第7章(1) ヴォルフガング、悪魔に誘われる
夜も更けて、そろそろ丑三つ時になろうかという頃。
漆黒の悪魔がやって来た。
ノックされた扉を開けると、夜の気配とともに、秋の冷気がするりと入ってくる。
「何なんだ? こんな時間に?」
「行くぞ」
と促すが、どこへ行くんだ?
「聖堂にルーカスの遺体が安置されている。それを検分したい」
はぁ!? 何を言っている?
「どうぞ、ご自由に」
『じゃ。』っと、俺は半開きの扉をそのまま閉めようとした。
すると、悪魔はするりと、その扉のすき間に身を滑り込ませる。
「明日になればすぐに埋葬されてしまう。それまでに見なければ」
何をだ? 聞きたくもない。
「じゃあ調査官殿一人で行けばいいだろ?」
俺は修道士でもないから止めはしない。
「今聖堂で夜通しの詩篇の朗読が行われている。遺体を検るのは、今のところ内密だ。だから手を貸せ」
悪魔が少し頭を傾けながら言う。
グンターの言葉を思い出した。
手の空いている者。
そう。修道士たちはルーカスを囲み、寝ずに聖句を唱えるので忙しい。完全に手が空いているのは、俺たちだけだったのだ。
修道院で誰かが亡くなると、遺体は聖堂に運ばれる。そして修道士が朝まで交代で詩篇を唱える。
息を引き取ってから埋葬されるまでの間は、悪魔が魂を奪おうとねらいに来る一番危険な時間なのだ。
だから、聖句と聖水で結界を張り、決して一人にならないように見張っておく。
なんで俺がわざわざそんなところに行かないといけない!?
わざわざ悪魔がうじゃうじゃ寄ってくるところに!
「他を当たってくれ。俺は忙しい」
悪魔を扉の外へ追いやろうとしたその瞬間、知った声が聞こえた。
「何に忙しいんだよ? やることなんてないだろ?」
この声は……
エリアス!
なんてことだ!!
この悪魔、もうすでにエリアスに声をかけていやがった!
護衛対象を先に攻略するなんて。
エリアスをこの悪魔と二人にしたら、何をしでかすか……
護衛の業務妨害もいいところだ!!
くそっ!
本当に本当に忌々しい悪魔め!!
◇◆◇
「で、その格好は?」
半刻もしないうちに、準備ができた俺を悪魔がいぶかしげに見る。
「何って、これから悪魔が待ち伏せる戦場に行くんだろ?」
俺の胸には十字架が三つ。そして、腰にはぶら下げたニンニク。
頭には聖水をぶっかけてきた。
「完全防備だ!」
そう宣言した俺に、コンラートがはいはいと言って黒い修道士服を着せる。
そして悪魔とエリアスで俺の前後を挟み、暗闇の中、聖堂へと向かう。
毎夜、聖堂で行われる夜の勤めは、建物内から専用通路を使う。
そこにはランプのあかりや人通りもあるが、今回は人目を避けるため聖堂の外へと回る。
宿坊の外に出ると、辺り一面夜の霧に覆われていた。
月は出ているがうすぼんやりと霞がかり、眼前をおおう深い霧で一寸先も目を凝らさねば見えぬほどだ。
わずかに窓の隙間から漏れ出る薄暗いあかりを目印に、見失えば飲み込まれてしまいそうな夜霧の中を四人の人影が駆けてゆく。
メンバーは俺、エリアス、悪魔、コンラート。
コンラートが用意した黒い修道士服のフードを、皆頭からすっぽりかぶっているので、夜の霧にまぎれると、闇なのか人なのか見分けがつかない。
先頭を行く悪魔は聖堂のわきへ到着し、地下への階段の前で足を止め、中の様子をうかがっている。
「マジでここを行くのか!?」
声をひそめて聞く俺の問いに悪魔はうなずく。
そこは、わずかな蝋燭のあかりも届かない、漆黒の闇。
この聖エメラム修道院は、古いローマ時代の遺構の上に建てられているのだ。
チラっと覗き込むと、異教徒の石を利用したのか、その地下は古い石組みがむき出しになっている。
暗闇でじっと目をこらすと、石が風化してひび割れ、その隙間や荒いくぼみに、闇より濃い影が沈み込んでいた。
さらに見ると、岩肌に生じた無数の穴が、無数の悪魔の目のようにじっとこちらを窺っているようだ。
「イヤだ! 絶対に嫌だ!!」
声を殺して主張するが、
「嫌なら一人で残ることになるよ」
と言い捨てて、追い討ちをかけるエリアス。
エリアス――っ!
覚えてろ!!
スタスタと俺を追い抜き、先を行くエリアス。それに続くコンラート、そして悪魔。
闇の中に飲み込まれるように人影が消えていく。
このままでは本当に俺一人取り残されてしまう。
俺は意を決して、悪魔の後に続いた。
秋のヒヤリとした冷気が地下へと降りてきて、ただでさえ冷たい石の壁が結露でしっとりと濡れている。
冷気が足元から上ってくるというのに、俺の背中に汗がじんわりと浮かぶ。
細く、暗く、カビ臭い。
ここはクリプタという、巡礼者が、聖堂の地下にある聖人墓所を拝みにくる通路。
墓所……
俺の意識が遠のきそうになる。
そして、さらに歩みを進めると、頭の上から低い声が聞こえてくる。
聖人の墓を見るための隙間から漏れた、修道士のボソボソとした呪文が地下に反響する。
それはまるで地獄の番人が悪魔の呪文をささやいているようだ。
そしてどこからともなく漂ってくる香りは、死者の世界へと誘う冥府の香りのようだった。
黒いフードを被った修道士たちが、ルーカスを取り囲み、魔法陣を敷いて悪魔を呼び出している様子を想像する。
俺は胸にかかった十字架をにぎり締めた。
「ここで二手に分かれよう」
悪魔が口を開いた。
二手に? 分かれる??
「作戦はこうだ。もうすぐ修道士たちが交代する。それを足止めする役と、交代の修道士に化けてルーカスを検分する役」
エリアスが説明した。
四人でも心細いのに、さらに二手に分かれるだと!?
二人組ってことは、本物の悪魔と二人っきりになるヤツがいる!!!
俺が悪魔と二人っきりになったら、どうするんだ!?
俺は心の中で叫んだ。
その時、俺の明晰な頭脳が最適解をはじき出す。
「俺は足止め役!」
一番乗りで手を挙げてやった。
検分役はもちろん悪魔だろう。
お前一人で行けよ!
と思うが、さすがに悪魔一人でのこのこやってくるのは不審がられる。エリアスが付き添うことになった。
そして足止め役は、俺とコンラート。
ふうっと一息つく。
これで布陣は完璧だ。
コンラートのおっさんは、温和な上に思慮深いので修道士からの信頼が厚い。
はねっかえりのエリアスと大違いで、誰も疑わないだろう。
もしかして余裕じゃね? この任務。




