48. 魔法オタクは兄の覚悟を焼き付ける
「——ルキア、禁書庫から光の魔術書と刻印鏝を持ってきて」
「……お、おぉ」
手渡された鍵を両手で受け取った青年——ルキアが、慌ただしく部屋を出て行くのを見て、兄さんが笑う。
「豪快なヤツだなぁ」
「も、申し訳ありません。僕も彼も、まだ王城なんて高貴な場所、慣れなくて……」
「禁書庫の権限持ちってことは、アンタが新しい王城魔術師団長か」
「は、はい……」
「へぇ、すげぇな。領地のチビ共にも見習わせねぇとな」
軽やかに笑う兄さんに、ネル先生の強張っていた表情が解けていく。
「……卿は、ルナリア様のお兄様なんですね」
「はぁ? こんな後先考えねぇ魔法バカと一緒にしてくれんなよ」
「……それ、今の君には言えない台詞だよ」
「んだとエビネぇ!?」
「ソルヴァス、そろそろその場所を変わってくれ」
「誰が変わるか、バーカ!」
三者三様の遠慮のないやり取り。
目を見張っていたネル先生が、仕舞いには笑い出す。
年相応の笑い声が、閉鎖的な研究室内を明るく満たした。
……いや、ちっとも笑う心境じゃないんだけどね。
それでも、様々な思惑と権力の中で縮こまっていた子供の笑い声は、不安な心を癒してくれる。
そんな俺の心の内も、きっとお見通しなのだろう。
ネル先生は、兄さんにくっついたままグルグルしている俺と目を合わせると、ふわりと微笑んだ。
◇◇◇
「こちらが光の魔術書——記載されている魔法陣が、こちらです」
兄さんに魔術書を手渡すと、魔法陣の描かれたページを指差しながら、ネル先生は丁寧に言葉を紡いだ。
年季の入った書物を慎重に捲りながら、兄さんはその書面に目を走らせる。
「——あぁ、確かに」
「はい。そしてこちらが、同じ魔法陣の描かれた刻印鏝です。我々はもっぱら杖への刻印のために使用しております。光の魔術は光の魔法を模したもの故、その扱いを厳重とするよう神殿から命ぜられております」
「だからこれだけ禁書扱いなのか」
「おっしゃる通りです。——ちなみに、」
ネル先生の眼差しが、俺の隣を陣取った殿下へと流れる。
「闇の魔術書は存在しません。闇の魔力そのものが神秘に包まれております故、魔術に起こすことができないためです」
にこっと微笑むネル先生は、どこか楽しそうに見える。
未知は面白いものね。その気持ち、理解るよ。
「——確かに、同じ魔法陣だな」
「ご確認いただきありがとうございます。——本当に、よろしいのですか?」
「あぁ、頼む」
「はい」
壁に掛かった杖の内の一つを取り上げたルキアが暖炉に近づき軽く叩くと、手品のように炎が起こる。
そこに翳された刻印鏝の先端、魔法陣が徐々に熱を帯びていく様を見守った。
——誰も何も言わない、息が詰まる。
ただ、兄さんの手をぎゅぅっと握っていた。
「……頃合いですね」
先端が真っ赤に焼けた刻印鏝を受け取ったネル先生が、兄さんへと視線を向けた。
「おぉ、やるか」
まるで散歩でも行くかのようなノリでソファから立ち上がると、暖炉のそばへと歩み寄る。
利き手である右の腕を振り、掌を上に向け、暖炉横にある台の上へ乗せた。
「いつでも」
「では」
躊躇なく、白い掌へと押し当てられる刻印鏝。
ジュッという生々しい音と、肉が焼ける臭い。
押し当てられたまま、刻印鏝は離れない。
兄さんの口角が一瞬落ちるのを見た。
怖い、怖くて堪らない。
だけど、目を背けることは絶対に許されない。
喉が鳴る音が、やけに大きく聞こえた。
「——ハハッ! 思ってたより痛ぇわ」
永遠にも感じた時間の終わりは、兄さんのいつもの軽口だった。
弾かれたように近づくと、生々しく赤い火傷ギリギリに触れ≪光癒≫をかける。
大丈夫、指が吹き飛ぶようなことは起きていない。
見ていて痛い濡れた赤は瞬く間に塞がり、安堵したのは一瞬。
掌には誰が見ても分かるほどにくっきりと魔法陣状の傷跡が刻み込まれ、それ以上は≪光癒≫が効かない。
……刻印鏝自体が、傷と認知できない阻害効果のある魔道具ということか。
この時になって初めて、ネル先生が言っていた“傷が残る”の意味を正しく理解した。
光の加護持ちは、自身に≪光癒≫を施せることから、傷を残す者はほとんどいない。
その傷跡は、俺の心に思いの外重く圧し掛かった。
「おー、サンキュ。掌にして正解だったなぁ」
当の本人があっけらかんとしているのが、せめてもの救いだ。
「……兄さん、ごめんね」
「はぁ? 格好ぇじゃん、辛気臭ぇ顔してんじゃねぇよ」
いつも通り頭をくしゃくしゃにされて、何とか気持ちを持ち上げる。
先ほどからずっと口を噤んでいたエビネ様が、心配を滲ませた口調で問いかけた。
「痛みはないのか?」
「全く。テメェの古傷みてぇなもんだろ」
「……そうか」
労わるように兄さんの手に触れていたエビネ様が、そっと傷跡に唇を落とす。……え?
