閑話.エビネ・グラディクト
良くも悪くも、俺は恵まれていたらしい。
貴族に生まれながら加護に恵まれなかった俺を、両親も兄弟も、誰一人蔑むことはしなかった。
お仕えすることを認めてくださった殿下も、その従者であるルナリアもそうだ。
グラディクトは騎士の名門。実力があれば認められるもの。
——そんな甘やかな幻想は、王立学園入学時に向けられた白い目に覆されることになる。
◇◇◇
学園に入ってから数ヶ月、向けられる視線には慣れつつあった。
顔を背け距離を置く者、遠巻きに嘲笑う者。
……その程度であれば、可愛いものだ。
「名門グラディクトも落ちたもんだよなぁ! 尊き血にまさかの加護無しとは……私だったらあんな色に生まれた時点で自殺するね」
落ち目ではあるものの、古参の公爵家嫡男である騎士科学年首席の上級生は、初授業で顔を合わせて以来この調子。
彼の周囲には常に数名の取り巻きがおり、彼の口にする言葉に様々な反応を示しながら同調する。
公爵令息だからか、教師も見て見ぬふりする始末。
おかげで、期待を寄せていた騎士科の授業は、ひどく味気ないものへと成り下がった。
本来は誉れであり憧れであるはずのワイシャツの徽章——学年首席のみが付けられるそれが、今は虚しく霞んで見える。
そちらに視線を向けず、愛剣の手入れを確認し、腰の鞘へと収める。
本日は騎士科生徒同士の公開模擬戦だ。
授業前にも関わらず訓練場には他科の生徒が集まり始め、俺たち騎士科を円形に囲っている。
「あんなのを王太子付騎士に推すなんてな。侯爵殿は一体何をお考えなのか……理解に苦しむよなぁ!?」
それは、俺が強いからだ。グラディクトは色で人を判断したりはしない。
大体、父の判断に最終決定を下したのは王家だ。
俺やグラディクトを侮辱しているつもりなのだろうが、その発言は自らの品位を低下させているに他ならない。
一平民ならともかく、古参の公爵家の嫡男の発言としてはアウトだ。周囲の者も友人であれば窘めるべきだろうに……
「まぁ、王太子ってもアレだろ? 呪われ黒髪――欠陥者同士お似合い、痛っ!?」
手袋を投げつけることに、一切の迷いはなかった。
騎士における決闘の申し込み——その意味を知らぬ者は、この場にはいない。
ひどく冴えた頭で、呆然とこちらを見る上級生を見下ろす。
——あぁ、この人はこんなにも小さかったのか。
「誇り高き騎士であるというのなら、拾うがいい。——よもや、砂色に怖気づく貴殿ではあるまい」
グラディクトに生を受けたが故、人生において言われる一方だったこの口上。いざ口にしてみれば、存外悪くないものだ。
「っ!? 貴様、加護無しの分際でこの私に——っ!!」
赤くなりどす黒く染まっていくその顔は、見るに堪えない。
鼻息も荒く足元の手袋を拾うと、騎士の風上にも置けない荒々しさでこちらに投げ返してくる。
騎士たるもの、帯剣時に心を乱すは未熟者……ではなかったのか。
「……公爵家も、落ちたものだ」
「っ!? 貴様、もう許さん!!」
知らず口から零れ落ちていたらしい内心に、自分もまだまだだと知る。
相手の手が柄にかかったことを認識するよりも先に、幼少期より刷り込まれてきた本能で己が剣を抜く。
柄にかけた指先を強張らせ驚愕に目を見開く上級生の顔色が、どす黒い赤から蒼白に変わる様をスローモーションのように観察しながら、襟に輝く徽章を切り飛ばしながら刃を喉元に突きつけた。
……冗談かと思うほどに呆気ない。
この程度が騎士科学年首席の魔法騎士?
俺は揶揄われたのだろうか……幼い弟たちの方がまだマシだぞ?
その場でへたり込む上級生に、思わず周囲を見渡す。
先ほどまでショーでも見るかのように囃し立てていた野次馬は、誰一人口を開こうとしない。
青褪める者、顔を背ける者——神聖な決闘を、なかったことにするつもりか?
