31. 従者は王女殿下に翻弄される
「お兄様ったら、ルナリアがきているのにどうして私に教えてくださらないのですか! 私だってお二人のことを心配して——まぁ!」
突然開いた扉から姿を現したのは、殿下の妹君の、アイリス王女殿下。
その後ろに、慌てて彼女を止めようとしているエビネ様の姿まで。
14歳の多感なお年頃のレディに見せていいものではない!
慌てて身を起こそうとして失敗し、ソファから転げ落ちる。
「きゃっ!?」
「ルナリア!」
「ルナ、大丈夫か!?」
騎士の身のこなしで俺に向かって駆け寄ってきたエビネ様の前へ、両手を広げた王女殿下が颯爽と立ち塞がる。
「はっ!? いえ、いけませんわエビネ! 馬に蹴られてもよろしいの!?」
ミモザをモチーフにした淡い黄色のドレスがふわりと広がった。
アイリスという名前だけど向日葵を思わせる彼女に、とても似合っている。
「さぁ! お兄様、何をしていらっしゃるの!? 早く既成事実を作るのです! そうすれば、口うるさい古狸共も何も言えませんわ!」
「「ぇ」」
「そうか」
「いや、駄目ですからね!? ってか、せめて俺の目の前ではやめてください! 俺がソルに殺される……っ!」
「え、何それ怖い」
可愛らしく結い上げられた栗色の髪に蜂蜜色の目をした、王位継承権第三位の王女の言葉に、三者三様に軽く取り乱す。
王女殿下のとんでも発言に、うっかり臣下の礼をとることも忘れてしまった。
そんな俺と目が合うと、王女殿下はハッとしたような表情で、恥ずかしそうにコホンと咳払いをした。
「あら、私はなーんにも見ていなくてよ。なーんにも気づいていなくてよ。えぇ、そうですとも」
コロコロと無邪気に微笑んで見せる王女殿下に驚いて殿下を見る。
……と、酷く気まずそうな表情で目をそらされた。
……ああ貴方、何かしくじったんですね?
バレちゃったんですね? そうなんですね!?
エビネ様はそこで笑わない!
当の王女殿下はといえば、淑女の所作で優雅にソファに腰掛け、何食わぬ顔でクッキーをつまんでいる。
あ、そのお茶俺のです……
「あまり兄を責めないでやってくださいな。ルナリアが絡むとお兄様は途端にただ一人の恋する男になってしまうの。ねぇ、それは貴方のせいでもありますのよ?」
鈴を転がすような声音は決して責める口調ではないのに、ぐの音も出ない。
促され、再び座り直した俺の皿に、殿下が手ずから菫の砂糖漬けとマカロンを置いてくれる。
その様子を見て、背後に立ったエビネ様が再び吹き出す気配。
……絶対面白がってるよね。
「私、ままならぬ愛に翻弄されながらも手を離せない二人って大好物ですの。図書館にある恋愛小説は全て網羅いたしましたが、あのシチュエーションを超える物語は今のところありませんわね。あ、でも悲恋は嫌ですわ。やはり恋はハッピーエンドでないと」
歌うように語る王女殿下は、何やらとても生き生きしている。
「あぁ、私もヴェルクロシェット様にお逢いしたい……ねぇルナリア、是非お連れくださいな。先日ソルヴァスにもお伝えしたのに、なかなか叶えてくださらないのよ」
瞳をキラキラさせながらおねだりしてくる姿は可愛い、けれど。
……王女殿下、ヴェルクに会ったことないんだよね。
ヴェルクはまだ王都に来たことがないから、当然なんだけど。
以前、どうしてそんなに逢いたがるのか聞いてみたことがある。
「ルナリアとソルヴァスの弟君でしょう、愛らしいに決まっておりますわ!」
うん、確かに可愛いんだけどさ。
王女殿下……ショタコン?
いや、王女殿下が幼い子供たちをとても大切にしていることは知っているんだよ。
劣悪な環境にある子供たちのために新たな制度を整えたり、院長が私腹を肥やす孤児院に改革の手を入れたり。
……本当に、14歳?
「……善処します」
「頼みましたわよ! ——あら?」
ふと、王女殿下の手が俺の耳朶へと伸びる。
「まぁルナリア、ピアスが壊れていてよ?」
「えっ!?」
慌てて外し、確認すると——確かに。
瞳と同じ色の、一粒石の片耳ピアス。
安定者として王城に通っていた幼い頃に、王女殿下がくださったものなのに。
「申し訳ありません。修理して——」
「いえ、丁度よかったわ。私、ルナリアに似合いそうなとっても素敵なピアスを見つけていてよ。すぐに持ってこさせるわね」
「え、あの、」
「ねぇお兄様! お兄様の分もありますのよ、是非一緒にご覧になって」
王女殿下の言葉に、エビネ様が流れるような動作で廊下に待機する使用人に指示を出すのが見える。
「あの、王女殿下、そんなに何度もいただくわけには……」
この世界において、宝飾品を贈る行為は深い仲を意味することが多い。
両親も、互いの瞳色の石が嵌まるリングをしていた。
王女殿下に欠片もその気がないことは理解っている。
実際、彼女は自身の色味の一切ない、俺の瞳色であるキャンディピンクのピアスをくれた。
……しかしやはり、気は引けるのだ。
チラっと殿下を見やれば、この場が完全に王女殿下のペースになってしまったことがつまらないのか、飲みかけだったティーカップに口をつけている。
……もうすっかり冷めているだろうに。
「……淹れ直してもらいましょうか。王女殿下もご一緒にいかがですか?」
「リリーと。何度も言っておりますのに」
「そういうわけには——」
「構いませんわ。ルナリアとソルヴァスは、ヴェルクロシェット様のお兄さまですもの」
意味深な目配せをされて頭を抱えたい気持ちでいっぱいになりながらも、顔面には貴族の微笑をべったり貼りつけて微笑んでみせた。
だから、なんで面識のないヴェルクが基準なの!?
