28. 従者は第一王子殿下に絡まれる
正面から、鮮やかなスカイブルーの髪がこちらに近づいてくる。
内心でげんなりしながら、廊下の壁に背をつけるほど隅へ寄った。
限界まで気配を殺しながら他者に混ざり浅く頭を下げ自分の前を通り過ぎるのを待った——のに。
わざわざ俺の目の前で足を止めると、無作法にも頭を撫で始める始末だ。
髪に指先を絡め遊ぶから、登城に相応しく整えてきた髪が乱れる。
「天恵の君にご挨拶を申し上げます」
「まさかお前に会えるなんてついているよ。なんだ……ソルヴァスは一緒じゃないのか?」
「はい。本日は私だけです」
「それは残念だなぁ、久々にあの顔を見たいものだ」
頭を上げることも許さないまま話しかけてくるなんて、意地の悪いこの人らしい。
ってか、この人にしても現王にしても、兄さんの顔面好きすぎるんだよね?
確かに、弟の俺から見ても綺麗だけどさ。
あの容姿と、権力を前に決して膝を折らない内面を酷く気に入られている気があるんだよね……
髪を撫でていた指先が耳を辿り頬を撫で唇を嬲ると顎にかかり、そのまま上を向かされる。
晴天の髪に映える太陽の如き金色の瞳が、貴族の仮面を貼りつけた俺を映す。
青空を体現したかのような人なのに二つ名が天恵だなんて、口にする度に違和感がある。
……まぁ、王族の二つ名は大抵その加護にまつわるものからつけられるから、仕方がないんだけどね。
「お前もだ、ルナリア。愚弟の元には足繁く通うのに、僕には顔も見せやしない。お前たちは……いや、ルーチェの人間は揃いも揃って、本当に可愛くないな」
言葉とは裏腹に、声音はお気に入りの玩具で遊ぶ好奇心で満ちている。
第一王子にして王位継承権第二位、ハイドレイン・ユグドラシル。
確か今年で27歳のはずだ。
民意を得やすい水の加護持ちということもあり、その人気は今も盤石。
母親が側妃でさえなければ、王位を受け継ぐのはこの人が硬いとされていた。
実際、年の離れた腹違いの弟の誕生までは、王太子として教育されていたという過去を持つ。
しかし、その座をあっさりと奪い取った弟を、恨んでいるのかと思えばそのような様子もなく……
——腹の底が見えない人だと思う。
「辺境伯令息如き私めが第一王子殿下にご挨拶など恐れ多、んっ」
「あはは! 心にもないくせによく回る舌だ」
ぐっと指先が口内に入り、舌を摘まれる。
……ああ、なるほど。これで“可愛い反応”とやらを引き出せると思ってるんだ?
無礼が過ぎる主人の振る舞いに、背後に控える側近の顔が引き攣るのが見えた。
が、止めに入ることはない……いや、できないのだろう。
自分の主人を諌めることもできないのか——王都で威張り散らしている高位貴族の嫡男が情けないことだ。
「なぁルナリア、僕は結構お前たちを買っているんだよ? 正直な話、僕は周りの古狸共が言うほどには、光の加護持ちに必要性を感じてはいないんだけどね」
舌は解放されたものの、二本の長い指はしゃぶることを強要するかのように突っ込まれたまま。
腹の底が見えない男は、その顔に柔和な笑みを浮かべながら、人の口内をぐちゃぐちゃと弄ぶ。
「ルーチェの人間は面白いよね。揃いも揃って僕ら王家との繋がりを疎んじて、爵位にさえ執着しない。……なぁ、考えられる? お前たちは毎日僕の顔色を窺って生きているのにね?」
突然話を振られた背後の側近が、直立不動で顔を強張らせた。
……よくそんなんでこの人の側近が務まるな。
「いやいや、責めてないよ。それが普通だからさ」
垂れ目の優男は、にっこりと笑んだ。
「……でも、一匹くらいは毛色が違うものも手元に置いておきたくなるのが人間ってものだろう? ソルヴァスと系統は違うけど、お前の見目もまぁいいし。それに、頭だって悪くない。生意気なことを言うが、それを啼かせるのもなかなか愉しいと思わないか? ……ほらルナリア、何か言わないと本当に僕の物に——っ!?」
機嫌よく笑っていた第一王子が突然手を引っ込めると、濡れた指を見つめた。
くっきり残る赤い歯型に眉をひそめる。
すかさずその指先にハンカチを押し当てると同時に≪光癒≫。
ハンカチを取り去れば——あら不思議。そこには傷跡一つない指先が!
