53. 双子の兄はその手を離せない
「——っと。こんなもんで、いかがッスか……?」
エビネ様の携帯していた水袋に件の魔法陣を付与し、慎重な手つきでルキアが手渡す。
「革製品なんで、深い刻印ができずに申し訳ないッス。その代わりワックスで仕上げたんで、まぁまぁの耐久性は見込めるはずッス」
「すまないな。礼は……」
「もともとは卿の持ち物ではないですか。……でも、おねだりしてもいいのなら、使用感の情報提供をいただけると、とても助かります。ね、ルキア?」
「ッス! 改良に繋がるんで、マジ助かるッス!」
二人の言葉に、エビネ様は頬を緩め、姿勢を正す。
「無論だ。記録をまとめ、詳細を報告する」
「クソ真面目かw よこせ! 試飲〜」
「あ! おい、ソル!」
エビネ様の手元から水袋をかっさらった兄さんが、中身を口に含む。
「んん! ……これ、地味にスゲェな」
「どれどれ——うん、これは嬉しいな。皆に見せたら取られてしまいそうだ」
「もう一口寄越せ!」
「こら!」
二人のやり取りを見守るルキアの、何かを噛み締めるような表情。
「……これがあるから、魔道具師を諦められないんだよな」
「僕も師匠も、ルキアはいつかこっちを選ぶって思ってたよ?」
「はぁ!? マジかよ?」
「うん。だってルキア、分かりやすかったし」
ぽかんと呆けていたルキアの表情が、照れくさそうに歪んだ。
「——なんだ、そっか」
——後に、彼の名は王国中に知れ渡ることとなる。
その功績を称えられ、姓と爵位を賜りながらも、彼は生涯その辺境の地に尽くした。
ルーチェの庇護のもと、魔道具師や魔術師の地位向上に尽力した彼の名を、ルキア・アルクスといった——
「あれぇ? お客さんきてた〜ん?」
気だるげに店の奥から出てきた女性に、ルキアが慌てたように声を上げる。
「ちょ、姉ちゃん! こっちはいいから、出てくんな!」「はぁ? 酷ぃわぁ。あんたのへんちくりんな魔道具より、あたぃの媚薬の方がよっぽど売れてんじゃぁん。ネルも何とか言ったってぇよ。……って、あらぁあんた、また来たん?」
下町訛りの色濃い口調が、親しげなものに変わる。
眠たげに垂れた海老茶の目が、俺を見て懐っこく笑った。
「……え? 俺?」
「姉ちゃん、こいつお貴族サマ! こんな店にくるわけねーじゃん! あと、媚薬とか言うな! 香水だろ!」
「は〜ぁ? これだからあんたは商売ってモンを分かってないわぁ。こぉ〜んな怪しげな店で買うならぁ――媚薬の方が、ご利益ありそうでしょ〜ぉ?」
……いや、結構違う物じゃないですかね?
全く悪びれずケタケタ笑う彼女に、不思議と嫌悪感は湧かない。
「それに〜ぃ、あたぃがお客の顔を間違えるわけなぃじゃんねぇ?」
ぐっと顎に手をかけられ、至近距離で顔を見つめられる。
「……ほぉら、絶〜対この子。こ〜んな綺麗なお目々の可愛い子ぉが、この世に何人もいてたまりますかぁ。ね〜ぇ?」
あ、なんか甘い匂いがする。
言っていた、お手製の香水かな。
彼女の魅力をより引き立てて魅せる。
「ふふっ。今日はお化粧してなぃのねぇ。髪も切っちゃったの〜ぉ? ……ん〜、服装は今日の方が好みだけどぉ、髪はまた伸ばしてほしぃわ〜ぁ」
まるでキスでもするんじゃないかって距離に、俺の中の男の子がドキドキしてしまう。
この人、なんか妙に色気があるっていうか……
「私の人だ。返してくれ」
背筋が冷えるような平坦な口調と共に、腕を引かれ彼女から距離をとらされる。
濃い魔力が、俺の全身を瞬く間に絡め取った。
「……あらあらあらぁ、ごめんなさぃね〜ぇ?」
パッと手を離した彼女は、しかし心底嬉しげに俺の耳元にぐっと唇を近づけ、そっと囁いた。
「ふふっ。意中の彼とぉ、上手くいったのね〜ぇ? ……またどぉぞ、ご贔屓にぃ」
「……え?」
意味深なウィンクと共に、ひらひらと手を振った彼女は来た時と同様、唐突に姿を消した。
「……申し訳ないッス。うちの姉ちゃん、ちょっと馴れ馴れしくて」
「姉君も、職人なのか?」
——あたぃの媚薬の方がよっぽど売れてんしぃ。
「あ、いや、職人? っちゃ職人なんスけど、魔道具師っていうよりも、もっとこう」
「雑貨、ですかね? ちょっとしたアクセサリーとか、香水とか。可愛くて人気があるんですよ」
——今日はお化粧してなぃのねぇ。髪も切っちゃったの〜ぉ?
