、11時とか書いてある。
11時……
書いてあっても確かめようもないよ――っ!
「これを君が造ったのか?」
木の盤を覗きながら、すごいことを思いつくもんだなと思い聞く。
「まだ試作品だ。精度が甘い。おそらく、星の高度を計算に入れないといけないのだろう。この間測ったときは……」
また語る態勢だ。
そして僕は思い至った。
この感じ。
僕は何度も何度も身近で経験したことがある。
そう、ヴォルフガング。
あの軍事バカ。
武器や防具、戦闘のこととなるとめちゃくちゃ語る。
ウキウキと。
詩篇すら覚えないヤツが、武器の性能や細かいパーツの名称、地域性の違いなど、語りだしたらキリがない。朝までしゃべっている。
まるで何かが憑依したみたいに。
そうだ。こんなに人に近づくのは君のキャラじゃないだろう。
僕の中では、気障ったらしく一人離れてたたずんでいるイメージだ。
『闇の中にただ一つ、永遠に動くことない孤独な極の星』とか言ってさ!!
イメージだよ! イメージ……
だけど僕は確信した。
こいつは……
こいつは……
天体バ…………
いやいやいや。
さすがにヴォルフガングといっしょにしては、あまりに失礼か。
でも、絶対にそうだ。
頭自体は僕より絶対にいいから、『カ』と言ってしまうのは憚られる。
だけど、問題はそこじゃない。
隠しているつもりかも知れないが、そこはかとなく匂うヴォルフガングの同類感。
塔の上からこっちへ来る様子を見ていて、今全部繋がった。
僕を星の観測をする修道士と勘違いし、ウキウキ観測器を持ってきた。なのに、待っていたのが僕だと知った時のあのがっかりした様子。
今思えば、書庫で『パイノメナ』にあれほど興味を持った理由も少しわかった気がする。
僕はそのまましばらくの間、北の空を見ていた。
アレクシスも静かに僕の後ろに立って、空を見上げていた。
静かに……?
いや違うな。
ランタンで木の盤の目盛りを調整しながら、空に見入ってる。
そのためのランタンか……
「さっきからずいぶん星座が進んだね」
僕はちょっとあきれ気味に言った。
「ここに上がってきてから、約1時間か」
「なんでわかるんだよ!」
さんざん不可思議な能力を見せられてきたけど、また不覚にも驚いてしまった。
「星座は1日かけて、360度ぐるりと回転する。つまり昼の12時間と夜の12時間の24時間で一周する。24時間で割ると15度だ。星は1時間で15度進む」
「へーそうなのか」
やっぱり星のことを語るのはどこか嬉しそうだ。
ちょっとためになる生活の知恵を教えてもらったみたいで、得した気分だ。
「つまり、今見えているところから15度進んだら1時間後ということで、15度前は1時間前ということだな」
僕がおさらいすると、
「昼間言っていた、過去と未来の話に似ているな」
アレクシスがそんなことを言った。
「どういうことだ?」
「今こうやって星を見ているが、15度前の星も15度後の星も、今この世界には存在しない。私たちの意識の中にしかない」
なるほど。
過去や未来というものは、今を基準にした概念の中にしかないという、アウグスティヌスの話の続きだった。
確かに、
「そうだな。1時間前ランタンを持って上がってきた君はここにはもう存在していない。1時間後の君も」
「ただ、明日のエリアスは、また星を観測したくなっているかも知れぬ」
観測仲間が欲しいのか……
「完全に淡い期待だな」
「アウグスティヌス曰く、その期待こそ、未来というものらしい」
僕は時間論に便乗したアレクシスの返しに笑った。
この分じゃ、兄弟にせがまれてというのも怪しい話だ。
僕は、まだ見ぬアレクシスの兄弟が、今日と同じように天体講座を受けている姿を想像する。
「だけど、今は確実にある。君とこうやって星を見ている」
「そうだな」
何だか少しだけ、星座観測も悪くない気がしてきた。
「それにしても、君はユトレヒトの修道院にいたのか。エリートだな。さすがギリシャ語が読めるわけだ」
ユトレヒトの修道院。
聞いたことがある。
超エリート養成所。貴族や王族の子弟が英才教育されると。
「エリートなものか。体の良い厄介払いだ」
「厄介払い? 厄介者に最先端の学問はさせないだろう」
鼻で笑うような言い方に引っ掛かって僕は言った。たしか昔、誰かに言われたような気がする。
そんな僕の言葉に、
「駒を育成したいだけなのだろう」
今までのウキウキした声とは打って変わって、まるで自分をあざけるような声が返ってきた。
コマ?
誰のコマなんだ?
そのまま黙ってしまったアレクシス。
詳しく聞きたいと思ったけれど、こちらのことを聞き返されるといろいろ厄介かも知れない。だから僕は何も言わなかった。
こんな一筋縄ではいきそうにないヤツを、コマ扱いできるヤツなんているんだろうか……
僕は何もない北の極とやらをもう一度見上げた。
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※注: 10世紀当時、地球の自転軸がコマのように動く「歳差運動」の影響で、北極星は天の北極から6度以上ずれていました。そのため、ギリシャ時代から極には星がなく、ポラリスも極を中心に回る星の1つでした。現在のずれは1度以内となっており、2100年ごろ天の北極に最も近づきます。