「お誘いいただき恐悦至極に存じますが、私めは既に王太子殿下に仕える身。身も心も全て尊き方のもの故、私めが第一王子殿下にお答えすることは叶いません。何卒、ご容赦を」
恭しく臣下の礼をとれば、頭上でふはっ! と、心底愉しくて堪らないといった笑い声が響いた。
「アハハ! 噛むほど嫌ってこと? 傷つくなぁ」
「そんな恐れ多い……私には何のことだか」
にっこりと微笑んでつけ加えてやると、一瞬きょとんとした第一王子殿下がますます愉し気に笑う。
「いいよルナリア、すごくいい。愚弟に愛想が尽きたらいつでもおいで、可愛がってあげる」
ぐっと距離を詰められいわゆる壁ドン体勢に持ち込まれ、僕はあっちも最高だからね、と、耳元で囁かれる。
——この野郎。
「第一王子殿下——」
唇を耳元に寄せ、カルミアを意識した甘い声で囁くと、その腕の内からすり抜ける。
「それでは、私はそろそろ——」
「ルナリア、ここにいたのか」
約ひと月振りの、抑揚のない声。
聞いた瞬間、胸の奥が静かに落ち着く。
条件反射で振り向けば——やはり、我が君。
短く整えられた黒髪に褐色の肌、精悍な顔立ち。
どこまでも深く底の知れないブラックスピネルの瞳は、この国において彼が唯一とされる。
いつ見ても、とても美しいと思う。
「王太子殿下、申し訳ありません。あの……」
迎えに来てくれたのだろう、こちらに近づいてくる主の姿に、慌てて駆け寄る。
周囲の状況からいつものように第一王子殿下に絡まれていたのは、察してもらえたようだ。
王太子殿下の後ろには王太子付騎士の姿もある。
第一王子殿下の姿を視界に捉えたのだろう、俺へ視線を向け、ほんの僅かに頷いてくれる。
近づいてきた王太子殿下が自然な仕草で、第一王子殿下から隠すように俺の隣に立つ。
「ハイドレイン、私の従者に絡むのは程々にしてくれ」
いつもならここでも絡みだす第一王子殿下が、酷くぎこちない仕草でこちらを振り向いた。
今日初めて見せる呆然とした表情の第一王子殿下の唇が、マジで? と声なく動く。
そんな第一王子殿下を無表情に一瞥すると、元来た道を引き返す王太子殿下に続く。
「は、ハイドレイン様、私たちもそろそろ……」
結局、終始傍観者に徹していた側近に後は任せて、さっさとお暇させていただく。
……その側近、変えた方がいいと思いますよ。
「君は、アレに何かしたのか?」
「我が君はサイズとテクニックだけではございません、とお答えしただけです」
殿下は幼い頃からひたむきに努力を重ねて今の立場を築き上げたというのに?
なんでもかんでもそっち方向に持っていくなんて失礼な話だ。
全く、腹立たしくてならない。
そんな俺を、殿下も王太子付騎士も、何故か目を泳がせながら見ている。
「俺は、殿下がもっと尊い御方だと知っていますから」
「——そうか」
では、努力しよう。と、重々しく頷く王太子殿下に、王太子付騎士が肩を震わせながら咳ばらいをした。
……んん?
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