63. 王太子付従者は、今日を生きる
細やかな不安は杞憂に終わり、馬車は定刻通りに学園へと到着した。
帰りの迎えの時間を伝えると、ジィさんは「はぃょ〜」と、のんびり屋敷へと戻って行った。
目の前にあるスチルそのままの王立学園に、この場に立てたことを実感する。
この世界でも春は桜が咲き乱れ、息を呑むほど美しい。
「いつまでも見てんな、行くぞ」
「兄さんには情緒がないよねぇ」
「はぁ? お前だって普段は花そっちのけで菫齧ってんじゃねーか」
「なんで今それを言うの!?」
ケタケタ笑う憎らしい兄さんを追いかけて、門戸をくぐろうとする——と。
「げ、今かよ」
背後で馬車が停車する音に振り返れば、そこに刻まれているのは世界樹をモチーフにした美しく繊細な紋章。
——つまりは、王家の馬車だ。
身軽な動作で先に長身の騎士が降りると、その後を王太子殿下が続く。
合図をする前にさっさと降りてきた殿下に苦笑したエビネ様が、チラッとこちらに視線を投げて寄越した。
……なんですか、その意味深な笑みは。
脇目もふらずに一直線にこちらに近づいてくる殿下に、安定者時代から染みついた臣下の礼をとる。
「宵闇の君にご挨拶を申し上げます」
その場にいる一番上位の者が代表して述べる口上……この場では兄さんに倣い、頭を下げる。
「……どうした? 貴殿にそんな改まられると、少々気味が悪いのだが……」
「……つくづく、可愛くねーな。周りの目があるからに決まってんだろ?」
先に兄さんが頭を上げたのを確認し、俺も顔を上げる。
……殿下の制服姿〜——!! 素敵!! 格好いい!! 最&高!!
いや、普段の殿下も、勿論素晴らしいんだよ!?
ただほら、あ〜スチルの殿下だぁ……みたいな? 尊み的な?
……あ、分かる? 分かってくれる!!?
俺のガン見に気づいたのか、殿下がこちらに視線を向ける。
……あ、さすがにはしたなかったかな?
それとなく視線を逸らそうとして、殿下の薄い唇が“可愛いな”って動くのを見た。
無表情ながらも甘ったるい眼差しに、何か叫びそうになる。
——いや、殺す気!? 俺、ここで死ぬの!?
制服から覗く絶対領域やら妙にセクシー見えするニーハイのレースが急激に恥ずかしくなって、兄さんの背後に隠れる。
次期当主を立てる自然な行為で、むしろマナーだ。うん。
兄さんも、殿下の無表情の中にある感情の機微が分かるようで、いつになく上機嫌な殿下にイラッとしたらしい。
「そういや『学園内では無礼講、身分関係なく分け隔てない交流を(意訳)』だったな?」
「無論だ。貴殿もそう接してくれて構わない」
「んぢゃ、俺の弟に必要以上に近づくな。学業に支障が出たら困るからな」
「——はて? ここはまだ学園外だと思うのだが……」
「細けぇな!」
……すっかり仲良しだよねぇ。
軽快なテンポで軽口を叩き合う二人を眺めていると、いつの間にか隣にいたエビネ様に声を掛けられる。
「おはよう、ルナ」
「おはようございます、エビネ様。今日からは後輩としても、よろしくお願いいたしますね」
「先輩、で構わないが?」
「……なんか照れますね」
口角を緩く上げ目を細めるエビネ様は、兄さんと同じ3年生を示す濃紺のネクタイを締めている。
緩く締めてる兄さんと違って、エビネ様はキッチリ。
性格出るよね~……
落ち着いた雰囲気のせいか、年齢よりも大人びて感じる。
俺の身長がヒロインと同じ女性の平均値故、長身のエビネ様が隣に立つとまるで大人と子供だ。
不意にエビネ様がその身を屈めると、俺の耳元に囁いた。
「その……婚前交渉は、城内では避けたほうがいい」
「ふぇ?」
……不意打ちだったよね。
被っていた貴族の仮面がズル剥ける。
えっ!!? 何それ、どういうこと!!?
「え!? ——あの、え!!?」
「あ、いや。誤解しないでくれ、小言を言うつもりはないんだ。もちろん、ソルにも言ったりしない。……ただ、その——……意外と人目が、な……?」
眉を下げて微笑み、すぐにいつもの寡黙な騎士へと戻っていく。
——いやいやいや、待ってください!
