閑話. ソルヴァス・ルーチェ
俺が次期当主を言い渡されたのは、5歳の時だった。
内部向けの公表とはいえ、早すぎる。
王国法で次期当主指名時期が定められていないとはいえ、歴代ルーチェにおいても相当だと思う。
……が、父の代であった公にできないレベルのお家騒動を鑑みれば——異を唱える者があるはずもなく。
当主の決定に、屋敷内は厳かな空気に包まれながらも、皆祝福してくれた。
家令のセバスチャンだけでなく、王都のタウンハウスにいるアルフレッドまで駆けつけてくれたのは、純粋に嬉しかった。
特に——2歳年下の弟の喜びようと言ったら。
「おれ、まほうもっともっといっぱいがんばる! だから、にいさんのみぎうでにしてね! ぜったいにやくそくだよ!」
キャンディピンクの宝石眼を一層輝かせながら差し出された小指。
絡め合う俺たちの姿を、父上は目を細めて見つめていたっけ。
女の子みたいに小さくて可愛い、護るべき弟——が、とんでもないやらかし体質だったなんて。
この時はまだ、誰も知る由もなかった……
◇◇◇
「兄さん、兄さん! 俺、面白いことに気づいたよ!」
にこにこと楽しそうに懐いてくる弟は……まぁ、可愛いと思わないでもない。
ちょいちょいやらかしがちではあるが、勤勉さと探究心からくるものではあるし……うん。
読んでいた本を横に置き、俺を見つめるキャンディピンクに向き直る。
「……何だよ、また魔法か?」
「ふふっ、そうだよ!」
ルナはこうして、いろいろと思いついては試して——を繰り返している。
くすっと笑って終わるものから、魔塔の魔法師に情報提供したら研究対象になりそうな本格的なものまで、本当にいろいろ。
——さて、今回はどっちだ?
「あのね、怪我をしたら≪光癒≫をかけるでしょ?」
「おぉ」
今回は回復魔法か。
「裂傷の場合、“傷口を塞ぐ”イメージより、“傷口の縫合”をイメージした方が、綺麗に治せます!」
「……は?」
言っている意味が分からない。
イメージ?
「えぇと、“漠然と”治るイメージよりも、“傷の回復過程を詳細に”思い描いた方が≪光癒≫の効果が上がるっていうか——……そうだ!」
ささっとデスクに駆け寄り、何やらごそごそと引き出しをあさる。
「実際に見た方が分かりやすいよね!」
にこにこと微笑む小さな手には、大ぶりなナイフが握られている。
止める暇もなかった。
スパッ! と、その細く白い腕へ勢いよく刃を走らせる。
柘榴のようにパックリと割れた腕からどくどくと勢いよく血があふれ出し、あっという間に真っ赤に染まった。
「はぁ!? ちょ、おまっ!?」
「大丈夫! まずは“傷を塞ぐ”イメージで、≪光癒≫——……ほら。傷は塞がったけど、跡が残ってるでしょ? ……んと、ちょっと見えにくいね」
シャツで無造作にごしごしと血を拭う。
完全には拭き取れないながらも、白い肌にミミズが這ったかのような一筋の肉の盛り上がりが見て取れた。
「次は、“傷口の縫合”をイメージしながら! 出血に関してはさっき修復しちゃったからもう必要ないけど——……あれ、もしかしたらこれも、断ち切った血管を繋ぐイメージをした方がもっと速く止血できるのかな? 確認しないとだね。——あ、脱線しちゃったね。えっと、まずは傷の深いところを寄せて、それから表皮を閉じるイメージ——……っと。こんなカンジかな?」
みるみる内に傷跡が肌に馴染んでいき、あっという間に元の滑らかな肌へと戻った。
腕に赤黒い血液さえこびりついていなければ、先ほどまでこの腕に傷があったなど信じられない。
……これは、すごい方のやつかもしれない。
ルナを見れば、期待に目をキラキラさせて俺を見つめている。
「……すごいな、驚いた」
「面白いでしょ!?」
「え、あ、あぁ……面白い」
「でしょ? ふふっ!」
俺の称賛に嬉しくて堪らないといった風に微笑む。
