47. 魔法オタクは美貌の兄に敵わない
「な、んでよ? 危険だって言ってるじゃない。魔力に喰われるかもしれないんだよ?」
「それはお前の場合だろ? 詠唱を必要とする俺にとっては有効な手段じゃねぇか」
なぁ? と話を振られたネル先生が、突然駄々を捏ねだした俺に戸惑ったように、慎重に言葉を選ぶ。
「はい、理論上は。詠唱には、魔力を高める効果があります。その過程を省略することができない……察するに、卿はそこまでの莫大な魔力量はお持ちではないのかと」
「おいネル! そいつらお貴族サマッ!」
「っ! し、失礼いたしましたっ!」
背後に控える青年に頭を叩かれ、ネル先生が慌てて頭を下げる。
当の氷結の貴公子は気分を害した様子もなく、鷹揚に片手を振った。
「構わねぇよ、続けてくれ」
「っ!!?」
「……は、はいっ! 詠唱を必要とする、これは変わりません。ただ、魔力に変わる魔法陣をあらかじめ身体に刻み込んでしまうことで魔力量を底上げすることにより、現在は言葉を紡ぐしかない詠唱を、例えば手印等に変えることが可能になるかと」
「……発動時間の短縮が期待できる、か」
「はい、おっしゃる通りです」
思案する素振りを見せる兄さんに、気が気ではない。
「今のはメリットだな。逆は? 失敗して魔力を失いでもしたら、元も子もない」
真っ直ぐ正面を見据える兄さんに、ネル先生はテーブルに人差し指を走らせた。
先ほどから度々見せるそれは、恐らくネル先生が思案する時の癖なのだろう。
複雑なその動きは、魔法陣を描いているようにも見える。
「魔力を失う——は、恐らくありません。先ほどルナリア様にそう言ったのは、ルナリア様の魔力量が既に有り余っている状態だからです。繰り返しになりますが、魔法陣は加護無しが創り出した人工的な魔力と詠唱。つまり、ルナリア様に魔法陣を刻むことは、なみなみと液体の注がれたコップに、更に飲み物を注ぐ行為と同じです。溢れ出せば——……」
チラッと投げられた視線は、すぐに机上へと戻る。
「翻って卿の場合。詠唱を必要とすることから、コップにはまだ飲み物を注ぐだけの余裕があると考えられます。つまり、魔法陣を刻めば、幾ばくかの魔力の増加が見込まれるでしょう。失敗した時は……恐らく、何の変化もないかと。何故なら、光の魔法陣は加護無しでも魔力を扱えるようカタチのない魔力を解析し、無理矢理カタチに落とし込んだものだから。水に氷を入れても、いずれは混ざり合い区別がつかなくなるでしょう? つまるところ、溶け込み混ざり合い、本来の状態へと還るだけです」
「……俺からしたら、メリットしかねぇのが怖ぇな」
背後に立つエビネ様を見上げて、器用に左右非対称に微笑む兄さん。
困ったように微笑むエビネ様は、何か言いたげに唇を震わせ——だけど、何も言わない。
「いえ、大きなデメリットがございます。……故に私も、尊い貴族の魔法師であらせられる卿に、この方法はお勧めできません」
「……なんだ?」
机上から顔を上げたネル先生が、ゆっくり噛み締めるように口を開いた。
「魔法陣をお身体に刻み込むという行為は——文字通りです。杖に魔法陣を刻む際に用いる高温の刻印鏝を使用します。たとえは悪いですが……罪人への焼き印を思っていただいて相違ありません」
そこまで一気に言ったネル先生は、恐る恐る兄さんを窺い見た。
「……罪人に使用する焼き鏝は、神殿でも傷痕が消せません。我々の使用する刻印鏝は、それと全く同じ原理の物。——つまり、一生消えない傷として、お身体に残ることになります。魔法塔の住人にとって——誇りを捨てるに等しい、これ以上にない屈辱です」
絞り出された言葉に、兄さんはその美しい顔のままに頷いた。
「そうか。……それだけか?」
「——え?」
今度は、ネル先生が青年と顔を見合わせる。
「あ、の……お嫌ではないのですか?」
「んなの、嫌に決まってんだろ? どこの世界に痛ぇのが好きな人間がいるんだよ」
「いえ、あの……ま、魔法陣を、紛い物の魔法をお身体に遺すなんて……ふ、不名誉、かと……」
「ハハッ! 魔法塔にはまだそんなくだらねぇ思想の魔法師がいんのか? ウケるわ」
嘲笑いながら舌を出す兄さんは、すっかりいつもの調子を取り戻している。
長い脚を組むと、ソファへと背中を預けた。
「この場合、どこに入れればいい? やっぱ手か?」
「兄さん、本当にやるの?」
「なんだよ、お前だって気になんじゃねーの?」
「それは……だけど」
気にならないと言ったら、嘘になる。
魔法と魔術の合わせ技だなんて、ロマンの結晶! って、自分のことなら思えるのに。
……あぁ俺、今までみんなにこんな思いをさせていたの?
「痛っ!」
いきなり額を弾かれて、顔を上げる。
目の前には、悪童の如き兄さんの笑み。
「目の前に見たこともねぇ魔法書があるとする」
「ふぁ?」
「だけど、読むためには目の前のドラゴンを倒す必要がある。お前は、危険だからと諦められるのか?」
——なんて、酷い。
「——ずるいよ」
一瞬きょとんと、無防備な顔になるのが憎らしい。
「ハハッ!」
頭をぐっちゃぐちゃに掻き回す兄さんに、思いきり抱きついてやった。
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