……だが。
「すっげぇ! 騎士科の首席魔法騎士相手に新入生の加護無しがマジで勝っちまいやがったよ、ヤベーw」
凍りついた空気をブチ壊したのは、貴族とは思えない、あまりにも品のない笑い声だった。
「なっ!?」
瞬時に首まで真っ赤に染め上げた公爵令息。
「誰だ今のは!! 無礼だぞ、名を名乗れ!!」
腰を抜かしたまま口角泡を飛ばして憤る上級生に、対戦前の余裕は微塵も感じられない。
今にも野次馬の輪に飛び掛かっていきそうな剣幕に、女生徒たちが悲鳴を上げる。
「ハイハイ、俺デース」
気分を逆撫でる気の抜けた声音。
地団駄を踏まんばかりに憤る上級生は、しかし群衆から露わになったその麗人の姿に、息を呑んだ。
蒼穹をそのまま閉じ込めたかのようなセルリアンブルーの宝石眼に、光を帯びたかのような銀髪。
身に纏うのが男物の制服でなければ、性別の判別がつかない美しい顔立ち。
この世の美しさを全て兼ね備えたかのようなその男は、上級生の正面に堂々と歩み出る。
表情を左右非対称に歪めると、口角をチェシャ猫のように吊り上げた。
「魔法科1年、ソルヴァス・ルーチェと申します。お初にお目にかかります、騎士科学年首席の魔法騎士殿」
小馬鹿にした口調とは対照的な美しい所作で頭を下げる麗人に、上級生は首まで赤く染め上げる。
それが先ほどまでとは異なる感情からくるものであることは、誰の目にも明らかだった。
「どれほどの腕かと期待して観覧させていただいたのですが……いやはや、災難でしたね」
「なっ!? こっ、これはあの加護無しが」
「令息、しー。ですよ」
「っ!?」
ニィっと愉しげな笑みを浮かべしゃがみ込んだ麗人——ルーチェが、上級生に見せつけるように人差し指を薄い唇に押しつける。
「敗者の言い訳は……ね?」
「っ——!! 失礼するっ!!」
長い睫毛をはためかせた完璧なウィンクと、痛烈なひと言。
顔を真っ赤に染め上げたまま、上級生は脱兎のごとくその場から走り去って行く。
その後を慌てて追い掛ける取り巻きたちと、ざわめき出す周囲。
「なんだ? どうした、何事だ?」
今更過ぎる教師の登場に、周囲の生徒が我先にと事の顛末を語り始めるのが見える。
「俺らも行こうぜ、グラディクト」
「あ、あぁ……」
当の本人はそんなもの意にも介さず、何事もなかったかのように颯爽と歩き出す。
そんなルーチェの後を、慌てて追い掛ける。
その華奢な背中は同い年とは思えない風格があり、人混みが自然と彼のために道を空けた。
◇◇◇
人気のない裏庭まで移動し、やっと人心地がつく。
吹き抜ける風が心地良い。
「さっきは助かった、礼を言う」
「ハハッ! そんなことより——さすがは剣の名門、グラディクトだ。素晴らしかった」
彼が聖女の末裔であることを示す宝石眼が、陽光よりもさらに美しく輝いた。
ケラケラと軽い口調で手放しの称賛、こちらがどう反応したらいいのかが分からない。
彼の噂は、孤立する俺の耳にさえ入ってきている。
“新入生にして、またたく間に魔法科学年首席を勝ち取った聖女の末裔”
“名誉ある学園貴族会への入会を蹴った変わり者”
“その美しさから実力以外で評価を勝ち取った寵愛者”
実際に彼を目にした今、少なくともその実力が噂だけのものではないことは分かる。
入学したばかりだというのに、ワイシャツの片襟には魔法科1年首席の証である徽章が輝いていた。
格と実力を兼ね備えた麗人——羨望も嫉妬も一身に浴びていることだろう。
ふと、彼の弟である、柔らかなキャンディピンクの微笑が脳裏を過る。
顔立ちは似ていないが——あぁ、これがルーチェか。
「弟君から、話はよく聞いている。貴殿に会えることを楽しみにしていた」
「……職務中に無駄話かよ、余裕なこった。俺も聞いてるぜぇ? 騎士とは思えない優男で普段は温厚、それでいて殿下に非礼を働いたお貴族サマに一本背負い投げかました、だろ?」
「……アレはだな、剣を持っていない相手に抜くわけにはいかず、だな……」
「男前、最高! だとよ」
……そういや、あの日のルナリアは、さすがに短慮であったと自己嫌悪する俺を大絶賛していたっけ。気を遣わせたのかと思っていたが、本気の称賛だったんだな……
ハハッ! と笑う横顔、覗く白い歯。
あぁ、なんて貴族らしくない。ルナリアから聞いていた人となり、そのままだ。
「どの程度の魔法師がいるのか期待して入学してみたら、俺程度でトップだとか。嗤わせやがる。ここに学びにきた意味がねぇ。——でもまぁ、お前に逢えたなら満更無駄でもなかったな」
ふと、長い脚を止めたルーチェが俺に向き直る。
華奢な骨格に細身の身体、背だって頭半分ほど小さい。
なのにどうして、こんなにも大きいのか。
「譲れねぇ部分が噛み合う相手ってのは、案外長続きすんだぜ? ルーチェとグラディクトみてぇにな」
差し出された白い手に、誘われるように握り返そうとした手が、止まる。
「……その、俺は加護無しだが、」
「見りゃ分かる」
半端に止まっていた手を、ルーチェが掴んだ。
白くしなやかな手は、存外力強い。
「俺はな、誰とつき合うかは自分で決める主義なんだ」
正面から俺を射抜く彼の、何と美しいことか。
「よろしくな、エビネ」
「——あぁ、ソルヴァス」
握り返した手。
かつてのグラディクトがそうであったかのように、俺もまたその鮮烈な光に魅せられた。
.




