10. 双子の兄は癖強母とお茶をする
「あぁもう、王都のお貴族サマって本当に面倒だわぁ。ねぇ、どうして辺境にいる私の元に王都で開催するくだらないお茶会の招待状をわざわざ寄越してくるのかしら? これってこのためだけに遠路はるばる王都まで足を運べってこと? 旧知の仲ならともかく、パーティーでご挨拶もしたことのない侯爵夫人のために、この私が?」
聖地巡礼再開早々、庭園散策中にうっかり出くわした母さんとのティータイム……という名の、愚痴につき合わされていた。
切れ長の目にアンニュイな影を落とす長い睫毛と薄い唇。
腰まである癖のない艶やかな黒髪をざっくりと一つに纏め上げ、露わになった白いうなじが艶めかしい。
シンプルでタイトなデザインのドレスには深いスリット。
太腿の際どい部分までが時折覗き、目のやり場に困る。
「先日王都にいらっしゃった際、父さんと母さんが仲睦まじげに腕を組んで王都を闊歩したからではないですか?」
「あら、よく知ってるじゃない。旦那様のお仕事の付き添いですもの、別に遊んでいたわけではなくてよ?」
……そうだろうか?
ついでにちょっと街ぶらデートをしたに違いない。
「“平民の服に毛が生えた程度の野暮ったいドレスしか売らない”と、閑古鳥の鳴いていたブティックで数点お買い上げになられたそうで」
「あら、そうだったの? 確かに流行から外れたシンプルなデザインではあったけれど、丁寧な仕事で質も良かったわよ? 私、ああいう流行に媚びない職人精神って好きだわぁ。今度王都に行く機会があったら、また見に行こうかしら」
「行かれましても店頭には連日長蛇の列で、一帯がとんでもないことになっていると思いますよ」
「あら。……私、やらかしたのかしら」
「ええ。また、やらかしましたね」
久々の王都のせいか、自身のファッションリーダーとしての影響力を失念していたのだろう。
母さんの着たドレス、身に着けたジュエリー、髪型、メイク……これら全てがそのシーズンに流行すると言ってもいい。
今着用している、この深いスリット入りのドレスだってそう。
初めてそれを目にした婦人たちはこぞって破廉恥だの娼婦のようだの目を吊り上げていたくせに、瞬く間にそれを取り入れた。
なんでも、セクシーで脚長効果があるんだとか。
だったら最初から素直に「わぁ素敵!」って受け入れた方が、お互いに気持ちよさそうなものだけどね。
ご夫人たちの御心は複雑すぎて理解できないや。
目の前でマナーなんぞくらえといった態度で長い脚を組み紅茶を啜るその姿からは想像もできないが、辺境伯夫人モードの彼女は贔屓目なしに美しいと思う。
一夜にして有名店舗の仲間入りを果たしたかのブティックには、ここを踏ん張って欲しいものだ。
「そもそも王都では黒髪と銀髪なだけで目立つんですよ。ルーチェの人間を見慣れている領地とは違いますからね」
「『髪色は加護の属性を現し、光の銀髪と闇の黒髪は極稀である』でしょ。あぁ嫌だわ、お勉強嫌いな私に教本を思い出させないで頂戴。私も加護無しとして生まれたかったわぁ」
加護無し、つまりは魔力を持たないもの、という意味だ。
貴族はなんらかの加護持ちであるこの世界において、加護無しは平民を指す。
彼女の場合、侮蔑の意味で言っているのではなく、その髪色を羨んでいるのだろう。
加護無しは皆、砂色の髪をしているから。
うんざりしたような表情で、ネイルを施した艶やかな長い爪でフィナンシェを摘み上げる。
そのまま大口でかぶりつく母さんを笑うと、もう一つ摘まみ上げたフィナンシェを俺の皿へと放って寄越した。
一口頬張ると、しっとりとした生地にアーモンドとたっぷりの焦がしバターの香ばしさが口の中に広がる。
「お茶会は参加されるんですか?」
「んー、まぁ最低限はね? 旦那様にもご相談してから決めるわ」