間もなく掌サイズの小箱を手にしたエビネ様が戻り、王女殿下の指示でそれはそのまま俺の手元へと。
「さぁルナリア、お開けになって。お兄様も、絶対にお気に召しますわ」
自信に満ちたその言葉に、重厚な装飾の箱を慎重に開ける——と。
「わぁ——……綺麗」
「……そうだな」
思わず漏れた感嘆に、隣から覗き込む殿下も頷く。
そこにあったのは、一粒石のピアスの対。
片方はキャンディピンクで、もう片方はブラックスピネルだった。
その色味から、石そのものが良いものであることが分かる。
そして、そこに施されたカッティングの素晴らしさ。
一粒石とは思えない繊細な輝きを放っている。
恐らくは、王族のお抱え職人による一流の仕事。
特に、このスピネル。
何ものにも染まらない、純然たる漆黒——殿下の瞳の色。
「でしょう? そうでしょう?」
俺たちの反応に満足したのか、王女殿下は大変ご満悦だ。
それはそうだろう。
ここまで見事な石を容易く手にできるのは、さすがは王族といったところか。
「ルナリア、よもや受け取れないなんて言いませんわよね? ここは私の顔を立ててくださらないと」
「ぅ……」
いや、今までつけていたものよりも数段ランクが上の代物だ。
しかし、ここまで瞳の色に合わせてくれたとなると……
「あぁ、有り難く受け取らせてもらおう」
逡巡する俺をよそに、何の躊躇もなく小箱に手を伸ばす殿下。
こういうところは、やっぱり王族なのだなぁと実感する。
取りやすいように小箱を差し出すと、迷いなく手にしたのは——何故か、キャンディピンク。
「……え?」
「あらあら」
「っ、ふっ!」
つけていたピアスを無造作に取り外し、そのホールにさっさと収めてしまった。
王女殿下はその様子に頬を赤らめながら喜色を滲ませ、エビネ様は……笑ってるのバレバレですからね!
褐色の肌にキャンディピンクは、意外なほどよく馴染んでいる。
……って、違うだろ俺っ!
「で、殿下、その……お色が、」
「君も」
スピネルを手にすると、その指を俺の耳朶へと這わせる。
器用な指先は、手早くホールへと押し込んでしまった。
「……あぁ——いいな」
「っ!」
……そこで微笑うかなぁ!?
普段は髪に隠れて見えない俺の耳を、掻き上げ見つめる目尻の微かな皺。
口角だって極々僅かに上がっただけ。
——でも、微笑んでる。
いや、この人の場合——これは破顔だ。
俺が自分の色を纏ったことに喜び、浮かれている。
それが分かってしまうから、堪らない。
王女殿下もエビネ様もいるのに……ちゃんと、諌めないといけないのに——……
「……似合い、ますか……?」
「あぁ、よく似合っている。この色を纏うことを許されるのは——唯一、君だけだ」
「っ!」
ヤバイ、顔が熱い。
そうだこの人、言葉だけはやたら直球な人なんだった——!
好感度が上がった終盤、無表情に甘ったるい言葉をかけてくれるスチルを思い出す。
そう、異常に高い壁さえ突破してしまえば、あとはなし崩しに甘いのがこの人。
耳朶を甘くくすぐり続けていた指先が頬を撫で、そのまま唇へ——……
「ルナリア……私の——」
吸い寄せられるように唇が触れ——る、寸前。
「殿下、それ以上はお二人だけの時にお願いいたしますね」
「あぁん! エビネ、どうしてあと少しが待てませんの!? めっ! ですわっ!」
——しまった、他に人いるんだった——!
我に返って、慌てて殿下から距離をとる。
なんか寂しそうな顔をされたけど、それはそれ。
顔から火が出そう、ヤバすぎ!
公開チューする趣味なんてないからね!
「あ、お、王女殿下のお茶の用意をお願いしないといけませんでしたね——っ!」
取り繕った感アリアリだけど、ここは仕方ないでしょ?
テーブル上のベルを取り上げ、なんとか取り戻した貴族の仮面を被り直す。
「申し訳ありません、今すぐに」
「……ねぇ、ルナリア」
えい、と。
王女殿下の白い指先が、俺の首筋を指す。
「先にこの痕を隠した方がよくってよ?」
俺の手から滑り落ちた重いベルが、毛足の長いカーペットに、もふっと埋まった。
.




