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30. 従者は王太子殿下と……



「……少し疲れたな」

「そうですね、休憩にしましょうか」


 深く沈み込んでいた意識が殿下の呟きを拾い、急浮上する。


 執務机に置いてある、小振りな見た目に反し、ずしりと重いベルを鳴らす。

 廊下に控えていたのだろう数名のメイドたちが入室し、ティーセットとお茶菓子をテーブルへと美しくセットした。


 と、殿下が片手を小さく上げる。

 控えていたメイドとエビネ様が、素早く部屋を辞していく。


 ……あっという間に、二人きりになってしまった。

 扉を閉める直前に、エビネ様から向けられた意味深な笑み。


 ……え、何なの怖い。



 向かいにいた殿下が、俺を探り見ながらゆっくりと立ち上がる。

 そして、俺の座るソファの隣に座りなおした。


 身体が密着する距離に、心臓が跳ねる。

 膝に置いていた手に、殿下の手が遠慮がちに触れた。



 ——あたたかい。



 それは、新鮮な感動だった。




「……ルナリア?」

「っ、はい!? ……ぁ、」



 ……名を呼ばれて、初めて自分のやらかしに気づく。


 今までの俺なら、手を触れられるどころか、隣に座られた時点で席を立っていた。

 それぐらい、徹底して線引きをしていたのに——!




「あ、えと、」



 包み込まれた手の、指先が絡まる。

 ……すごい、触れてる。

 俺、推しに——好きな人に、触れてる。



 転生脳をもってしても、どうしたらいいのか分からないシチュエーション。

 ——いや逆? この場合、転生脳のせいでおかしなことになってる。


 今更振り払うなんてできなくて、困り果てて殿下を見る。

 すると、殿下もその無表情に目いっぱいの動揺を浮かべていた。


 隙間なく重なり合った掌には汗が滲み、絡め合った指先が震える。

 何かを確認するかのように、殿下の指先に力が籠もった。

 漆黒の瞳から、目が離せない。

 心臓が狂ったように鼓動し、胸が痛いほど。





「……いいのか?」




 掠れた声で、殿下が呟く。

 切実な声音。

 こんなにも求められているという事実に、身体中が歓喜する。


 何か気の利いた言葉の一つも返したかったのに、喉の奥が詰まって。

 頷くだけが精一杯になってしまった。

 ……ヘタレかよ。




「……よかった。……君から返事がこない間、不安で仕方がなかった」




 大丈夫です、分かってます。

 あれだけ鳩飛ばしまくってたわけですからね……



「……私は、君がいないと駄目なんだ」

「殿下、そのようなことを口にすべきでは……」



 ここは、従者として諫めなければならないところ。



「今は二人きりだ」




 ……ずるいなぁ。

 目元を緩めた殿下が、俺の肩口に甘えるように頭を預けてくる。

 こんなの、幼い時以来だ。

 そうだ……安定者だった頃は、こうやって素直に触れ合っていたんだっけ。


 互いの立場とか、しがらみとか関係なく、無邪気なままで。



「……ルナリア」



 きゅっと繋いだ手に力を籠められ、意識を浮上させる。

 どうも俺には深く物思いに耽ってしまう癖があるようだ。



「あ……申し訳ありません、殿下。そろそろ執務を再開しましょうか」

「口づけていいだろうか」

「ふぇ?」



 

 間抜けな声に、殿下が可愛いと吹き出す。




「で、殿下が突然変なことをおっしゃるから!」

「大事なことだ」



 腕を引かれ、殿下の胸へと飛び込む形で倒れ込む。

 細身に見えるけれど、存外胸板は厚い。

 体温、鼓動、匂い……あぁ、俺、もうここでキュン死しちゃいそうだよ。




「君を欲して、その日から会うことさえ許されなくなって……私がこのひと月、どんな気持ちでいたと思う?」

「……ぁ」

「あの時君に想いなど告げなければよかった。胸の奥底に秘めたまま、この先も共にあることを選ぶべきだったと……何度も思った」



 血を吐くような胸の内を吐露され、堪らずに殿下の唇を掌で塞ぐ。

 その掌に口づけられた感触。

 驚き思わず手を引っ込めると、肩を押されそのままソファに押し倒される。

 折り重なったことで知る、殿下の重み。



「……いっそのこと——あのまま閉じ込めてしまえばよかったと、どんなに悔いたか」

「だ、だめです、そんなの……」


 震える声音と共に落ちてくる唇から、なけなしの理性を掻き集めて顔を背ける。

 殿下の唇はそのまま俺の耳朶を喰み、露わになった首筋を吸った。


「っ!?」


 シャツの裾からそっと入り込んできた手に、触れられた肌が粟立つ。

 耳元で何度も囁かれる自分の名前の甘さに、胸を締めつけられる。

 第一王子殿下の時はただムカついただけだったのに、こうも違うなんて。




「で、んか……」




 甘ったるい雰囲気に、頭をやられてしまう。

 その広い背に、思わず腕を回そうとした——瞬間。




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