一応辺境伯夫人として働く気はあるらしい。
貴族の義務ではなく、愛する旦那様のためではあるところがこの人らしいが。
王都嫌いの彼女を動かすのだから、愛の力は偉大だ。
「“光のルーチェ”と縁を持ちたがる家門は多いですからね。駄目元でお誘いして、受けてもらえればラッキーってところじゃないですか?」
「私のこと、呪われた黒髪の闇の加護持ちって馬鹿にした女からも招待状がきてるのよ? どこに嫁いだかさえ知らなかったわよ。行ってお茶でもぶっかけてやろうかしら」
「おつき合いしますよ」
結構本気で言ったのに、笑って流された。
光と闇は血統と関係なしに誕生する、突然変異。
光はその誕生を一族総出で喜ばれるが、闇は違う。
一昔前は血縁にさえ迫害されたという闇の加護持ち。
そういった思想が薄れてきたとはいえ、一度深く根づいたものが完全になくなるまでには、まだまだ時間を要する。
光の名門に嫁いだことで、そういった目に遭うことは激減したとは言うが、母さんとて例外ではない。
実際、彼女は嫁いでから、ただの一度も実家と通じていないのだ。
「私の家族はルーチェだけ」と言い切るだけの過去があるのだろう。
彼女は決して、それを語らなかった。
「闇の加護持ちと言えば……アンタ、王太子とはどうなの? 仲良くしてる?」
「は、い。……よくしていただいていますよ」
「安定者の話がきた時に、そのまま従者に抱え込むつもりだろうと思ってはいたけれど。本当にそうなったものねぇ」
母さんの言葉に相槌を打ちながら、ふと当時を思い出す。
今でこそ俺は王太子付従者だが、その前は彼の安定者だった。
闇の加護持ちは総じて、生まれながらに魔力量が多い。
魔力制御能力が未熟な幼少期は暴発を起こさぬよう、定期的に反対の性質を持つ光の魔力を通わせることで余剰分の魔力を相殺する必要があった。
光の魔力を通わせる……つまりは、対象者と同年代の光の加護持ち=安定者が必要ということだ。
厳密に言えば同年代であることがマストではないが、より安全に安定させるためにはベターなんだとか。
現王と正妃の間に生まれた長子である王太子は、闇の加護持ちだった。
王家が王太子の安定者をと、高位貴族の子女を探した結果、白羽の矢が立ったのが俺たち双子だった。
王家と馴れ合うことをしない辺境のルーチェとはいえ、救える幼い子供が苦しんでいると知ってしまえば、無下にすることも寝覚めが悪く。
しかし、安定者を引き受けるとなれば、定期的に王城に通う必要があった。
たかだか5歳の子供がほぼ毎月、馬車で半月かけて往復移動を繰り返すのは、なかなかの苦行。
思えば、あの時もカルミアは自分が安定者を引き受けるアピールをしていたが、如何せん当時のカルミアは椅子に座っていることもできないお転婆娘だった。
……それは今もかな。
なので、消去法で俺が選ばれた、という訳。
年齢のわりに魔力コントロールが上手かったという理由もあるけどね。
我が子を次期王にと野心を抱く正妃は、女児であるカルミアを望んだようだけれど。
ルーチェとしても、そこは了としなかった。
ほら、体調不良者にサラマンダーを送り込むわけにいかないでしょ?
それにしても、わざわざ辺境に打診せずとも王都の神殿には光の加護持ちの一人や二人、いるはずなのに。
何かにつけて光のルーチェとの縁を欲しがる王家には、ほとほとうんざりする。
「もうかれこれ10年になるのかしら。……ねぇ、」
「はい?」
声を潜め手招きする母さんに合わせ、顔を近づける。
「アンタはこのまま、あの子の愛人に納まるの?」
「っな!? 何を言って!」
思わず立ち上がる俺に、当の母さんは涼しい顔だ。
「あら、まだ何もしてないの? あの子、意外と理性的なのね」
……何もって、何!?