……いやこれ、面白いなんてもんじゃない。
“イメージ”なんて簡単に言うけど、誰もができるもんじゃねぇ。
下手したらこいつ——神殿で一生囲われちまうレベルで、ヤバイ。
……そうだコイツ、前科持ちじゃん。
あの時も、父上が全力で揉み消したんだった——……
◇◇◇
討伐現場に駆けつけた時には、そのむごたらしさに、既に手遅れだと悟った。
「仲間はどこ行ったんだよ!? 前衛が単独で入るわけねーだろ!?」
「知らねぇよ……どーせ碌でもない連中なんだろ、可哀想に」
「大方、功績に目がくらんで無茶しやがったんだ。ルーチェを甘く見たツケだよなぁ……」
辛辣な言葉を口にしながらも、その眼差しは酷く痛ましげだ。
いつもは軽快な軽口を叩き合う粗野で気のいい連中だが……こんな時、彼らが常に死と隣り合わせに生きる傭兵たちなのだと実感する。
「せっかく来てもらったのに悪かったな、大旦那様」
頭を下げる傭兵たちに、父上は小さく首を振った。
「……いや。他の怪我人は」
「あぁ、あっちに転がってらぁ。擦り傷だ、死にゃしねーよ」
「お前、他人事だからって!」
ケラケラと明るく振る舞う傭兵たちが父上を案内するために立ち去ると、そこに仰向けに横たわる傭兵の惨状が視界に飛び込んできた。
手足を毟り取られ、胴からは内臓が飛び出している。
両目は虚ろに見開かれたまま、天を見つめていた。
——如何に光魔法が治癒に優れていようと、死者を蘇らせることはできない——
繰り返し説き伏せられた教えが、頭を過った。
無力だ——何が、聖女の末裔だ。
「若様、ルナ坊も……この子はオレらに任せとけ」
「そうだぞ。ガキがそんな顔するもんじゃねぇ!」
……気を遣わせてしまうザマだ。
不意に、隣で立ち尽くしていたルナがふらっと前へ歩み出ると、横たわる傭兵に寄り添うように膝を折った。
祈りでも捧げるのかと思った、その瞬間。
「なっ!?」
「おい、ルナ坊っ!!?」
「何やって——!!?」
ラメのような光の粒子が血塗れの傭兵の身体に吸い込まれていく。
欠損したはずの手足の骨が伸び、肉を纏う。
はみ出ていた内臓を手早く腹へと押し込む姿に、百戦錬磨の傭兵たちでさえ動揺が隠せない。
「……え? ……あ、私、どうして……?」
先ほどまで壊れた蝋人形のようだった傭兵が、起き上がる。
「な……んて、こった……」
「生き返った……生き返らせたのか……?」
「……聖女、様……?」
「聖女様だ……」
ぐらりと、ルナの身体が傾いた。
そのままどさりと地面に倒れ、ピクリとも動かない。
「っあぁ!!? ルナっ!!? おいルナ!! しっかりしろ、ルナ!! ルナリア!!!!」
揺さぶった身体はぐにゃりと力なく、顔面は血の気が失せ蒼白だった。
ルナの上体を起こし、もつれる舌を必死で動かす。
「“光よ、彼のものを癒せ≪光癒≫”」
あぁ、詠唱が煩わしい! 一刻を争うのに、早く、早く——!
あふれ出た光の粒子は、しかし一瞬にしてルナの小さな身体の中へと消え失せる。
ルナの様子は変わらず、呼吸は弱くぐったりとしたまま。
どうして……?
「何だ? どうした?」
「ルナ坊!? え、おい、何があった!!?」
「分かんねぇよ! おい誰か、大旦那様呼んで来い!!」
「大旦那様!! こっちだ、ルナ坊が——!!」
騒ぎ出す傭兵たちの声が遠い。
こわい、こわい——こわい。
「“光よ、彼のものを癒せ≪光癒≫”、“光よ、彼のものを癒せ≪光癒≫”……“光よ、彼のものを——」
一度唱えるごとに気怠くなる身体を叱咤した。
痛い? 苦しい? それがなんだ。
……頼む、俺の弟を助けてくれ——……!!
駆けつけた父上に問われるがまま、見たままを説明した記憶がある。
状況と容態から、ルナは急性魔力枯渇によるショック状態と判断された。
死者を生き返らせることは禁忌だと理解していたのに、どうして——……!!?