「……何してんだよ」
「え? あ、すまない、つい。——なんでだ?」
手を取り戻して呆れた視線を飛ばす兄さんに、当のエビネ様は心底不思議そうに首を捻っている。おーい。
「……ルナリア、」
耳元で囁かれ顔を上げると、殿下の整った顔のどアップ。
……あ、ちょっと困惑してる?
「エビネは、その……ソルヴァスがいいのだろうか……?」
いや、遅っ! 何これ、なんでみんなこんなに鈍感なの!?
あ、乙女ゲームあるあるだよね! 知ってた!
何と言ったらいいものか、曖昧に微笑むと、どうやら察してくれた模様。
何かを確認するように数度頷くと、もう一度耳元に唇を寄せられた。
「大丈夫だ、君には私がいる」
……顔から火が出るかと思ったよね!
ほら、ネル先生も困って……耳まで真っ赤にして顔を覆った両手の指の隙間からチラッチラッしている姿は、見なかったことにしておく。
「——あの、」
ふと、改まり姿勢を正したネル先生が、兄さんへと向き直る。
その背後に控えるルキアの表情も、ひどく硬い。
「名高きルーチェ様が——卿が、我々加護無しの生み出した英知を受け入れてくれたこと、魔術師を代表し御礼を申し上げます。公式の場での謝意が叶わず、申し訳ありません」
杖を右側につき支えながら、膝を折る——魔術師の最上の礼だ。
その背後で、ルキアも胸に手をあて膝をついた。
そんな魔術師たちの姿に、兄さんは蒼穹の宝石眼を僅かに見開き、そしてしゃがみ込むとネル先生の顔を覗き込んだ。
「おぃ先生、顔上げろや」
「っ! ふぁっ!?」
「うおっ!?」
額を指でぐーっと押され、その場に尻もちをつくネル先生をルキアが慌てて支える。
目をまん丸に見開くネル先生に、兄さんはチェシャ猫のように、にんまりと笑った。
「俺はな、俺のためにアンタらを利用した。で、アンタらも、自分の知識欲のために俺を利用した。俺ら、win-win。オケ?」
……らし過ぎる。
片手で顔を覆うエビネ様に、小さく息を吐く殿下。
そして、海老茶の目を驚愕に見開き、ネル先生と顔を見合わせるルキア。
「……兄さんはさ、もう少し周りへの影響を気にした方がいいと思うよ」
「いや、お前にだけは言われたくねぇよ」
スンッて真顔に戻るの、ずるくない?
ってか、殿下とエビネ様も後ろで頷かないでよ!
「あ、ははっ! あぁ……そっか。魔法師にだって、いろんな人がいるんですものね」
「……いや、コイツらがオカシイんだって。魔塔の魔法師共なんてどいつもこいつも量産型貴族ぢゃん」
「でも、この人たちも貴族だよ」
「……まぁな」
「ね。——僕も、もうちょっと頑張ってみようかな」
「……ま、見限んのはいつでもできるしな」
……ネル先生とルキアも、これが本来の二人なのかもしれない。
なんか、ちょっと空気が緩んじゃったけど、まだこれからが本番なんだよね。
「ステータス」
小さな呟きと共に虚空を見上げた兄さんが、蒼穹の宝石眼を僅かに見開く。
自分以外のステータスは見えないんだよね、もどかしい!
掌を見つめ握りしめた兄さんが、顔を上げる。
「んじゃ、成功したか否か。答え合わせといくかぁ」
ニッと悪童のように笑う兄さんに、空気がピリッと引き締まった。
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