澄ました顔でとんでもないことを言う。
慌てて、でもそれを悟られないように座り直す。
ケーキスタンドから菫の砂糖漬けを摘み、口へと運んだ。
甘さが口内を満たし、花の香が鼻を抜ける。
馴染みの甘さに、いつものペースを取り戻した。
「……俺はただの従者に過ぎません。俺と殿下はそんな関係じゃ」
「アンタはともかく、あの子はずっと前からそんな関係になることを求めているじゃない」
平静を装って持ち上げたティーカップが、僅かに音を立てた。
「どうして、そんな……」
口ごもる俺を、母さんが呆れたように一瞥する。
テーブルのマカロンを行儀悪く摘まみ上げると、上品に一口齧った。
このアンバランスを美しく成立させてしまうところが、彼女の魅力の一つ。
「あのねぇ、あんな狂人みたいに手紙寄越しまくってたらバレバレなのよ。——それに、自分の安定者を愛さない闇の加護持ちなんて、この世に存在しないわ」
「……そんなの、初耳です」
「初めて言ったもの」
確か、父さんも元は母さんの安定者であったと聞いている。
言葉に実感が籠っているのはそのせいか。
「安定者ってね、寝ても覚めても痛む身体と耳を塞いでも聞こえてくる罵詈雑言の幻聴と微睡んだ瞬間にみる悪夢を、ほんの数秒で癒してくれるの。あたたかくて優しくて……死んだ方がましって思える地獄から繰り返し救い出してくれる、聖女みたいな存在」
母さんにしては珍しく熱っぽい口調。
うっとりとどこか遠い目は、当時に思いを馳せているのかもしれない。
……そういえば、幼い頃の殿下も、俺にしがみついて離れたがらなかったっけ。
辛いのは身体だけじゃなかったのか——俺はちゃんと、あの人を癒せていたのだろうか。
「あの子の魔力が安定してすぐに、従者の打診があったでしょう? お役御免で領地に帰ってしまうアンタを離したくないって言ってるようなものじゃない」
テーブルに頬杖を突き、俺を指差す。
正式な場でないとはいえ、マナーも何もあったもんじゃない。
……確かに、安定者になりたての頃は月に一回ペースを必要としていた登城も、年を重ねるごとに3ヶ月に一回、半年に一回へと減っていった。
従者の打診があったのは、殿下の魔力に安定のお墨付きが出た12歳。
俺が安定者としてお役御免となるのと同時だったと記憶している。
……その決定に殿下の意思があった可能性なんて、考えたこともなかった。
「それは王族が闇の加護持ちの場合、パートナーや側近に光の加護持ちを置くのが通例だからであって……別に深い意味は」
「あら、未だに奔放娘に婚約者の打診はなくってよ」
「……それは、彼女の日頃の行いのせいかと」
「そうね、それは確かに大きいわ。それでも、光の加護持ちで王族的に及第点な爵位の令嬢ではあるのよ?」
「王家が自分たちとルーチェを繋げやすくするために叙爵した爵位ですから、当然と言えば当然ですね」
「アンタ、可愛くなくなったわ」
「王都にかぶれましたかね」
「もう、早くこっちに帰ってきなさいな」
「卒業したら、ですかね」
上手いこと脱線したので、このまま終わりにしてはくれないだろうか。
「さすがに王太子妃と側近の両方をルーチェで固めることはできないわ、外野が黙ってないもの。アンタ、側近の話は出ていて?」
「……はい。正式ではありませんが」
……駄目だったか。
側近になってしまえば、執務面での補佐も求められるようになる。
王政には関与しない、というルーチェの姿勢に反することをしたくはない。
でも……殿下の力になりたいと、望む自分もいる。
正式な打診はされていないものの、いざあった時に何と答えるのか……答えはまだ出せずにいる。
「そう。やっぱりあの子はアンタを選ぶのね」
ということはやっぱり愛人は免れないわね、とあっさり言ってくれる。
上質の卵で黄色く色づいたふわふわのシフォンケーキを華奢なフォークで突き刺し口に運ぶ。
唇についた粉砂糖を舐めとる赤い舌が婀娜っぽい。
「愛人って……殿下はまだ、婚約者候補さえ正式に決まっていないんですよ?」
「知っていてよ。アンタが女だったら違ったでしょうけどね」
「……闇の加護持ちである王太子殿下が、婚約者の前に同性の愛人だなんて。醜聞が過ぎます」
「あら、この国は同性婚が認められている、多夫多妻制であったはずよ? そんな些細なことをとやかく言うようじゃ、器が知れるわね」
ああ言えばこう言う。
辺境伯夫人スイッチの入ったこの人の相手は本当に厄介だ。
「……俺は囲われたいわけじゃないんです。それを強要するのであれば、従者を辞退して即領地に帰りますよ」
そんな、一方的な関係は嫌だ。
「あの子にそんなこと言ったら即監禁幽閉コースよ。気をつけなさい」
何それ怖い。
「闇魔法に≪闇檻≫があるでしょう」
「あぁ、対象を自身の影に閉じ込めるものですね」
「随分マニアックな魔法まで知ってるじゃない——アンタ、本当に魔法オタクなのね」
「王城図書館と禁書庫の魔法書及び魔術書、王城魔法師団の魔法塔にある魔法書と禁書庫の蔵書は読破しました。王城魔術師団の魔術塔にある魔術書と禁書庫も読了済ですが、数年前に王城魔術師団長が交代されてからはツテがなくなってしまいまして……増えた蔵書のチェックができずに歯痒いです」
しれっと紅茶を吸った。
甘い口内がさっぱりとリセットされ、また甘味が欲しくなる。
「愛する人を閉じ込めて自分だけのものにする力があるのよ? なまじ能力があると堪え性がなくなるのよね、困るわぁ」
ほう、と一つ吐息を零すと、優雅な仕草でティーカップを手に取る。
……え、今さらっと怖いこと言わなかった?