俺たちまだ何もしてない——……いや、ちょっとイチャイチャはしたかもだけど!
そんな、婚前ホニャララなんてしてないからっ!!
エビネ様のセンタープレスの美しいスラックスのポケットに、常備している菫の砂糖漬けを突っ込んでやる。
メアリが超ファンシーにラッピングしてくれた、特別バージョンだ。
驚いたようにこちらを見るエビネ様。
「……それは、どこからの情報ですか」
赤らんだ俺の顔と不格好に膨らんだポケットを交互に見ると、意図に気付いてくれたようだ。
さすがは王太子付騎士兼、古参の侯爵令息。
「俺は、アイリス王女殿下からだな」
「……お、王女殿下ぁ?」
——とんだ大物の名前が出たよ。
「王女殿下はメイドから、とおっしゃっていたな。その——未明にゲストルームから自室にお戻りになる殿下をお見かけした、と。……既に、結構な噂だそうだ」
「王城勤めのメイドが——守秘義務〜!」
「それが、王女殿下が直々に問い詰められたとのことだ……こればかりは、な」
——ですね! 雇用主には逆らえませんよね、分かります!
「あぁ、俺もう王城行けない——っ!」
「それは俺が困るな。タウンハウスまで迎えに行こう」
「それって拉致ですよね!?」
あぁもう、だから夜の内にさっさと部屋に戻れって言ったのに……寝落ちしちゃった俺も悪いんだけど!
いや、そもそも殿下が≪闇渡≫で戻ればこんなことには——……いやいやもしかして、わざと!!?
ぐるぐるしている俺を励ますように、エビネ様が微笑む。
「そんなに気に病まなくても大丈夫だ。今回の件がなくとも、城内の王太子付は皆、二人の関係については認識している」
「——え? 何のことデスカ?」
首を傾げる俺に、エビネ様も不思議そうな顔で俺の耳朶を示す。
例の——一粒石の、ピアス。
「二人とも、互いの色を纏っているじゃないか。……意外と、見られているものだぞ?」
……まさか殿下、それで隠してなかったの……?
髪で隠す俺に比べ、殿下は露骨だった。
俺が殿下の色を纏っていることさえ分からなければセーフかと思ってたんだけど……甘かったってこと?
「……やはり、嗜めるべきでした……」
「あー……殿下は頑固だからなぁ」
「……デスヨネ」
「それに、王女殿下からのプレゼントだろう。外すのも、それはそれで、な」
「分かってくれますか、エビネ様〜ぁ!」
思わず擦り寄っちゃうよね!
それにしても……アイリス様、謎めきすぎでしょ。
俺と同じ、ゲームでは設定しか出てこない王女殿下。
その設定はルナリアよりも更に薄くて、ファンブックの王太子ページに“兄と妹がいる”と一文あるだけだったはず。
あぁそれに、エビネ様なんて王太子のスチルの背後に立つ、騎士のシルエットにすぎなくて。
……設定の薄さで言えば、兄さんも……王女殿下がご執心のルーチェ伯爵家末っ子、ヴェルクロシェットもだ。
モノクロスチル一枚だけだった兄さんとヴェルクに、設定のみで名前も容姿もなかったエビネ様やアイリス王女殿下。
……みんな意思があって欲があって、生きている。
——生きてるよ。
「……ねぇエビネ様」
「なんだ?」
「人も集まってきましたし、兄さんと殿下は放っておいて……俺たちだけで、先に入っちゃいましょう!」
「え? いや、でも、」
「はーい、行きましょ!」
エビネ様の剣だこで硬い大きな手を掴むと、大きく前に踏み出し学園の門戸をくぐる。
「あ! おい、待てよ!」
「エビネ、貴様——!」
後から追いかけてくる二人に笑う。
無表情で、でも機嫌が急降下している殿下に、エビネ様が繋いでない方の手で頭を抱えた。
桜は、我関せずで平等に降り注ぐ。
“ヒロインの兄が王太子付騎士と共に学園の門戸をくぐる”なんて、どの攻略本にも存在しない。
だからきっと、この先に待つ物語も誰も知らない。
——見たか、運営!
上機嫌の俺の腕を、殿下が掴む。
すっかり拗ねてしまっている薄い唇に、精いっぱい背伸びをして口づけた。
.




