49. 魔法オタクは揺るがない
再び訪れた訓練場には、すでに誰の姿もなかった。
静まり返った訓練場は、本来の規模以上に大きく感じる。
「なんでお前までついてくんだ? 執務に戻れよ王太子殿下殿」
「貴殿こそ、私の従者を連れ回さないでくれ。彼がいないと効率が落ちてしまうんだ」
見逃してしまいそうな微かな甘さを含んだ眼差しで俺を見る殿下。
恥ずかしくなって視線を逸らしてしまう俺の隣に、殿下はさり気なく並んだ。
それを見た兄さんが、うへぇと舌を出す。
「おいエビネぇ、お前の主人こんなんでいいのかよ?」
「自分は、ただ御守りするだけだ」
「ご大層なことで」
それらのやり取りを見たネル先生とルキアが、先ほどから忙しく目を白黒させている。
「私は貴殿のことも見届けたいと思っている。貴殿は私の人の、大切な人だからな。私にとっても特別だ」
「……そらありがてぇこった」
ネル先生がパッと俺を見る。
やめて、そんなキラキラした穢れなき眼で俺を見ないで——っ!
「いいなぁ……ルナリア様も卿も、いいなぁ」
頬を赤らめながらうっとりするネル先生に、ふと恋愛小説大好き王女殿下を思い出す。
……今度、ちょっと囁いてみようかな。
王城魔術師団に可愛い子がいましたよ〜くらいなら、有りだよね?
中心部に到着したところで、兄さんが俺に向き直った。
「おいルナ、慣らしにつき合えや」
人差し指をクイッと曲げて挑発する様が、こんなに絵になる人って他にいる?
「いいよ——しっかり見定めてあげる」
口角が自然に上がっちゃうのは、仕方ないよね。
物言いたげな殿下たちには有無を言わさず下がってもらって場を整える。
横槍は禁止、興が冷めちゃうからね。ここはルーチェ流、ってことで。
一定の距離をとって、相手の一挙一動を見逃さぬよう、集中。
正直に言えば、兄さんは詠唱の阻害さえすれば問題なく勝てる相手だ。
それでも、不意を突く攻撃や的確に急所を狙ってくるその技術に、幾度も辛酸を舐めさせられている。
魔力の扱いの繊細さに関しては、どうにも敵わない。
魔法陣の刻まれた掌を見つめていた兄さんが、こちらを見て不敵に笑った。
蒼穹の宝石眼がキラッと輝く。
「——さぁ、どうかな」
パンッ! と、乾いた音が響いた。
「っ!!?」
あまりの眩しさに視界が白く弾けた次の瞬間、無数の≪光弾≫が訓練場の天井を突き破り空を露わにしていた。
咄嗟に≪光域≫を展開した自分を褒めたい。
——え、何、今の? あ、合掌のみで発動したってこと?
すごい!! 成功!?
嬉しくなって兄さんを見れば――バネ仕掛けの人形のように奇妙な動きを繰り返している右手を、残された左手で押さえている。
「っ! っざけんなよ——っ!!」
その必死の形相に、手合わせ中であることを忘れて駆け寄りかけた。
「っ!? 兄さ、」
「こっちはいい! テメェが死なねぇようにしとけ!」
言うが早いか、左手の静止を振り切った右手が掌を握り込み、開く動作をしたのが見えた。
「っ! かはっ!?」
瞬間、的確に心臓を狙った≪光弾≫が放たれる。
≪光盾≫の展開は間に合った——が、その威力の重さにブレイクされかけ、吹っ飛ばされた。
背中を壁に強打し、呼吸が一瞬止まる。
「ルナリア——!!」
今にもこちらに駆け寄ってきそうになっている殿下を、片手で制す。
まだだ。まだ大丈夫——見えてる。
「っ……」
意図を汲んでくれた殿下に笑って見せた。
冷静になれ——じゃないと、負ける。
スピード、威力——そのどちらも、今までの兄さんとは違う。
だけど、それを制御できていない……?
「魔力の暴走——っ!?」
思い当たる可能性に背筋が凍る。
思わずネル先生を見れば、その表情は強張り、兄さんを凝視していた。
両手でしっかりと杖を握り締める指先が色を失っている。
そんなネル先生を庇うように立つルキアの表情は、すでに引き攣っていた。
「っ、いや、暴れてるだけだ……っ! 舐めんなよ——斬り落とすぞ!?」
制御不能な右手を地面に叩きつける様は、まるで獰猛な魔獣を抑え込むような動きだった。
「≪光灯≫」
明らかに異常な動きを見せていた右手がぎこちなくはためき、ドーム内に幾重もの幻想的な灯りを生み出した。
ほぅ……と、手合わせ中であることを忘れてしまう美しさだ。
それを見た兄さんが、苦く嘲笑う。
「誰がそこまでやれって望んだよ、とんだじゃじゃ馬だな——次だ、≪光爆≫」
「っ、うわっ!?」
四方に現れた≪光爆≫に、指を弾いて≪光域≫を展開する。
しまった、魅入っていた。——ねぇ、本当に魔力、暴れてんの!? 精度エグすぎっ!!
「——うん、あと少し。いい子だ」
確認するかのように、宥め飼い慣らすように。
刻印のある手を握り込み、ゆっくりと開く。
打ちつけたせいで鬱血していた右手が、元の白い手へと戻っていく。≪光癒≫か。
「あぁ——それでいい」
ゆっくりと上がった口角。
揃えた人差し指と中指が、宙を弾くように動く。
溢れ出す美しいプリズムのハレーションに、ネル先生とルキアが感嘆する。
幾度も見てきた俺でさえ、ため息が漏れた。
光は、見守っていた全員の身体に吸い込まれ——消える。
「まさかこれ、≪光祝≫か……!?」
「すごい……本物を初めて見ました——……」
先ほどまで青褪めながらこちらを見守っていたネル先生とルキアが、喜びに色を取り戻す。
「詠唱なしでこんな高度な魔法を発動できるなんて——!!」
瞳をキラキラと輝かせるネル先生に、兄さんがようやく表情を緩め口角を上げた。
「……成功ってことでいいかよ、先生」
その言葉に、ネル先生は潤んだ瞳を拭いながら晴れやかな声を上げる。
「——っ、はいっ!! 大成功ですっ!!」
年相応の無邪気な声が、訓練場に響き渡った。
続いて、肩をなで下ろすルキア。
安堵を滲ませる殿下と、嬉しそうに微笑むエビネ様。
込み上げてくる感情のまま兄さんの元に駆け寄ろうとして……ふと、足が止まる。
詠唱を克服したってことは……俺はもう、兄さんに必要ない——……?
頭を過ぎってしまった可能性に、息が詰まる。
——嫌だ、そんなの。
俺は、兄さんの右腕になるんだって、ずっと、信じてきたのに……
「なんつー顔してんだ、こいよ」
こちらを振り返った兄さんが、覚悟の刻まれた手を差し伸べてくれる。
「っ、うん——!」
大丈夫。
——俺はこの手を、絶対に離したりしないんだから。
.