「……父さんが当主の内は自重してくださいね」
「旦那様が私だけを見てくださる内は大丈夫よ、安心なさい」
父さんに惚れ込んだ母さんの猛アタックの末の結婚とは聞いているが、何だかんだ父さんも母さんしか見えていない節があるし。
ルーチェは当分安泰そうで何よりだ。
——この人にならば、話してもいいかもしれない。
「……もし、俺が近い内に死んだとして、」
「そんな話、冗談でも聞きたくないわ」
つい一昨日まで意識不明だった身の上だけに、母さんは露骨に柳眉を歪めた。
でも、聞いてほしい。
「その、……殿下の気持ちが俺にあるのは薄々気づいていたし、俺だって……まぁ、好意はあるよ? でも、互いの立場を考えると、どうしたって受け入れられないし、伝えられないことって……あるじゃない?」
「相変わらず、そういうところは頭がお堅いわねぇ」
……そういうところって何。
俺はいつだって大真面目ですけど?
確かにこの世界は乙女ゲームだけあって、愛において妙に寛大だ。
既に婚約者のいる相手でも、平気で略奪できるし。
でも、今気にしているのはそこではない。
「このままの状態が、互いにとって最善だって信じてたんだよ。それが間違いのない選択なんだって、信じてた。……だけどさ、」
母さんは口をつぐみ、視線で続きを促してくる。
「……俺がいなくなって、殿下が孤独のまま取り残されることになるかもなんて、思わなかったんだよ。その世界では殿下が幸せになるルートはたった一つしかなくて、それが結構茨道で。そのためにヒロイ、えっと、……殿下の相手? が我武者羅に努力するようなタイプにはイマイチ見えなくて」
表情筋の死んでいる殿下が微笑み愛の言葉を口にするルートは、他の攻略対象なんて完全無視で選択肢の全てを王太子に捧げて課金しまくりの末にようやく辿り着くハッピーエンド、ただ一つ。
ヒロインであるカルミアさえがんばってくれれば、殿下が孤独から救われる可能性は十分にある。
……でも現状、カルミアからは魔法どころか貴族令嬢として最低限の淑女教育さえ学ぶ意志が見られない。
このままじゃ、学園生活と従者教育でいっぱいいっぱいのカルミアが殿下と絆を深められるのかどうか——怪しいところだ。
親睦を深めることに重きを置く方法も、勿論ある。
けれど、王立学園には、ゲームには存在しなかった留年制度があるんだよね。
ゲームのような恋愛脳のまま過ごしていては、普通に留年してしまう程度には、厳しい学園だ。
そして、王立学園での留年は、貴族の恥とされている。
留年するくらいなら、自主退学の方がまだ傷が浅い、とされるくらいに。
しかしそれは、貴族の義務を果たせなかったと見做され、今後に控える社交界での絶望を意味する。
そして、そんな人間は王太子付従者に——王太子妃に相応しくないと判断されるのは、火を見るよりも明らかだ。
「だったら、今俺が受け入れていい思い出になった方が……相手も幸せになる可能性が広がるんじゃないかって、最近思うんだけど……」
そう、いっそのこと、未練を断ち切るのはどうだろうって考えたんだ。
そうすれば、殿下の中での俺が、一区切りつくんじゃないかって。
次へ進めるんじゃないか——って。
「私には、なんでアンタが自分の死を前提に話をするのかが全く理解できないのだけれど」
それまで黙って聞いていた母さんが、心底不快そうに前髪を掻き上げた。
「もし私が旦那様にそんな目に遭わされたら、≪闇戻≫を使って戻ってきてもらうわ。そして、私が逝くその瞬間までずっとお傍にいてもらうの。それだけよ」
「っ!? ≪闇戻≫って——禁忌魔法じゃないですか!」
「あら、それも知ってるの? さすがねぇ」
≪闇戻≫、闇の加護持ちのみが使える、要は死者を呼び戻す魔法だ。
生き返らせる、ではない。
ネクロマンサーの類のもの、使用者に何が跳ね返ってくるか分からない。
故に、禁忌の魔法とされている。
そんな危険なもの——!