「名前がいちいちいかがわしいんだよ……“魅了の雫”だとか“忘却の雫”だとか」
——意中の彼とぉ、上手くいったのね〜ぇ?
「それは……斬新だな」
——……またどぉぞ、ご贔屓にぃ
「いや、案外新しい物好きな貴族には刺さんじゃね?」
兄さんの適当な相槌に、ネル先生がパッと表情を明るくする。
「え!? 本当ですか? えと……あ、あった! これが“魅了の雫”ですっ!」
ネル先生が掲げた可愛らしい香水瓶に、燻っていた俺の思考が一気に弾ける。
——……あれ?
——この外観、なんか見覚えが——……
「ネル先生、それ……」
「あ、是非お試しください! つけると意中の人と恋仲になれるって噂ですよ!」
「——ほぅ」
殿下が手渡された香水をひと吹きする様が、スローに見える。
『……どうして? あんな汚いところまで行ったのに……』
ハートがあしらわれピンクのボトルからあふれ出す甘い香りは——俺の推測を肯定した。
『……あぁ、でもコイツは——だし、対象外ってこと……?』
「あ? おい、ルナ! どうした?」
「ちょっと、外出るだけ! すぐに戻るから!」
あぁ、そうだ。——そうだよ。
どうして気づかなかったの、俺。
この風景、この外観。
そして、“魅了の雫”——あれは、攻略対象の好感度を上昇させるアイテム。
——ここは、“ののの”攻略アイテムショップじゃないか——……!
「ルナリア、いきなりどうしたんだ?」
眉一つ動かすことなく、殿下が問う。
真っ直ぐに俺を見てくれる瞳。
腕が触れる距離で自然に並ぶ殿下の指先に、たまらず指を絡める。
「……ここに、ヒロインが来てた」
——誰かを、攻略するために。
心臓が冷たくなる。
『どうせ——する運命なのにね』
あぁ、彼女はやはり——……
もし、ヒロインが殿下を求めたら、どうすればいい?
でも俺は離れたくないよ。
だけどヒロインが殿下を選ぶなら、殿下は幸せになれる。
でもそれはゲームの話で、現実がそうとは限らない。
それに俺は抗うって決めたんだ。
でもそれはヒロインが殿下を選ぶのであれば無意味なこと。
そもそも殿下を幸せにって何だっけ?
俺のエゴにすぎない?
違う、違う。
俺は、俺は本当に殿下のことが——……
「——ルナリア、私を見てくれ」
「っ!?」
不意に伸びてきた掌が、俺の頬を包む。
目元と唇を辿った指先が耳朶へと這い、ピアスへと触れた。
それだけで、不安が柔らかく解けていく。
「……殿下」
「どうした」
「——離せなくて、ごめんなさい」
頬に触れてくれた手をぎゅっと握る。
冷たくて、優しい手。
ごめんなさい、ごめんなさい。
俺は、あなたの幸せよりも、自分の——……
「あぁ。離さないでくれ」
強く握り返された手に、胸は確かに鼓動した。
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