62. 王太子付従者と後片づけ
「おい! 早くしないと置いていくぞ!」
「ごめんってば兄さん! ……あぁやっぱりダメだ。ねぇ兄さん、ネクタイ結んでー!」
「甘えんな!」
身体の線を拾う細身の制服は、デザインも凝っていて格好いい……が。
なんでファンタジーな世界の制服にネクタイが必要なんだ……学園祭イベントで交換する大事なアイテムだから必要なんですよね、えぇ分かってます!
あぁ運営め……!
デザイン変更が間に合わなかった制服の、ショート丈のズボンとニーハイソックスに靴下留めをつける。
うぅ……このデザインの男子生徒が、他にもいますように——!
屋敷から駆け出そうとした俺を、後ろから幼い声が呼び止める。
「ルナちゃん、いってらっしゃい!」
「キュイ!」
ヴェルクはあと少しの間、タウンハウスで俺たちと一緒に過ごすことになった。
——今回、いろいろあったからね。
幼い心を護るための措置に、誰も否やがあるはずもない。
辺境に戻る時、シュロも一緒なら寂しくないかな。
……もう、騎士様ごっこは終わりにして大丈夫だもんね。
「うん、行ってくるねヴェルク! ……あと、ついでにシュロ」
「ギュイッ!?」
ヴェルクの肩にちょこんと乗ったシュロがなんか文句言ってるけど、知ーらない。
可愛らしく頬にキスしてくれるヴェルクに、同じように返す。
「お土産、楽しみにしてるからね」
「キュィキュイ」
一人と一匹に、上目遣いきゅるるんで告げられる。
あぁ、それが言いたかったわけですね……
いや、俺が今から行くの、学校なんだけど……
「……帰りに、街に寄れたらね……」
「わぁい! ルナちゃんだーい好き!」
「キュ〜イ!」
きゅっと抱きつかれ、もう一度頬にキスをくれる。
——うぅ、なんてあざとい!
「ジィさん、待たせてごめんね! 今日からよろしく!」
「はぁぃよ。このジィさんに任せときんさぃ」
御者のジィさん(名前!)とハイタッチしながら馬車に乗り込むと、待っていたかのようなタイミングで動き出す。
いや、俺を待ってたんだよね、ごめん!
とうに乗り込んでいた兄さんの向かいの席で、ああでもないこうでもないと細長い紐と格闘していると、窓の外を眺めていた兄さんがぽつりと呟いた。
「……殿下はいいのかよ?」
「んー? この後学園で会うからいいんだよ。初日は兄さんと行きたかったの」
結局、昨夜は遅くまで他愛無い会話を楽しんでしまったし……
寝落ちしてしまった俺は、殿下がいつゲストルームを出て行ったのかさえ分からない体たらく。
今くらいは、今日までお互いバタバタでゆっくり会話する暇もなかった兄さんと過ごしたって、バチは当たらないよね?
「ふぅん?」
それよりネクタイ、と新入生を示す臙脂のそれを差し出すと、ため息を吐きながらも結んでくれる。
ちなみに、3年生の兄さんは紺色ね。
襟には、魔法科学年首席の証である徽章が輝いている。
俺も1年首席をとって、お揃いにしようっと。
器用に動く長い指先と、右手の親指を彩るシルバーリング。
視線を落としたまま、それとなく口を開いた。
「……カルミアは、出発したの?」
「あぁ」
ルーチェから正式に籍を抜かれた元辺境伯令嬢カルミアは、先日僻地にある修道院へその身を移された。
ルーチェ辺境伯地よりも更に離れた地にあるそこは、鉄格子と有刺鉄線に守られた、更生不可の烙印を押された元貴族子女たちの終の地だ。
そこでカルミアは、残りの生を聖女様へ捧げることとなる。
「……暴れてないといいけどね」
「大丈夫だろ。魔力の暴走で、魔力生成器官が完全に壊れたんだ。魔力量が多いと自認しながら訓練を怠った、自業自得だ」
カルミアは魔力だけではなく、聖女の末裔たるルーチェの証でもあった宝石眼までも失っていた――理由は、定かではない。
「——うん、そうだね」
我ながら、冷たい返事だ。
本件において、ルーチェ辺境伯令嬢カルミア並びにルーチェ辺境伯家に咎はないと、王家から正式に通達があった。
一連の騒動は可憐な少女の身に降りかかった痛ましい事故、という公式見解だ。
しかし、ルーチェ辺境伯爵は娘を廃嫡し、修道院へと送った。
王家の裁定が甘いと不満を漏らしていた高位貴族たちも、そこまで徹底した辺境伯家の処置を前にしては、閉口するしかなかった。
意識を取り戻したカルミアは魔力枯渇症の苦しみからか、自制心を失ったように俺を酷く罵ったそうだ。
そんなカルミアの様子に、今まで口を噤んでいた幼いヴェルクは、自分が見てしまったあの日の出来事を皆に打ち明けたのだという。
黙っていてごめんなさいと泣く幼子を、誰が責められよう。
ヴェルクは……俺だけじゃなく、カルミアも護っていたんだ。
その涙ながらの証言によって、カルミアの行為が単なる事故ではなかった可能性が浮かび上がった。
そして——俺の部屋から見つかった血塗れの懐剣が、その疑いを決定的なものにした。
「……ごめんね、兄さん」
視線を車窓に向ける。
思えば、カルミアはずっと“ののの”の世界で生きていた。
そして俺も、知らぬ内にゲームの記憶に判断を鈍らされていたのかもしれない。
この王国に、王太子殿下を“ヴァン様”と呼ぶ人は、存在しない。
ヴァンはあくまで愛称であり、殿下が許したごく一部の人間にのみ許される呼称だ。
王太子推し勢が普通に“ヴァン様”呼びだったから、気づけなかった。
窓に頬杖をつき流れる風景を眺めていた兄さんが、視線だけをこちらに向ける。
「俺の代のルーチェに、身内殺しは必要ねぇ」
「……ん」
「くだらねぇこと考えんな。バーカ」
『魔力あふれる心優しき聖女の末裔』——ヒロイン不在の今、“ののの”はどうなるのかな。
実際こうして今、俺は王立学園に向かっているわけだし。
シナリオの破綻による強制終了——ってことで、いいのかな。
——到着前に、事故ったりしてね。
「坊ちゃん方ぁ、申〜し訳ない。この先、ちょぉっとばかし揺れるかもしれませんわ」
「分かった、お前も気をつけろ!」
「ははっ! このジィさんに任せときんさぃ、安全運転で参ります〜」
気さくなおじいちゃん御者の注意喚起に、兄さんが応じる。
直後にガタン! と身体を襲った大きな揺れに思わず身構えてしまったが——馬車は止まることなく、そのまま動き続けた。
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