「何がいけないの? だって旦那様と私は愛し合っているのよ? 旦那様だって怒ったりなさらないわ」
「母さんの身に危険が及ぶと知ったら、怒りますよ」
「あら、私はそれ以上に怒っているのよ。だって私を独り置いて逝くなんて——許せないわ」
にこっと、少女のように無垢な笑顔。
初めて見る母さんの表情に——背筋がゾッとした。
「ルナリア、よく覚えておきなさい。闇の加護持ちはね、アンタが思う以上にしつこくて執念深くて重たくて、愛情深いの。手に入らなければ一途に想い続け、手に入れば死んでも離さない。魅入られたらもう最期なのよ」
淡々と、淀みなく言い切る。
そして優雅な貴婦人の仕草で紅茶を啜ると、目元を僅かに緩めた。
「アンタ、変わったわ」
まだ思考が追いつかない俺に向ける表情は、母親のそれへと戻っている。
「今までのアンタだったら、口が裂けてもあの子への想いを口に出したりなんてしなかった。どうせ、墓場まで持って行くとか思ってたんでしょ?」
——その通りだ。
“ののの”を、未来の記憶を思い出したからこそ俺は——
「で、どうしてアンタは、自分の死を前提に話をするのかしら?」
じっと俺の目を見るアイスグレーは、宝石眼ではない。
キラキラと輝くそれとは違うけれど、とても美しい目だと、いつも思う。
彼女の瞳は、いつも真っ直ぐに相手を射抜く。
「不治の病、ではないわね。旦那様やソルヴァスに分からないはずがないもの。アンタは占いなんて不確かなものを信じるタイプじゃないし——」
「っ、それは……」
ゲームのシナリオだから、なんて言うわけにもいかず、言い淀んでしまう。
「……まさか——自死なんて考えてないでしょうね? 事と次第によっては、このまま沈めるわよ」
「は? そんな、まさかっ!?」
足元の影が揺らぎ、僅かに沈みかけた身体を必死で立て直す。
父さんより先に≪闇檻≫を体験してなるものか!
「ゆ、夢をみたんです……俺がいない、未来の夢を」
カシャン! と、カップを置く音が辺りに響いた。
「だったらそんな未来、蹴散らしなさい」
その甲高く乾いた音に、ハッとする。
——そうか。
未来はまだ——先の話なんだ。
あまりにも、当たり前すぎる事実だ。
転生脳にとらわれ過ぎて、見えなくなっていた。
そうだ、この世界は“ののの”だけれど——いわゆるシナリオに、ガチガチに縛られてるわけじゃない。
ゲームには描かれていなかった『父親の性格』『双子の兄が安定者だった過去』『ヒロインの母親も闇の加護持ち』……そして「ヒロインの奔放っぷり」。
——他にも、まだ差異は存在する。
恐らく——転生あるあるの“シナリオの強制力”が、さほど強くはないのだろう。
だったら——未来の差異だって、期待できる。
例え死亡フラグが立っていたって、抗うことはできる筈だ。
すっかり冷めきってしまった紅茶を啜る。
……それはここ数日口にした中で、一番美味だった。
「……未来を蹴散らした結果、俺が殿下の愛人に納まったら、どうするんです?」
「あら、未来の王を手玉に取るなんて、それはそれで素敵じゃない?」
目の前の美女の紅い唇が、ニィと弧を描く。
「アハハ! そしたら手始めに、王族にルーチェ接触禁止法でも制定しましょうか」
「最高じゃない。——私、今のアンタの方が好感をもててよ」
ケラケラと笑う彼女に、彼もそう言ってくれたら嬉しいなって。
——あぁ、今すぐ殿下に逢いたいよ。
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