一命を取り留めた傭兵は、地に額を打ちつけながら父上に詫びた。
腕に自信のある者が寄り集まっただけのパーティーではあったが、王都では多少名が知れていたのだという。
天狗になっていたのだと。
ルーチェでの討伐など、まだとても斡旋できるレベルに値しないとギルドで袖にされ、剥きになったのだと。
結果、ルーチェ領に入るなり魔物の群れに襲われ、パーティーは壊滅状態に。
前衛を担っていた彼女を囮として置き去りにし、残りのメンバーは逃げおおせたそうだ。
罰してくれと乞う彼女に、息子が救った命だと父上は言った。
その言葉に、彼女は泣いた。
怒りもあった。
不安もあった。
だけど、憐れみもあった。
ぐちゃぐちゃに絡まったやり場のない感情を、飲み込めと父上は言った。
ルナの昏睡状態は続いた。生きた心地がしなかった。
5日後、目覚めておはようと微笑むルナに、初めて聖女様に感謝した。
彼女はその後も、ルーチェ領に留まった。
あの日救われた命に報いるように、ひたむきに領地へ尽くした。
ルナが目覚めて初めて顔を合わせた時は大変だった。
人目も憚らずスライディング土下座をかまし、子供のように泣きじゃくりながら謝罪と感謝を繰り返す姿に、周囲の傭兵たちが苦笑いしていたっけ。
当のルナが、「元気になってよかったです!」なんて嬉しそうに笑うもんだから、余計に泣いてた。
今では若手の育成を担うまでになり、領民からの信頼も厚い。
……そういえば、この春には子が生まれるんだったか。
「いいかルナリア。如何にお前の魔法が治癒に優れていようと、死者を蘇らせることはできない。これは絶対、この世の理だ。もう二度と、このようなことはしてはいけない。分かったね?」
目覚めたルナはすっかり体力が落ち、ベッドの人となっていた。
その端に腰をかけ、父上は言い聞かせるように紡いだ。
上体を起こしたルナは、不思議そうに、だけどしっかりと頷く。
「はい、父さん。俺、ちゃんと知っています」
神妙な表情のルナに、父上が僅かに動揺を滲ませ尋ねた。
「そうかい? でも、ルナリアは、あの傭兵を助けただろう?」
ルナは、きょとんと首を傾げた。
「え? だってあの傭兵さん、生きてましたよ?」
「……え?」
手足を失い、内臓を散らばし、血塗れで焦点を失っていた姿が、脳裏を過る。
「ちゃんと心臓が動いてました。だから、まだ間に合うって思ったんです」
絶句する父上を見たのは、この時が初めてだ。
うふふ、と、ルナは可愛らしく微笑む。
「ね、兄さん。あの人、間に合ってよかったですね」
圧倒的な魔力と、その慈悲深さ。
……あぁ父上、ルナの方が何倍も領主たる器なのではないでしょうか。
俺の視線に気づいたのだろうか。
父上は、俺の肩をぐっと掴んで——一言、力なく言った。
苦労をかける、と。
◇◇◇
「あ! ついでに血管の修復速度も試してみ——」
「やめろ!! 自分で試すな!!」
にこにこと傍らのナイフに手を伸ばすルナからそれを奪うと、手の届かない遠くへと放る。
ナイフに近づけないよう小さな身体を羽交い締めにすることも忘れない。
「え? でも実際に試さないと分かんないよ!?」
「駄目だ! 絶対に!」
納得がいかないといった表情で腕の中を藻掻くルナに、奥の手を使う。
「セバス!!!!」
「あっ!? 兄さんそれはずるいです!」
「はい、ソルヴァス様お呼びで——おや、喧嘩でございますか? ——おや? これは——……」
呼ばれて部屋に入ったら主人の幼い息子たちが揉み合っている微笑ましい光景——と思ったら、小さい方は片腕を血塗れにしているのだから、固まるのも無理はない。
「ルナリア坊ちゃま——またご自身のお身体で実験をなさいましたね? もうしてはいけないと、旦那様も奥様もあれほど――」
「違うのセバス! これは実験じゃなくて、成果を兄さんに見せたくて!」
「おや――? 成果ということは、既に実験なさった後ではありませんか——……?」
「あ! いや、違くて、その……」
さすがはセバス。足元に転がるナイフを素早く拾い上げると、理路整然と言葉攻めに突入する。
こうなってしまえば、主人の嫡男と使用人の関係図なんてない。
……いや、ルーチェは元からそういった概念が薄いのだけど。
怒涛の正論にしょんぼりするルナの姿に、やはり次期当主には俺が納まり、ある程度、目の届くところに弟を置いておかねばと、決意を新たにする。
「——お願い! あとちょっとだけ見逃して——!」
「いい加減にしろ、この魔法バカがっ!!」
……父上、本当に苦労しそうです。
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