第72話 『財務長官』
石畳を踏みしめる音が、やけに大きく響いた。
王都議会へ続く大通り。
人の波は途切れない。
だがそのざわめきの中に、はっきりとした変化が混じっていた。
「もうパンがないぞ!」
「昼には倍だ!」
恐怖が広がる速度は、北部より速い。
エリシアは歩きながら、それを冷静に見ていた。
群衆の動き。
声のトーン。
視線の方向。
すべてが同じ方向を向いている。
**上昇。**
ミレイアが小さく言う。
「完全に初期パニックです」
「はい」
エリシアは頷いた。
「まだ止められます」
レオンが横で笑う。
「そのために来たんだろ」
フィオナが前を歩きながら言う。
「議会はすでに始まっています」
ナディアが舌打ちする。
「遅ぇな」
「むしろ早いです」
フィオナの声は冷静だ。
「市場が動くと、政治も動きます」
議会塔が見えてきた。
巨大な石造りの建物。
その中で、
王国の意思が決まる。
扉を押し開ける。
中はすでに熱気に包まれていた。
「国家備蓄は無駄だ!」
「市場を歪める!」
「予算を削減すべきだ!」
怒号。
議場の空気は、北部とは違う。
もっと鋭い。
もっと計算されている。
そして中央に立つ男。
白髪交じり。
整えられた髭。
冷たい目。
「国家は財政で動く」
低い声が響く。
「感情ではない」
フィオナが小さく言う。
「グレゴール・ラディウス」
王国財務長官。
その男が、議場を支配していた。
エリシアは一歩前に出る。
「南部連盟代表、エリシア・ヴァルドールです」
ざわ、と空気が揺れる。
「例の令嬢か」
「北部を止めた」
グレゴールがこちらを見る。
ゆっくりと。
「来たか」
その声は静かだ。
だが重い。
「ちょうどいい」
手元の紙を軽く叩く。
「国家備蓄の削減案を出している」
ナディアが小さく笑う。
「タイミングがいいな」
グレゴールは無視する。
「北部は収束した」
「市場は自己調整した」
「ならば国家備蓄は過剰だ」
論理は通っている。
だが。
エリシアは答える。
「違います」
議場が静まる。
「北部は制度で止まりました」
ミレイアが数字を示す。
「供給三層」
農民。
地主。
国家。
グレゴールは鼻で笑う。
「結果論だ」
「いいえ」
エリシアは一歩踏み出す。
「市場は恐怖で動く」
「制度は恐怖を止める」
沈黙。
グレゴールの目が細くなる。
「理想論だ」
「違います」
即答。
「北部で実証済みです」
ざわめき。
議員たちが顔を見合わせる。
グレゴールはゆっくり言った。
「王都は北部ではない」
その言葉は重い。
レオンが小さく呟く。
「来たな」
グレゴールは続ける。
「ここは王都だ」
「人口も市場も桁が違う」
「同じ方法は通用しない」
正論。
エリシアは頷く。
「はい」
その返答に、議場が一瞬止まる。
「だから調整します」
板を取り出す。
その場で書く。
**王都供給構造**
農民輸送
地方連盟
国家備蓄
そしてもう一つ。
**都市配給**
フィオナが小さく息を吸う。
「……配給?」
エリシアは頷く。
「王都は密度が高い」
「だから分散ではなく制御」
グレゴールが初めて表情を変えた。
わずかに。
「国家が価格を握る気か」
「一時的に」
エリシアは答える。
「パニックを止めるためです」
沈黙。
議場がざわめく。
ナディアが小さく笑う。
「踏み込んだな」
グレゴールはゆっくり言う。
「危険だ」
「はい」
エリシアは認める。
「ですが必要です」
そのとき。
議場の外から声が響いた。
「王都市場速報!」
紙が運ばれる。
ミレイアが受け取る。
そして、顔が変わる。
「……来ました」
エリシアが紙を見る。
穀物価格――
**一・五倍。**
レオンが低く言う。
「もう上がったか」
ナディアが言う。
「速すぎる」
グレゴールはその数字を見て、
ゆっくり笑った。
「見ろ」
議場を見渡す。
「これが市場だ」
エリシアは答える。
「だから止めます」
沈黙。
フィオナが一歩前に出る。
「国家備蓄を即時投入すれば」
「初期段階なら止まります」
グレゴールが言う。
「許可は出さん」
空気が凍る。
「国家備蓄は最後の手段だ」
「今使えば財政が崩れる」
ナディアが吐き捨てる。
「じゃあどうする」
グレゴールは答える。
「市場に任せる」
完全な対立。
エリシアは一瞬だけ目を閉じ、
そして開いた。
「では」
静かな声。
「許可なしで動きます」
議場が凍りつく。
フィオナが息を止める。
レオンが笑う。
「いいねぇ」
グレゴールの目が細くなる。
「違法だ」
「非常時です」
エリシアは答える。
「責任は取ります」
沈黙。
グレゴールはゆっくり言った。
「面白い」
そして少し笑う。
「やってみろ」
その声は低い。
「失敗すれば終わりだ」
エリシアは頷いた。
「承知しています」
議場の空気が張り詰める。
市場。
政治。
そして制度。
三つの戦いが、
完全に重なった。
そのとき、外から再び声。
「パンが消えた!」
ざわめきが広がる。
エリシアは振り返らない。
ただ前を見る。
もう始まっている。
王都の戦争が。
ついに「市場 × 政治」の正面衝突です。
ここからは一気にスケールが上がり、
エリシアは“国家のルールそのもの”と戦うことになります。
次話は、ついに強行策――
制度は王都のパニックを止められるのか。
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